Vol.36 ゲスト:林家とんでん平さん
北海道小樽市からリアカーを引いて上京し、初代・林家三平師匠に「最後の弟子」として入門。手話落語の第一人者として、また札幌市市議会議員としても活躍されている林家とんでん平さんに落語家を志したきっかけや健康のコツ等を伺いました。
鳴海周平(以下 鳴海) 初代三平師匠のお弟子さんは皆さん「平」の字がつくんですね。私も「周平」ですから、とんでん平師匠ともなんだか他人のような気がしないんですが。(笑)
林家とんでん平師匠(以下 林家) そうですよねぇ。私もずっとそう思っていました。(笑)鳴海さんもぜひ一門へどうぞ(笑)
鳴海 ありがとうございます。
師匠は北海道小樽市のご出身なんですね。同じ北海道民として、リアカーで上京したというお話はとてもインパクトがありました。
林家 だってインパクトを狙ったんですから(笑)
それぐらいじゃないと、人気絶頂だった師匠に弟子入りなんかできないと思ったんですよ。
林家 1978年に札幌市民会館で初めて師匠の高座を観た時の感動は忘れられません。
当時私は歌ったりピアノを弾いたりして生計を立てていました。この日も民謡大会のピアノを弾く仕事で会場に行っていたので、ゲストとして高座に上がった師匠を舞台の袖から覗いていました。会場は満席で1400人以上の人がいたと思いますが、司会の方が「では林家三平さんにご登場いただきましょう。」と言った瞬間からもう笑いが起こっているんです。「名前だけで笑わせてしまうなんて凄い!!」と驚いているうちにご本人が登場して、それからずっと笑いっぱなしですよ。会場の皆さんを見ていて「笑い顔って本当にいいな。」って思いました。
高座が終わって舞台袖で握手をしてもらったんですが、その時にすっかりシビレてしまいましてね。(笑)「この人について行こう!!」って決めたんです。林家三平という人物の魅力にすっかり当てられてしまいました。
鳴海 「人物に惚れてしまう」というのはそういうことなんでしょうね。
でも人気絶頂の方に弟子入りをするというのは、なかなか大変な事だったと思います。やはりリアカーを引っ張って行くくらいのインパクトは必要だったのでしょうね。
パートナーのリアカーは今も大切に保管されています林家 いろいろと準備をして翌1979年に上京したのですが、お金もなかったので地元の北一硝子の社長にお願いしてなんとか硝子商品を卸してもらい、行商をしながら1ヵ月半かけて東京に辿り着きました。
浅草から電話をしたらおかみさんが出て「エッ!あなたリアカーで来たの?」と、予想通り驚いてくれまして。(笑)師匠はちょうど留守だったんですが、すぐに連絡をとってくれて「家で待たせておきなさい。」ということになったようです。しばらくしてベンツに乗った師匠が帰ってきました。颯爽とベンツから降りた師匠は格好良かったですね。初めて見る本物のベンツにも感激しました。インパクトでは私のリアカーも負けていなかったと思いますが。(笑)