Vol.2 ~ものづくりに欠かせないもの~

2020/05/5

 

 

唐突だがものづくりと言ったら新潟県の燕・三条、そんな風に感じるのと同じように、時計と言ったらスイスと思う人も多いのではないだろうか。

 

ちなみに、スイスはどこにあるかご存知だろうか。イタリア、フランス、ドイツに囲まれた小さな国だ。

 

日本の九州と同じくらいの面積に人口は約850万人。神奈川や大阪よりも人口が少ない。そんな国に大小合わせれば500以上の時計ブランドがあるとも言われている。

 

本当かどうか真偽は確かめていないが、スイス国民の3分の1は何かしら時計に関係する仕事をしているとも言われている。

 

この国にとって時計とは国を挙げた産業であるのだ。

 

それでは何故、スイスで時計産業が発展したのか?

 

元はフランスで起きた宗教戦争が発端である。長い歴史の中で徐々に教会が力を付けていったカトリック(旧教)に対して聖書の教えの方が大事じゃないか? と異を唱えたのがプロテスタント(新教)であった。

 

プロテスタントにもルター派やカルヴァン派などがあったのだが、多くの商工業者から支持を集めていたのがカルヴァンである。

 

彼らはユグノーと呼ばれており、やがて宗教戦争にまで発展していった。1562年から始まったユグノー戦争と呼ばれるその戦争でカルヴァン派は弾圧され、フランスから追いやられることとなる。そして、カルヴァンの本拠地であるジュネーブに多くの支持者が移り住んでいった。

 

もともとジュネーブは彫金やエナメル細工などの豪華で華美な宝飾細工が盛んな町であった。そこに時計技術をもったユグノーの多くが移り住むようになり、宝飾と時計が融合した技術が生まれていくようになったのだ。

 

私がその昔、初めてスイスに訪れた時に「スイス人にとって時計とは何だ?」と聞いたことがある。

 

その時の答えは「パッション(情熱)」だった。

 

また、あるブランドの責任者はこう言った。

 

「私達が大事にするのは2Pだ。PROFESSIONAL(プロフェッショナル)PASSION(パッション)のPだ」と。

 

プロとしての技術的なクオリティーはもちろんのこと、それを造る上での情熱は欠かせないというのだ。

 

 

どんなに技術的に優れていても、そこに作り手のパッションが無ければ本当の意味での良いものづくりはできないのではないだろうか。

 

逆に言えば後世に語り継がれ、生き残っていくようなモデルは作り手の想いや情熱があって誕生したものであり、それを受け継ぐ人達もまた想いと情熱を持って作り続けているような時計だ。

 

日本には未だ職人気質、職人魂という言葉が残っている産業がある。

 

歴史と伝統、そして、職人の技術と熱い情熱。

 

そして、ゼンマイで動く機械式時計なら、電池で動くクォーツ時計と違って物理的な故障しかしないので、

 

それらに支えられて今日まで町を支える大きな産業として受け継がれてきたのではなかろうか。

 

時計を通して自分達の生まれた土地の歴史にも思いを馳せてみるのもまた一興だろう。