36-2 @エヌ・ピュア

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 このコーナーでは、エヌ・ピュア社長・鳴海周平が各界を代表する人生の達人との対談を通して、「こころとからだの健幸」に役立つ様々な情報をご紹介しています。毎日の健幸にお役立ていただけましたら幸いです。

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Vol.36 ゲスト:林家とんでん平さん

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林家 でもこの時は一旦北海道に帰されてしまったんです。
「表面的には派手で華やかな世界に見えるだろうけど、見えないところでの苦労は半端じゃない。もう1度考え直しなさい。」と言われました。
師匠は若い頃、落語家だったお父さんと比べられて「鷹が鷲を産んだ」ってよく言われていたらしいんです。だから師匠の勉強量は半端じゃなかった。自宅横にある倉庫に大学ノートがワーッと積んであったんですが、それが全部ネタ帳!その日会った人から聞いた話やテレビで見たこと、ラジオで聞いたこと、新聞、週刊誌などから収集したネタがびっしりと書いてあるんです。そうしう努力って言わなきゃわかんないわけだけど、やっぱり芸の重みというか深みとして出てくるものなんですよね。
本当に大事なことっていうのは目には見えないところにあるから、当時の私みたいに表面の良いところしか見えていない素人には勤まらないだろう、という想いからの言葉だったのだと思います。

鳴海 相田みつをさんの詩にも、木の根や水道管など表面の働きを支えている本当に大事なところは目には見えないんだ、という意味の言葉がありますね。
特に芸能の世界は華やかな部分が目立ってしまうところなので、根っこにある部分を養うための時間や覚悟も相当なものなのでしょう。
三平師匠もたいへんな苦労をしてきたからこそ「本当にこの道でやっていくのかどうか」ということを、もう一度じっくりと考えて欲しかったのかもしれませんね。

林家 北海道に帰されてからは益々想いが募りましてね。毎日師匠に「自分の心は変わっていません。」って手紙を送りました。半年以上もそういう手紙が届いたんで師匠もあきらめたんでしょうね。(笑)「よし、わかった。」ということになって、翌年8月1日からの弟子入りが決まったんです。
めでたく内弟子となってからは、予想通り過酷な毎日でした。一番遅く寝て、一番早く起きるわけですが、芸能の世界は朝方が夜ですから毎日3時頃床に就くわけです。朝は師匠の家族が普通どおりに学校に行ったりするので、6時には起きなくちゃいけない。土日も関係なく、睡眠時間は3時間前後だったと思います。それでも師匠の傍にいるというだけで、充実した毎日でしたね。
ところが弟子入りの翌月、師匠は緊急入院してそのまま帰らぬ人となってしまったんです。突然のことだったので、本当にショックでした。
ふつうは長く一緒にいるとだんだんその人のアラが見えてくるものだと思うんですが、師匠の場合はますます魅力が見えてくる。毎日新しい良さが見えて、毎日好きになっていくんですよ。50日間という僅かな内弟子期間でしたが、これ以上長く居たら危ない関係になっていたかもしれません。(笑)

鳴海 確かに、テレビからも人柄が伝わってくるようなイメージがありますね。ひと通り話した後で思ったより笑いが少なかった時などに「…えー、今の話のどこが面白かったかというと…」と解説を加えるのは特に大好きでした。(笑)
私の中では物語やシチュエーションにあまりこだわらない臨機応変なスタイルが「三平流」というイメージです。

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鳴海 とんでん平師匠は「手話落語の第一人者」というイメージが多くの皆さんに定着しているのではないかと思いますが「手話落語」を始めることになったきっかけを教えていただけますか?

林家 入門から6年目。二つ目に昇進したことをきっかけに、もう一度原点に戻ろうと思ってまたリアカーの旅に出たんです。今度は東京から沖縄までの2000キロ落語行脚。(笑)リアカーの内側を飾って足跡の高座に見立て、そば屋さんや雑貨店の前、集会場などいろいろなところで落語をさせてもらいました。すぐ目の前でお客さんが笑ってくれるのを見て「あ、これが落語の原点なんじゃないか。」って思いました。
そんなある日のことなんですが、4、5人のお客さんが全然笑ってくれないんですよ。それも一番前で。(笑)面白くなかったのかなぁ、って少し落ち込んでいたんですが、後から聞いたら聴覚障害者の方々だったんです。それからずっと気になってしまいましてね、何とか伝わる方法がないかなって。それで手話を学び始めました。とは言っても独学ですからね。実際に聴覚障害を持った方々にも観てもらって、繰り返し教えを仰ぎました。何度目かで初めて笑ってくれた時は本当に嬉しかったですね。

エヌピュア_健康タ6539.jpgzennkoku.gif鳴海 手話を通じて様々な方との出会いがあったとお伺いしています。札幌市市議会議員に立候補されたのも、こうした活動の中でのご縁だったのでしょうか?

林家 そうですね。手話を通じて戴いたご縁、そして子供が障害をもったことがきっかけで市議会議員としての活動を始めさせていただきました。
子供が車椅子を使って移動する時に、段差が気になったりするわけですよ。歩道でも公共の交通機関でも「こうしたらもっと移動しやすくなるのに。」ということが幾つも出てくる。これは同じような境遇にある方々が皆感じていることだと思うんですね。ただ実際に行政の側の仕組みがわからないと、実現がなかなか難しい。だったらそういった皆さんを代表して声を上げていきたい、と思ったんです。選挙活動はもちろんリアカーで行いました。(笑)