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飛鳥・奈良・平安時代の食生活

聖徳太子が摂政になった593年から始まる飛鳥時代、そして奈良時代、平安時代には、1日2食が基本で、貴族、下級役人、庶民の階級によって食事の内容は大きく違っていました。
階級ごとの食事を細かく見ると、まず貴族の食事は、臼と杵を使って簡単に精米した分づき米、鴨とセリの汁、焼きアワビ、真鯛、焼き海老、蘇(そ)と呼ばれる古代チーズなど、15品ほどが金属や漆器の器で贅沢に並びます。
下級役人になると7品ほどになる代わりに、朝夕の食事以外に間食も食べていました。
玄米、野菜の汁、イワシの煮付け、きゅうりの漬物、カブの酢漬け、塩や酒などが土師器や須恵器とよばれる土器に盛って出されます。
そして庶民の食事は、一汁一菜であり「玄米と海藻の汁物、茹でた山菜と塩」という質素な食事でした。

天武天皇時代の675年にイノシシやウサギ、野鳥など一部の動物を除き「牛・馬・鶏・猿・犬」の肉食が禁じられ、その後、肉食を忌み嫌う習慣は、明治天皇が自ら牛肉を口にし解禁した1872年まで続きます。
これは、欧米との外交において西洋料理を食するために、肉食の解禁が必要不可欠な選択であったためでした。
1200年ほどの長い間、肉食を避けていた日本人は、お米と野菜、魚を中心とする独自の食事を作り上げていきます。

収穫量と貯蔵性、そして栄養にも優れている米は人々の貴重な財産となり、701年の大宝律令によって、租(米)・庸(労役)・調(布や特産品)という税制度が完成します。
米を作るための土地争いや地方役人からの税の取り立てから身を守るため、農民は武装をするようになりました。
一説では、それが武士の始まりだといわれています。