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ちょっぴり可笑しくて、ほのぼのとさせられる…
「店長のブログ」
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■2014年11月1日(土) 「運動会」 |
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10月の第1と第2の土曜日、2人の孫の運動会が行われた。
上の孫は今年入学したばかりの小学校で、下の孫は保育園での運動会である。
奇しくも、それぞれの翌日は2週続けて台風に見舞われたが、幸いにも当日は晴天であった。
上の孫が入学した小学校は娘も通った縁のある小学校である。
私は娘の時代からこの運動会を結構楽しみにしていた。
子供たちや教師は運動会間近になると勉強そっちのけで練習に精を出す。
毎日、行進や競技の練習に1日の大半の時間を費やすのだ。
結果として、運動会の内容は中々見応えのあるものとなる。
この日は私共夫婦だけでなく旦那の家族も上京して、双方の一家を挙げての観戦となった。
教師・役員の挨拶の後、アナウンス部の子供たちの紹介で次々とプログラムが進行して行く。
子供たちの応援合戦に始まり、リレーや遊戯や競技と練習の成果を披露して行く。
そのメニューの豊富さに加えて、子供たちが泥まみれになりながらも精一杯競技しているさまは、今年も十分に感動を呼び起こしてくれた。
身体の小さい孫も最年少のクラスに混じって健気にも演技しているのが、遠くから観て取れたのである。
翌週は下の孫の保育園での運動会であった。
今年9月に3歳になったばかりの孫は普段は赤ちゃんっぽく、果たして満足な演技ができるか危ぶんでいたものだが、上の兄に揉まれて育って来たせいか、どうして堂々としたものであった。
僅か20メートル程の駈けっこだったが1等になり、その後の遊戯でも1番しっかりした演技を見せていたのだ。
最近体力の衰えが自覚されて自分の寿命も先が見えて来た感がある私であるが、このような若い生命がピチピチと躍動しているのを見るのは楽しい。
どうやら我が家では世代交代がスムーズに行われていて、何も先を心配する必要はなさそうである。
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■2014年9月6日(土) 「ユニバーサルスタジオジャパン&休筆の弁」 |
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7月末、娘と2人の孫と私達夫婦とで「ユニバーサルスタジオ・ジャパン」に行ってきました。
これは、上の孫が小学校に上がったお祝いに娘が企画したものです。
それと、新しいアトラクション「ハリー・ポッター」が評判になっていましたので、一体どんなものか観てみたいという気持ちもありました。
娘が子供の頃から「東京ディズニーランド」には何十回となく行きましたが、「ユニバーサルスタジオ・ジャパン」は私は今回が初めてです。
娘が会場近くのホテルを手配してくれましたので、2日がかりの見物です。
初日の夕方、着くとすぐホテルに荷物を置いて出かけました。
入場口近くにある街並みや散在している施設の様子は「東京ディズニーランド」とそっくりです。
人気のアトラクションは混んでいて数十分待ちという状況でしたが、娘が優先して入場できる「入場確約券」(有料)を購入していたので翌日にゆっくり回ることにして、初日は「ハリー・ポッター」を観に行きました。
ところが、身長による入場制限があり、上の孫でも入れません。 どちらの孫もチビで上の孫は6歳にして120cmに満たないのです。
致し方なく、ハリーポッターの魔法の杖を販売所ですしづめになりながら2本買って、ホテルへ帰って来ました。
翌日は午前中から夕方にかけて各アトラクションをじっくり観て回りました。
しかし、ここでも身長制限があり、3歳間近の下の孫は乗れる乗り物が1〜2種位しかありません。
そのため、劇場型のアトラクションを主に観て回りました。
「ユニバーサルスタジオ・ジャパン」は街並みや乗り物及び劇場型のアトラクション、そしてパレードなど、「東京ディズニーランド」のそれと非常に似通っています。
テーマパークとしては「東京ディズニーランド」が東の横綱とすれば、正に西の横綱といえます。
しかし、その内容には結構開きがあるように思いました。
総じて、「東京ディズニーランド」が年少者向きのアトラクションが多いのに比べて、「ユニバーサルスタジオ・ジャパン」は年長者向きの絶叫系のそれが多いように思えました。
「バックドラフト」(大火災に立ち向かう消防士の活躍を描いたアトラクション)や「ウォーターワルド」など爆薬を使ったアトラクションは手に汗を握る面白さを感じた反面、事故が起きるのではないかという懸念を抱かせたことも事実です。
もう一つ、飛ぶように売れていたハリーポッターの魔法の杖ですが、30cm程の硬質プラスティック製のものが3500円でした。
2本買った娘がこれでは他の土産物も買えないとぼやいていましたが、私はこの杖を振り回していて事故が起こるのではないかと気になりました。
買った後、中に「11歳以上の者に限る」という小さな注意書き入っていましたが、少し配慮に欠けるのではないかと思いました。
そんなことを感じつつ、久しぶりに夏らしい汗をかいて堪能した2日間でした。
最後に、昨年5月より1年間以上続いてきたこの「店長のブログ」ですが、ここら辺りで一旦休筆とさせていただきます。
理由は、ネタ切れです。
身辺の気付いたことを日記(月記?)のように綴って来ましたが、動脈硬化を起こしかかっている68歳の頭からは最早書くべき何物も湧いてきません。
今後は不定期に、題材が見つかりましたら書き繋いで行くつもりですので、よろしくお願いいたします。
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■2014年8月2日(土) 「潔癖症」 |
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私の家内は潔癖症である。 それもかなりの潔癖症といえる。
結婚して以来、私は毎日風呂に入り毎日下着を変える生活へと変わった。
庭仕事を終えて家に入ろうとすると、「風呂を沸かしてあるから、衣服を洗濯機に入れて直ぐに入ってちょうだい」と言われる。 疲れているから一休みしたいと思っても許されない。
床屋に行っても同様で、毛が衣服に付いて汚いと思うらしく、帰宅後直ぐに風呂場に直行しなければならない。
家内は毎日朝早くから洗濯機を何回も回して、洗濯に精を出している。
そんな有様だから、娘が嫁いで私ども夫婦だけになっても水道料は常に1万円台、娘がいた頃は2槽式洗濯機を使っていたこともあって、3万円台を下らなかった。
ゴミを出す時感じるのだが、ゴミの分量が隣近所と比べて異常に多い。
チワワの姉妹を飼っていておしっこシートが出るという事情もあるのだが、それにしても他家の4倍位はある。
「断・捨・離」なる整理術が流行しているようだが、あれなどは家内が40年も前から実践していたことだ。
2年間使わない物は不要な物であるというのが家内の持論である。 とにかく、要らない物を見つけると捨てないと気が済まないらしい。
結婚する前家内の実家を訪れた時、家内の部屋が整理し尽くされていて、女の子にしてはえらく殺風景な部屋だと思った。
私は結婚した頃本箱5個分の蔵書をもっていたのだが、掃除の邪魔になるという理由で今では本箱は1個しか残っていない。
確かに無くなって特に困ることもないが、目録を書店に出して収集した思い出深い書物である。手元に残っていないのはやはり物悲しい思いがする。
時々、あるべきものが無くなっていて一悶着起こることがある。
「おい、○○○はどうしたんだ?」
「知らないわよ。そんなものあったかしら?」
家内は心当たりがあると、いつも決まってしらばっくれる。
「いや、確かに前にここにあったんだ。きっと、お前が捨てたんだろう?」
「冗談じゃないわよ。いつもひとのせいにして。よく探しなさいってば…」
時々不便を感じて小うるさいことを抜きにすれば、清潔な環境に暮らしているのだから、よしとすべきなのかもしれない。
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■2014年7月5日(土) 「老化」 |
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以前飼っていた雌のポメラニアンが16歳で亡くなった時、犬好きな私達夫婦は暫くしてチワワの姉妹をペットショップから買って来た。
もう一世代位なら飼えると考えたからである。
あれから10年、彼女達も急速に成長し、そして急速に老化して今や立派なシニア犬になった。
犬の年齢で10歳というのは人間でいえば50歳台の中高年に当たる。
幼犬の頃は溌剌としていた彼女等も最近は色々な変調が見られるようになった。
一匹の子は2年程前から食事を貪るように食べ水をガブ飲みしていたかと思うと、疲れ切ったように横になってしまう。お腹が蛙のように肥大化して来た。
怪しいと思って検査してもらうと副腎のホルモンが異常に出ている病気だそうだ。 正常な数値の20倍位も出ているとの話である。
これといった治療法もないようで、今では1日2回副腎のホルモンを抑える薬が欠かせない。
この子等を飼い始めた頃は未だ中年にしか過ぎなかった私達夫婦も、この10年間ですっかり老年の域に差し掛かって来た。
孫の子守を頼まれることの多い家内だが、昔と違って2日連続して世話をすると途端に過労でダウンしてしまう。
家内は3年程前買い物に出かけて熱中症で行き倒れのようになったことがある。
私も私で老人性白内障で眼が霞んでよく見えない。
二人共高血圧の薬をもらいに夫婦揃って病院通いが欠かせない。
我々夫婦とチワワの姉妹は互いを労わるようにひっそりと暮らしている。
この二人と二匹の中で誰が最初に逝くのか、そして誰が最後まで残るのか、いいとこ勝負だと思っている
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■2014年6月7日(土) 「新学期」 |
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今回はこの4月に小学校に入学した孫のその後のお話である。
またかと思われるかもしれないが、私達老夫婦にとって日々の話題の3分の2は孫に関するものなのであるから、これは致し方ない。
さて、前に学校は大泉にあると書いたが、野方駅から上石神井駅まで電車で行き、バスで学校の前で降りるというのが通学路である。 片道で40〜50分位の道程である。
当然、学校の方でも最初の1週間は登下校に親が付き添うことを要請している。
地元で同じ学校に通う子がいれば心強いと思っていたが、幸いクラスは違うが同じ1年生の男の子がいることが解ってホッとする。
1週間もすると学校側は同じ方面の子供達をまとめて下校させるので、帰りの迎えは不要であるという。
何とも乱暴な話であるが、その男の子の親御さんが心配してその後2週間程は学校の前まで、さらに1カ月後位までは上石神井駅まで迎えに行ってくださったので助かった。
最初はその男の子と仲良く揃って登下校していたが、帰りに関してはクラスが違うため時差があり、孫が一人で先に帰ることが多くなった。
ある時、いくら待っても孫が帰ってこない日があった。
心配して上石神井駅まで迎えにいっていたその男の子の親御さんに電話をすると、孫はとっくに先に帰って行ったという話である。
大変だ。行方不明になった!と大騒ぎをしているところへ、孫が「只今」と言って帰って来た。
聞けば、疲れて眠ってしまい大分先の中井駅まで乗り越してしまったものらしい。
中井駅は上下線のホームが別々になっており、戻るためには一旦改札を出なければならない。
どうしていいか解らずマゴマゴしていると、駅の関係者が改札を通して帰りの電車に乗せてくれたのだそうだ。
本人にとってはパニックになる状況だったと思うが、この時は大して取り乱しもせずに帰って来た。
娘がGPS機能付きの携帯を孫に持たせたのは、それからのことである。
制服を着て電車通学をする兄の姿を見て、自分もランドセルを背負って電車で学校に行くのだと泣いて聞かなかった下の孫も、どうやら最近は一人で保育園に通うことに慣れたようだ。
人はもまれて、そして少しずつ逞しくなって行く…
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■2014年5月3日(土) 「ゴールデンウィーク」 |
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当店の休業日は日曜日と祝日になっている。
そのため、お盆休みと正月休みの他に長期休暇と呼べる休みが年にもう一回ある。ゴールデンウィークがそれである。
この時期は日本国中がバカンス一色に染まる。今年は11連休などという超大型休暇を取るところもあるらしい。
そして、民族の大移動が始まる。里帰りする者。国内を旅行する者。あるいは海外へ脱出する者など様々である。
私も毎年やって来るこの休暇を楽しみにしている。今年は4連休というささやかなものだが、私にとって貴重な休暇であることに違いはない。
4連休ではもちろん海外旅行に出かける訳にはいかない。
せめて夫婦揃って国内旅行をとも思うのだが、犬を飼っているので(チワワの姉妹)、長く家を空ける訳にもいかない。
何年か前には国内の日帰りのバスツアーに参加していたが、やはりこの時期は何処へ行っても混んでいて、その内に止めてしまった。
この頃では、せいぜい1日新宿などに出て、食事をしたり映画を鑑賞したりするのが関の山である。
昨年になって、遅まきながらスカパーに加入した。
最近の我が家ではテレビなどはほとんど付けないで、録画しておいた番組を観る毎日である。
家内は海外の事件物のテレビドラマを、私は戦争の歴史ドキュメンタリーを飽きもせず繰り返し観ている。
今年のゴールデンウィークはこれに加えてビデオの映画を山ほども借りて来て、何処へも出かけず映画三昧の生活でも送ろうか?
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■2014年4月5日(土) 「入学式」 |
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4月に入り、来週から一斉に小学校の入学式が始まる。
毎年真新しいランドセルを背負ったピカピカの1年生が親に付き添われて校門をくぐるほほえましい光景が、各地で展開される。
その姿に今後の健やかな成長を願わずにはいられない。
私の孫も5年間の保育園生活を経て、今年小学校に上がることになった。
保育園に入って2〜3年目までは、学芸会でも満足な演技もできないシャイな子で、その将来を心配したものだったが、3年目に下の子が生まれてから見違えるようにたくましくなった。
最近では運動会にしろ、学芸会にしろ、どうして堂々としたものである。
何よりも一つのことにトコトン打ち込む頑張り屋で、その努力を惜しまない姿勢がよい。
上の孫が小学校に上がり、下の孫も兄に連き添われての保育園通いから、たった一人で保育園へ通う新生活がスタートする。
誰もが少しずつもまれてたくましくなる。
上の孫が入学する小学校は大泉にあり、娘も通ったゆかりのある小学校である。
奇しくも親子二代揃って同じ学校に通うこととなった。
先生方も教育熱心で、入学したての頃は内気だった娘を、6年間でバイタリティ溢れる女の子に変えてくれた。
その伝統ある小学校で、孫が一層たくましく成長してくれることを願っている。
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■2014年3月1日(土) 「ソチ・オリンピック」 |
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2月23日、ソチ・オリンピックが閉幕した。
開催期間の17日間、中継が真夜中になるにもかかわらず、私も仕事場が自宅事務所であることの有り難さで、毎夜寝不足になりながらも熱心に観戦した。
実に、多くの感動を与えてもらった。
15歳や18歳という年齢でありながら物怖じしない演技で、スノーボード・ハーフパイプで銀・銅メダルを獲得した平野歩夢選手や平岡卓選手。 19歳という若さでフィギュアスケートで、史上初の男子金メダルを獲得した羽生結弦選手の清々しい演技。 ショートプログラムで大きく出遅れたにもかかわらず、フリーで自分の全てを出し切って、演技後感極まって泣きだした浅田真央選手。 その姿に日本国中が熱狂し涙した。
人は何故このような姿にかくも感銘するのであろうか?
私は「アスリートの魂」(NHKBS1)という番組を毎回興味深く観ている。
車椅子の中距離トラック競技に挑戦し続けている中年のパラリンピックのアスリートがいる。 毎回メダルを獲得しているのだが、寄る年波で最近は体力の衰えが隠せない。 そこを走法を改善して、よりハードな訓練を課して記録を伸ばそうとする。
この選手の場合、実は心臓に持病も抱えていて、医者からは過激な運動は禁止されているのだ。 それなのに、命を縮めるような思いをしてまでも記録に挑戦して行く。
上村愛子さんのケースも取り上げられていた。
18歳の若さで長野オリンピックで7位入賞を果たした彼女も、4回のオリンピックを経て今年は34歳。 毎回1段づつ順位を伸ばして来たが、どうしてもメダルに手が届かない。
体力が年々反比例するように落ちて行く中で、技術を改善して苛酷な筋力トレーニングを課してまで記録を伸ばそうとする。
私はこのようなアスリートの姿を見る度に、人間の喜びとは一体何なのかについて考えさせられている。
美味しい食べ物を食べてブランド品で着飾り、物珍しい景勝地を旅行する生活。それも確かに一つの喜びには違いない。
しかし、人間には真逆のもう一つの喜びがあるように思える。 それは、これらアスリート達に共通する、己の限界に挑戦しギリギリの努力を重ねながら、困難な高みに到達しようという欲求である。
そして、これこそが唯一人間にのみ感じられる喜びなのだ。 困難な狩りに生きがいを見出すストイックなライオンなどというものはおよそあり得ない。
7回のオリンピックに出場し続け、今回41歳の年齢で銀メダルを獲得してレジェンドと称される葛西紀明選手は、正にこの真逆の喜びに取り付かれた人間なのだろう。
人はそのアスリートの真摯な姿を見るにつけ、己の内部に眠っている欲求を揺り動かされて共感し涙するのだ。
これらアスリート達の他にも真逆の喜びを追い求めている人達が存在する。 登山家のグループがそれである。
彼らが重い荷物を背負い数々の困難を乗り越えて、生命を賭してまで山頂を目指すのは、困難な目標を達成しようというアスリートと同じ欲求に他ならない。
そんな真逆の喜びに取りつかれたプロスキーヤーの三浦雄一郎さんが、ソチオリンピックの閉幕後新聞に一文を寄稿してくれた。要所を抜粋して以下に転載する。
「夢の力で強くなれる」 (「読売新聞」2月24日朝刊)
ソチ五輪では、まず10代の若者たちが大活躍した。19歳の羽生結弦選手が日本フィギュアスケート男子で初の金メダル。スノーボード男子ハーフパイプでは15歳の平野歩夢選手が銀メダル、18歳の平岡卓選手が銅メダルなどだ。
それにもまして素晴らしいのは、41歳のスキージャンプ男子、葛西紀明選手の個人ラージヒルでの銀メダルと団体の銅メダルだ。チームリーダーとして最高の成績をあげてくれた。世界の「レジェンド」として語り継がれるべき名選手である。
男子の派手な活躍に比べ、女子のメダルがなくて寂しい思いをしているところへ、スノーボード女子パラレル大回転の竹内智香選手が見事に銀メダルを獲得してくれた。
〜(中略)〜
彼女はソルトレーク五輪を目指すため、通信制のクラーク記念国際高に入学。卒業後は欧州へ一人ぼっちで武者修行に出た。今回が4度目の五輪で、とうとう夢がかなった。
〜(中略)〜東京の国立スポーツ科学センターで様々のトレーニングを重ねてきた。
特に、低酸素ルームでのインターバルトレーニングによって、抜群の耐久力を身につけた。これはコースを10本滑る勝ち抜き戦には絶対必要な要素だ。この鍛錬の成果が今季のワールドカップで表れ、2位が3度。念願の五輪の銀メダルへとつながった。
葛西選手も同じように厳しいトレーニングによって二つのメダルを引き寄せた。幾多の五輪と世界クラスの戦いを経験し、年齢を積み重ねても体力を落とさず強い意志で夢の勝利を手に入れた。
人は夢の力で強くなれる。私もそんな思いで、竹内選手と同じように低酸素ルームでトレーニングに励み、70歳を過ぎてから3度、エベレストの山頂に立つことが出来た。スポーツの本質の一つに、「苦しさに耐える努力を惜しまず」がある。このことを、葛西、竹内の両選手がソチの舞台で改めて示してくれた。
いずれにしろ、ソチ・オリンピックは終わった。 しかし、今年のブラジルでのワールドカップが、2年後のリオデジャネイロオリンピックが新たな感動を届けてくれるだろう。
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■2014年2月1日(土) 「バレンタインデー」 |
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2月14日のバレンタインデーが近づいて来た。
デパートの菓子売り場には色とりどりのパッケージに入ったチョコレートが並び、家庭で手作りのチョコレート作りに精を出す女性の姿には、すっかりこの行事が日本の風俗として根付いた感がある。
バレンタインデーの歴史を調べてみると、兵士の結婚を禁止したローマ皇帝の政策に反して、密かに兵士の結婚を取り持ったということで、2月14日に処刑されたキリスト教司祭のウァレンティヌス(バレンタイン)に由来するというのが定説のようだ。
そして、現在では世界各地で男女の愛の誓いの日とされている。
日本では戦後、流通業界や菓子業界などで販売促進のためその普及が試みられが中々流行せず、1970年代後半に、バレンタインデーにチョコレートを贈るという様式を考案し実施した製菓会社によって定着したのだという。
そして、現在ではこの日に消費されるチョコレートは年間の2割にものぼるという、日本の一大行事となった。
日本型のバレンタインデーには幾つかの特徴があり、(1)贈答品が主にチョコレートであること (2)女性から男性への一方的な贈答品であり、女性の愛情表現の機会とされていることなど、世界のそれと大いに違っているようだ。
どうして、この日本型のバレンタインデーが日本の文化に広範囲に普及したのであろうか?
私は以前からテレビの集団見合いの番組を興味深く見ている。
それは、本来は結婚相手に恵まれない地方の農村の青年などに花嫁候補を募集し、見合いをさせるという番組である。
全国各地から大勢の女性が応募する。
そして、トークタイムや男性宅への家庭訪問などの機会を経て、お気に入りの相手を絞り込んで行く。
女性が常に群がる人気のある男性もいれば、口下手で一向に話が盛り上がらない中年男性。家庭訪問で何人もの女性が殺到する男性もいれば、一人も来宅せず、用意したご馳走を前にご両親と落胆の表情を隠せない男性など、悲喜こもごもの光景が展開される。
さて、最終日には告白タイムという段取りになる。
広い場所の片側にずらりと女性陣が一列に並ぶ。 そして、その反対側には男性陣が花束を持って、やはり一列になって並ぶ。
そして、男性が一人ずつお目当ての女性の下に歩み寄り、花束を差し出して交際を申し込むのである。
花束を受け取ってくれる女性もあれば、断る女性もある。
人気のある女性の場合は、あちこちから「ちょっと待ったー!」と声がかかり、複数の男性が駆け付ける。 このような女性は正によりどりみどりである。
中には、複数の男性が名乗り出たのにもかかわらず、意中の男性がいなかったのか、全てお断りする女性もいる。
私はこれを見て、いかに求愛するのが男性の宿命だとしても、男とはつらいものだと思った。
しかし、ある時から、本当につらいのは女性の方ではないかと思い直すようになった。
女性の側からすれば、ただじっと求愛されるのを待っているしかないのである。 自分の方から能動的に愛を打ち明けることは出来ないのだ。
男なら仮に振られたにしても、思いのたけを打ち明けたということで諦めもつくが、女性にはそれが許されないのだ。
しかも、唯の一人も告白する男性も現れず、寂しく帰路につく女性も多いのである。
古来、日本の文化では男性が求愛して女性が受け入れるという図式が出来上がっていたように思える。
そこで、バレンタインデーの話に戻るが、この行事がかくも大々的に普及したのは、日本の女性にとってこの日が自分から求愛できる絶好の機会だと映ったのではないか?
しかも、チョコレートという些細な品に言寄せて、自分の思いを大っぴらに打ち明けられるのである。
チョコレート売り場に群がって熱心に商品の品定めをしている女性をみると、そんな気がしてならないのだ。
ところで、今年小学校に上がる私の孫であるが、美少年風の風貌といい、活発であるが優しい性格といい、中々クラスの女の子の人気度は高いようだ。
今まで毎年バレンタインデーにはチョコレートを贈られて来たようであるが、今年はどんな女の子からどんなチョコレートを贈られるのであろうか?
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■2014年1月4日(土) 「正 月」 |
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12月30日仕事を終えると、翌日から6日間の正月休みに入った。
私にとってはお盆休みと共に年2回の貴重な長期休暇である。
折角の休みなのだから温泉にでも出かけたいところだが、犬を飼っているため長期の外泊はできない。
また、娘の家族は亭主の実家へ里帰りするので、毎年正月は我々だけでひっそりと迎えることになっている。
折角の休みなのだからレンタルビデオを数十巻も借りて来て、正月はそれを見ることにして、大晦日は「紅白歌合戦」と「がきの使いやあらへんで」と「年忘れにっぽんの歌」を交互に見て過ごした。
明けて昼近くに目が覚めると、良く晴れて穏やかないい正月になっていた。
犬の散歩を兼ねて近所の神社に初詣に出かけて、それから正月の膳に向かった。
娘が嫁いで出て行ってから9年間繰り返される、我が家の元旦風景である。
この間、娘は2人の子供を授かって年々賑やかになるのに対して、私共は一層静かな正月を迎えるようになった。
私は未だ比較的元気だが、還暦を過ぎた家内はここ数年体調の乱高下が甚だしい。2〜3日過労が続くと途端にダウンしてしまう。
気分転換に1年ほど前から水引の教室に通い始めたが、根を詰めると肩が凝るとかで、マッサージ通いが欠かせない。
娘が嫁いだ後、もう1世代なら飼えると思ってペットショップで見つけて来たチワワの姉妹も、既に9歳を過ぎて立派なシニア犬になった。
その内の1匹は2年ほど前に体に変調が見つかった。 異常な位食欲が昂進して、水をガブガブ飲み、直ぐに疲れたように横になってしまう。
検査をしてもらうと、副腎のホルモンが異常に出ている病気だそうで、正常なら30以内の数値が400以上になっているという話だ。
今ではこの子も食前のホルモンを抑える薬と病院通いが欠かせない。
元旦の翌日に1枚の宛て所不明の年賀葉書が戻って来た。
それは、20代の頃に勤めた会社の上司への葉書で、昨年も返信が無かったので、気になっていたものである。
5年ほど前にも大学の先生への年賀状が音信不通になり、3年ぐらい続けて止めにした。
自分もやがて年賀状も出せなくなるのかと思うと、やはり、寂しい思いがする。
その代わり、今年は上の孫が小学校に入学する年齢になった。
6歳と2歳の男の子は疲れ知らずである。片時もじっとしていないで、動き回る。
時々、娘から子守を頼まれることがあるが、1日預かると翌日には家内ともぐったりしてしまう。
私達老夫婦から元気盛りの孫へと、世代交代は確実に進んでいるようだ。
2014年が明けたが、この一年が新しい世代にとって繁栄の年となるように心から祈りたい。
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