心斎橋みや竹 我が再生の記

心斎橋みや竹 kasaya.com 我が再生の記 【第四話】明 日 無 き 闘 い
傘屋の和ちゃん、我が再生の記「そして老舗は甦った・・・」

- 第 4 話 明 日 無 き 闘 い-






 土地は借り物だったが、
そこにビルを建ててテナント貸しをしたらどうかという話もあった。

地主も、心斎橋=老舗という気持ちが強く、
その時は宮武さんが一階に入って欲しいと
言ってくれたが、
もはやそれができる状況ではなかった。 


  心斎橋から電車を乗り継いで30分ほどのところにある自宅で
  なんとか商売ができないかとも考えた。

  近所の学校の学生を当て込んでサンドイッチ屋でもやるかと、
  本気で図面を引いて検討したこともあった。

  インターネットで行こう、と
  腹を括る前にはそんなことも考えていたのだ。 



パソコンを購入したのは96年の3月である。
知人から
インターネットで販売網を広げているところが出てきていると
聞いたのがきっかけだった。 

  そのときはまだ、これ一本でいけるとは思えなかった。
  なにしろそれまでワープロすら触ったことがなかったのだ。 

確信に変わったのは、すでにネット上で、
Tシャツの販売をしていたある方の文章を読んでからだ。

そこには…

当時まだ海のものとも山のものともつかなかった
サイバーショップの運営のノウハウが
余すことなく書かれていた。 


  これはいけると思い、試しにメールを送ると、
  彼はいろいろアドバイスをしてくださった。
  このとき着手していなかったら、
  ネットでいまの位置をしめることはできなかったと思う。 


それからはパソコンとの格闘にも勢いがついた。
大学受験の時の10倍は勉強したのではないだろうか。
いまもう一度やれと言われても自信がない。
まさに火事場の馬鹿力だった。


  「自分には傘しかない」という思いと、
  家族が、私を支えてくれた。 
  睡眠時間も一日4時間ほどしか取らなかった。


家族が寝静まっている時間にパソコンに向かい、
わからないところは
すぐメーカーのサポートに問い合わせ、
すべて大学ノートに記していく。 

  もちろんこの間、
  店もまだ営業していた。

シャッターを下ろしてから
ホームページ用に商品の写真を撮り、
自宅に帰ると夜の9時、10時になっている。

それから写真を整理し、
明け方早くに起きて
ホームページを作成していった。

ようやくネット店舗を立ち上げたのは、
店の売却が決まってしばらく経った96年10月のことだった。


  書き溜めたノートも
  気がつくと4冊目になっていた。  


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やっと商に目覚めた放蕩四代目、果たして新天地で成功するのか? 待て次号
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 心斎橋にない心斎橋みや竹…なぜ
※ある方=イージー 岸本栄司氏




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