ストヨフスキ(ジギスモンド) Stojowski, Sigismond
生没年 | 1869-1946 | 国 | |
---|---|---|---|
辞書順 | 「ス」 | NML作曲家番号 | 26247 |
-
ストヨフスキ(1870-1946):
交響曲 ニ短調
組曲 変ホ長調 [ラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団/アントニ・ヴィト(指揮)]STOJOWSKI, Z.: Symphony No. 1 / Suite in E-Flat Major (Rheinland-Pfalz State Philharmonic, Wit)
発売日:2022年04月15日 NMLアルバム番号:C5464
CD価格:2,475円(税込)
1870年、ポーランドのキェルツェ市近郊で生まれた作曲家ジグムント(ジギスモンド)・ストヨフスキ。母親から初期の音楽教育を受け、17歳の時に地元のオーケストラとともにベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を演奏し、コンサート・ピアニストとしてデビュー。その翌年にパリへ移り、コンセルヴァトワールで学びました。 その後、1898年にライプツィヒで開催された「パデレフスキー音楽コンクール」に提出した「交響曲ニ短調」が第1位を獲得。1901年11月5日には、この年に設立されたワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団の初コンサートで交響曲が演奏されるという栄誉にあずかるとともに、翌月にはリサイタルに出演、1902年1月にはソリストとしてサン=サーンスのピアノ協奏曲第4番を演奏、当時のポーランドにおける最高の音楽家の一人として音楽界に君臨しました。また、1901年に行われたインタビューに於いて、彼自身が最も影響を受けた音楽家は、ポーランドのヴァイオリニスト・作曲家ヴワディスワフ・グルスキと、ピアニスト・作曲家イグナツィ・ヤン・パデレフスキだと述べています。 その後、1905年に渡米、ジュリアード音楽院で教鞭を執るなど、ニューヨークでも偉大な作曲家、ピアニスト、教育者として高く評価されましたが、彼の死後、急速に忘れられてしまい、後期ロマン派の作風を色濃く反映した作品はこれまであまり演奏されることがありませんでした。しかし、近年になり“ポーランドの音楽史の中でショパンとシマノフスキを繋ぐ重要な作曲家の一人”として近年注目を集めており、演奏機会も少しずつ増えています。 このアルバムでは、彼の出世作「交響曲 ニ短調」と、初期の作品「組曲 変ホ長調」を収録。ポーランドを代表する指揮者アントニ・ヴィトが共感を込めて演奏しています。
収録作曲家:
-
パデレフスキ(1860-1941)/
ストヨフスキ(1870-1946):
ヴァイオリン・ソナタ集 [ピオトル・ブラヴネル(ヴァイオリン)/ピオトル・サワイチク(ピアノ)]PADEREWSKI, I.J. / STOJOWSKI, S.: Violin Sonatas (Pławner, Sałajczyk)
発売日:2021年08月27日 NMLアルバム番号:555324-2
CD価格:1,800円(税込)
“ポーランドの音楽史の中ではショパンとシマノフスキを繋ぐ重要な作曲家はいなかった”と長い間信じられていました。しかし近年になって、イグナツィ・パデレフスキと彼の弟子、ジグムント(ジギスモンドとも)・ストヨフスキがその隙間を埋める作曲家として注目を集めています。 パデレフスキはポーランド第二共和国の第2代首相を務めたことでも知られるピアニスト。「パデレフスキのメヌエット」が突出して有名ですが、彼の作品の中には「後期ロマン派から近代への橋渡し」と評価されるものもあり、このヴァイオリン・ソナタもブルックナーとグリーグを想起させる見事な作品に仕上がっています。 またパデレフスキに師事し、彼から強い影響を受けたと語るストヨフスキのヴァイオリン・ソナタも、ブラームス風でありながら、若い頃に留学したパリの雰囲気も湛えています。 演奏者プラヴネルはポーランド作品を中心に幅広いレパートリーを有するヴァイオリニスト。ピアニスト、サワイチクとは以前にもポーランドの秘曲アルバムを録音しています。