有松絞り研究所

  • chapter1 開拓民のフロンティアスピリットが生んだ有松しぼり。
  • chapter2 しぼりの技法が息づく町、有松ってどんな所?
  • chapter3 しぼり製作プロセス。ゆかたはこうして作られている。
  • chapter4 絞り技法は百数十種!美しく、チャーミングな絵柄の数々。
  • chapter5 有松絞りを作る人。その1【くくり職人】とは。
  • chapter6 有松絞りを作る人。その2【染め職人】とは。
  • special feature 伝統産業に未来はあるか? 400 年の歴史を持つ有松しぼりの“今” と“これから”。

有松絞りを作る人〜その2〜【染め職人】とは。

伝統工芸士、三浦典久さん(59歳)。有松の旧東海道筋に佇む「早恒染色」のご主人である。染めの作業はかなりの重労働だが、三浦さんはこの道40年の大ベテラン。染料をたっぷり注いだ釜に、くくり作業を終えた絞りのゆかたを入れてかき混ぜ、洗って、乾燥させる。水分を含んだ布地はかなりの重量になる。おまけに、約20種類の染料を少しずつ調合しながら、発注された色見本と見比べ、ぴったりの色に染め上げる技術がいる。もちろん、ゆかた1枚につき1色、ということはない。何色もの色を組み合わせ、表現する。少しでも違う色に染め上がってしまえば、今まで関わって来た職人さんたちの努力も、台無しになってしまう。体力・技術力・気力、そのどれかひとつでも欠けていたら、勤まらない仕事だ。

去る平成25年3月、伝統工芸士 三浦典久さまがご逝去されました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

体さえあればできる。倒れない限りは、続ける。

染料を調合し、正確に色を再現する

染料を調合し、正確に色を再現する

繊細な流し染めは奥様が担当。

繊細な流し染めは奥様が担当。

  染色職人になる前は、まったく別の仕事をしていたという三浦さん。早恒染色の娘さんである、現在の奥様と結婚したのを期に、この世界へ飛び込んだ。染色職人であった、先代の義父に弟子入りをしたのだ。「当時は絞りの繁忙期。1日400反くらい染めていた。階段を四つん這いで上がることしかできないくらい、全身が痛かった」重労働のうえ、目の回るような忙しさ。ただ黙々と働き続けた修行時代は、「しんどかった」との一言。

  徐々に染色技術を学んでいった三浦さん。「数ある染料を調合して、見本通りの色にぴったり染める。これが一番、やっかいで難しい。あれを混ぜて、これを混ぜての繰り返し。納得いくまで色出しの勉強をしたね」修行のかいあって、今では、絞りのゆかたを見れば、自分で染めた色かどうか、分かるほどにまでなったそうです。

  しかし、「くくり職人」と同様に「染め」の世界でも、後継者不足は大きな問題。「若手が育って欲しい。せっかくの歴史ある産業なんだから。続けていかないと」。染めの仕事を始めた昭和50年代後半には、この忙しさが一生続くものだと思っていた。「仕事があれば、あるだけやる。でも、最近は仕事量も、以前と比べて減ってしまったけどね」そう語る三浦さんは、今日も変わらずに有松絞りを染め続けている。

脱水すると鮮やかな色が浮かび上がる

水分を吸収した布地はかなりの重量

脱水すると鮮やかな色が浮かび上がる

脱水すると鮮やかな色が浮かび上がる

奥様と二人三脚で店を切り盛り

奥様と二人三脚で店を切り盛り

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