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<コラム>喪服の歴史

今日、喪服はお葬式や法事など弔事で着用する服として定着しています。
しかし、もともとは亡くなった方の遺族だけが喪中に喪服を着用しており、弔問客は普段着で参列していました。
理由としては「近親者には死の穢れが潜んでいる」との言い伝えにより、親族は「喪に服する」意味を込め、喪服を着ることが義務付けられていたからといわれています。
その後、明治時代には弔問客の服装に変化が起き、男性が紋付やフロックコート、ダークスーツを、後には女性が黒紋付を着用するようになりました。こうして、遺族と弔問客の服装の区別がなくなり、「葬式に参加するための服」=「喪服」という観念が定着し始めたのです。
そして、今日、喪服は“遺族も弔問客も、葬儀に参加する為の礼服”として位置付けられています。
また、現在では喪服は「黒」を着用することが一般的ですが、長い日本の歴史を紐解けば、喪服の色は白→黒→白→黒と変化を繰り返しています。
遠い昔、喪服は「白」でした。それが平安時代、718年に発令された養老喪葬令で「天皇は直系二親等以上の喪の際には、墨染めの色を着用すること」と定められたのがきっかけで、黒の喪服が少しずつ広まり、平安後期には一般的に「黒」が着られるようになりました。
しかしその後、時代は再び「白」の喪服へと戻ります。その理由は明らかではありませんが、平安時代以降、養老喪葬令により実際に黒の喪服を着用したのは上流階級だけで、庶民は白のままだったのではないかとする説があります。
白い布を黒く染めるには染料も必要ですし、手間もかかります。庶民の間に残っていた「白」の伝統が、貴族文化の影響力が薄れてきた室町時代に上流社会にも復活し、黒の喪服がなくなっていったのではないかと考えられます。
一部の人の間で喪服に「黒」を着用した時代があったとはいえ、長い日本歴史の中では喪服は「白」が主流でした。
その伝統が崩れたのは明治に入ってから。明治維新をきっかけに、欧米諸国の影響を受けて黒の喪服が登場する中、明治30年の皇室の葬儀の際に、政府は列強諸国の国賓の目を気にして黒に統一されたのがきっかけで、後に皇室の喪服は黒と正式に規定されるようになりました。
それでも、一般庶民が喪服に黒い服を着用するのはまだ先の話になります。
第二次世界大戦中から戦死者を送る葬儀が多くなって需要が増えると、貸衣装店は汚れやすい白ではなく、汚れが目立たない黒を揃えるようになりました。手入れのしやすさや、欧米諸国の影響もあり、戦後は急速に黒い喪服が広まっていくこととなりました。