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食養の開祖 石塚左玄(いしづか さげん)

1851年(嘉永4年)-1909年(明治42年)58歳没。
薬剤師、医師、陸軍少将(薬剤監)
5歳の頃から腎不全であったことと多忙が短命の理由。
1896年(明治29年)46歳の時、陸軍薬剤監(少将)に任命。
日本で初めて「食育」という言葉を記した「化學的食養長壽論」を上梓。
1907年(明治40年)食養会設立。
当時のヨーロッパ一辺倒だった栄養学に100年も前からカロリー重視の食の評価を疑い「文明先進国の食事は不自然でひどい内容になっている」と、西洋食を指摘し、「自然法則に沿った食事をせよ!」と、カロリーゼロの塩や水の大切さと自然食・玄米食を訴えながら食養指導を行う「食医」として、「食本主義」「人類穀食動物論」「身土不二の原理」「一物全体食」「陰陽調和」を原理とした「食養道」を説き、多くの病人を救いました。