クリムト・作品一覧 <年代別に>
グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)
1862年 オーストリアのウィーンで金工家・銅版彫刻師の家庭に生まれる。
1897年 オーストリア芸術家協会(ウィーン分離派)の創設に参画。初代会長となる。
1902年 ウィーン分離派館でのクリンガー展のために『ベートーヴェン・フリーズ』を制作。あからさまな裸体表現でスキャンダルとなる。
1905年 内紛抗争で分離派を脱会。
1917年 美術アカデミーが名誉会員に認定。
1918年 脳卒中のため死去、享年55歳。
ウィーン分離派時代
●ウィーン分離派時代(1897年〜1905年)
装飾家として名声を得たのち、古典や伝統を重んじる美術からの分離を目指した「ウィーン分離派」に加わる。しかし官能的な作風が批判され、脱会。
オーストリア政府からの援護を失う。
▼ 黄金時代
●黄金時代(1903年〜年)
政府からの仕事はなくなったが、富裕層のパトロンからの支援を受け、金箔を多用した注文画・肖像画を手掛けることになる。
▼ 晩年・黄金様式から色彩へ
1910年以降になると、金箔を使うことが次第になくなっていき、カラフルな色彩の表現が多くなる。また正方形のキャンバスに描いた風景画を多く残す。 クリムトは、成功に満足することなく最期まで、新たな表現に挑戦し続けた。