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店長のブログ Part1 目次
■2013年12月7日( 「クリスマス」
2013年11月2日(土) 「カルガモ子育て記」
2013年10月5日( 「熱中症」
2013年9月7日( 「井上陽水公演」
2013年8月3日(土) 「吉祥寺再訪記」
2013年7月6日( 「ネットの犯罪」
2013年6月1日(土) 「十年間…」
2013年5月4日( 「ブログ復活の弁」
■2013年12月7日(土) 「クリスマス」
 30年近くこの業界に携わって来たが、12月は別格の感がある。それは、クリスマスがあるからである。
 クリスマスのギフトで業界は賑わう。12月は例月の何割増しから倍位の売り上げを記録する。まさに、カキイレドキなのである。
 宝飾業界ばかりではない。街角には煌びやかなクリスマスツリーが飾られ、キリスト教徒でもないのに、日本国中がクリスマス一色に染まる。
 そして、クリスマスイブの12月24日頃にそのピークを迎え、それを過ぎると一年が終わった気分になる。

 気がつけば、今年も残り僅かばかりになった。
今年2013年は一体どんな年であったろうか?
 昨年末に政権が代わり、その後のアベノミクス効果や56年振りに開催されることになった東京オリンピックなどで、幾ばくかの光が射し込んで来た感はある。

 しかし、一向に復興が進まぬ大震災後の現状や少子化により老衰化しつつある国情、さらに、それを見下したかのように外圧を強める近隣諸国のことを考えると、所詮、それはかすかな斜陽に過ぎないのではないか?
 戦後の復興を見事成し遂げ、50年ほど前のオリンピック時には最早戦後ではないと高らかに歌い上げたあの頃のエネルギーは微塵も感じられないのである。

 クリスマスを迎えるにあたって、キリスト教徒でもないが、切に祈りたい。来年がより良い年になりますようにと…

■2013年11月2日(土) 「カルガモ子育て記」
 自宅近くに15階建ての高層分譲マンシュンが建っている。
そのマンションの南側の敷地には20mX40m程のコンクリート製の池が造られている。
水深は50cm位のものだが、このマンション名を「ルネ アクアパークス」というところからしても、この池がこのマンションの売り物になっているようだ。
 池の中には葦のような水草を植えた1mX4m位の楕円形の島らしきものが3個設えてあり、中々風情がある。
 私はこれを見るたびに、池に魚でも放したらと思うのだが、管理が大変になるためか、その様なこともなかった。

 その池に4年ほど前から池中の島にカルガモが巣を作って、抱卵するようになった。
 最初の年は猫害で卵が孵ることはなかったが、2年目からは池の周囲にネットを張り巡らしたため、雛がかえるようになった。
その年は4羽の雛が育った。
 昨年は2家族の9羽程の雛が巣立ちをした。

 そして、今年は夏が暑かったせいか、中々雛の姿を見かけることがなかったが、8月頃になって3羽の小さな雛鳥と母鳥が池の中を泳いでいるのを発見した。

 それからは、犬の散歩の時など楽しみで、時々カルガモの様子を見に行った。
 マンションの管理人が餌を与えているものらしく、日増しに雛の体格が大きくなる。

 雛の体が母親に近くなり、巣立ちも間近いと思われた頃異変が生じた。
 9月初旬、池の中を泳ぎ回るカルガモの数が7羽になっていた。
体格が大きいカモが3羽混じっているのを見ると、これは何処から飛来したものであろう。

 それからは毎日のようにカルガモの親子を観察に行った。
 3日程もすると何と10羽ものカルガモが所狭しと池の中を泳ぎ回っている。

 10羽のカルガモの集団が狭い池の中を回遊したり、島に上がって憩っているのは壮観な眺めである。
 縄張り意識の強いボス的な鳥がいるらしく、他のグループが近づこうものなら、バタバタと水面すれすれに羽ばたいて追い払う。追われた鳥も水面すれすれに数メートル逃げて着水する。

 餌を与えているためここを安住の地として居付いてしまうのか?と心配していると、更に2日後に異変が起こった。
 あれほどの集団が、子ガモの3羽だけになっていた。
母ガモの姿が見当たらないのは、他の鳥と共に飛び去って行ったものらしい。

 母ガモが居なくなっても餌は与えられるのだから、子ガモは少しも困らない。
 その後、他のカモが加わったり、子ガモだけになったりと離合集散を繰り返していたが、9月下旬に覗くと池はもぬけの殻になっていた。

 どうやら、子ガモ達も立派に成長して巣立って行ったようだ。
それからは、カルガモが池を泳いでいる姿は二度と見られなかった。
やがて、池の周囲に張り巡らされていたネットも取り外された。

 かくして、てんやわんやの騒動の末に、今年のカルガモの子育ては終わった。
来年は果たして何羽の雛が巣立ちをするのか?今から楽しみにしている。

■2013年10月5日(土) 「熱中症」
 10月に入り、暑かった夏もようやく終わったようだ。
 私は子供の頃は一年中で夏が一番好きな季節であった。
ギラギラと照りつける太陽には無限のエネルギーが感じられたし、したたり落ちる汗は一服の清涼剤以外の何物でもなかった。
しかし、老年になるにつれ、最近ではこの夏というものをいささか持て余し気味である。

 巨大化した夏のエネルギーは、反面、色々な被害をもたらす。
その一つが、夏の風物詩・台風である。
つい最近でも、台風18号が日本列島を縦断し、各地に多大の風水害をもたらし、3人が死亡、5人が行方不明になった。

 しかし、死者の数からいえば、例年台風の被害を上回っているものがある。各地で起こる水難事故である。
お盆の8月10日〜8月16日だけでも、全国で47人の人が亡くなったという。

 さらに、これを越えるものが熱中症による死亡者数である。
8月11日までに都内だけでも103人もの人が亡くなっているのだ。

 この熱中症による被害というものは昔からあったものらしく、ネットで見つけた藤部文昭氏なる人物の論文によれば、暑熱による死者数は戦前から戦争直後まで年間200〜300人程度あり、1980年代までは減少傾向にあったが、1994年以降に反転して、記録的な猛暑となった2010年には1731人に上ったという。

 そして、戦前から現在に至るまで一貫して目に付くのは、高齢者の暑熱死亡率が高いことだそうだ。
 どうやら、最近の熱中症による死亡者数の増加は、地球温暖化による猛暑の他に、日本の人口の高齢化が大きく関与しているようだ。

 還暦を過ぎた家内が最近盛んにぼやくことがある。「昔は春に次いで2番目に好きだった夏だが、今は一番嫌いな季節だ」と。

 その家内が2年ほど前、熱中症で道で行き倒れのようになったことがある。
1週間ほど風邪で寝込んでいた家内が、その日治ったと思ったらしく、ムクッと起き上がると朝から溜まった洗濯を始めた。
そして、颯爽と買い物に出かけたのだが、1時間程して見知らぬ若い男性から電話がかかって来た。「奥様が道路に倒れていらっしゃいます…」
 最初は、今流行りの振り込め詐欺かと思ったが、通りがかりの親切な人が連絡してくださったようだ。

 私ども老夫婦のような高齢者は、夏は心して過ごさなければならないもののようだ。
「無限のエネルギーを感じる一番好きな季節だ」などと悠長なことを言ってはいられない。
まさに、死ぬか生きるかの極限状況なのである。

■2013年9月7日(土) 「井上陽水公演」
 7月の下旬、家内と一緒に井上陽水の公演を聴きに行きました。
 井上陽水は同世代であるということもあり、ファーストアルバムの「氷の世界」が出た頃からずっと注目していました。
しかし、40年間一度もその生の声を聴くこともなく現在に至った訳です。
 一昨年の夏頃、唐突に公演を聴きたいと思い立ちましたが、既にその年度の公演は終了していました。
そこで、今年はスケジュールを調べて、5月にインターネットでチケットを購入していました。

 当日夕刻、私は仕事を終えると、家内と共にいそいそと出かけました。
 会場は渋谷のNHKホールです。
渋谷で降りると、15分位かけてゆっくりと歩いて会場に向かいました。

 開演15分前位にNHKホールに着いたのですが、入口にはかなりの行列ができていました。 そして、その時に初めて気付いたのです。これらの人々は全て井上陽水目当てのファンなのだということを…
年齢は私と同じ50〜60才代の年輩の人ばかりで、若い人は一人もおりません。

 ともかく、会場に入りました。
席は3階でしたが、見下ろすと、ほぼ満席の状況でした。
 正面のステージは真っ暗で、未だ誰もいる気配もありません。

 開演時間を少し過ぎた頃から騒がしかった場内が静かになり、暗闇の中にも演奏者が席に着く気配が感じられました。
 そして、ステージ上が少し明るくなったかと思うと、上半身真っ赤な衣装を纏った井上陽水が姿を現わしたのです。

 彼は何も言わずに、いきなり持ち歌を何曲も立て続けに歌いました。相変わらずの張りのある甲高い美声です。
 そして、何曲か歌った後、例の甘ったるく粘り気のある口調で語り始めたのです。
この2日間の東京の公演が4月から始まった全国ツアー公演の締めくくりになるということを…

 観客はその喋りの中にある些細なジョークにも笑い、拍手を送ります。
時々、「陽水さ〜ん」などと年輩のおばさんの黄色い(?)歓声が飛んだりします。
若いアイドル歌手のファンと全く同じ光景です。

 歌っては語り、そしてまた歌うという風に、彼は2時間近くも休むことなく、一人で歌い切りました。
 暗闇の中で井上陽水にだけスポットライトが当たっている時など、周囲の演奏者が退席して休むことがあったようですが、彼は最後まで一人で歌い続けたのです。

 語りの中で孫の話をしていましたし、調べてみると当年65歳ということですから、結構な年齢になる訳ですが、井上陽水は最後まで溌剌としていて、その力強い美声が衰えることはありませんでした。

 2時間程して公演は終了しました。
しかし、場内は暗くなったままで、観客は立ち上がる気配はありません。そして、アンコールの拍手が鳴り止みません。

 5分間位拍手が続いたかと思うと、場内がまた明るくなり、井上陽水と演奏者がステージに再登場しました。
井上陽水は前のと対照的に白い衣装を着ています。

 今度は4〜5曲も歌いました。
そして、最後に演奏者をそれぞれ紹介して、会場の観客に満面の笑みと共に手を振り、今度こそ本当のフィナーレとなりました。

 渋谷駅に向かう観客の人込みの中で考えたことがあります。
それは、私にも井上陽水にもまたそのファンの人々にも、時間というものは公平に配分されているということ。
 そして、もう一つ、自身と同じように年を食ったファンに囲まれて井上陽水は幸せな歌手だということ。
これなら、一生涯音楽活動を続けて行くことは可能でしょう。
爆発的に売れても、数年後には忘れ去られてしまうアイドル歌手には、真似のできない芸当です。
 40年間の時間の流れを感じつつ、そんなことを考えながら帰って来ました。

■2013年8月3日(土) 「吉祥寺再訪記」
 先日の日曜日、久しぶりに吉祥寺を訪問してみました。
吉祥寺は1992年3月に駅の北側に7坪程のミニ店舗をオープンして以来、2005年8月に閉店するまで実に13年間営業していた懐かしい街です。

 正午頃家内と一緒に出かけたのですが、駅の北口を出ると駅前のバスターミナルから正面のサンロードにかけて、既に大勢の買い物客で溢れ返っていました。
 当店は駅に添って左側のパルコ寄りに50m程行った所にあったのです。
通りの入口にアイスクリーム店があり、相変わらず若い人達で賑わっていました。

 そこから3軒目に当店が入っていたビルが見えて来ました。
間口2mにも満たない、気付かずに素通りしてしまいそうな小さな店でしたが、ここに13年間も通い続けたのです。

 当店の後に入ったコンタクトレンズ屋さんがその後も頑張って営業を続けていました。
しかし、ビルの角地で繁盛していたコーヒーショップはコンビニエンスストアーに替わっていました。
 その店は最盛期には一日の客席の回転数が50回転にも上る程、お客様で埋まっていた名物店でした。
しかし、その後吉祥寺に進出して来た安売りのコーヒーショップに押されて下降線をたどり、当店が閉店する頃には空席が目に付くようになっていました。

 その他、忍者屋敷を模した小部屋の造りで人気のあった地下の居酒屋も、他の飲食店に替わっていました。
 このビルも色々な店舗が入れ替わり、ビルの創業以来営業を続けているのは、今や2階のキリンシティだけになりました。

 街を散策してみました。
当店が閉店した頃には、吉祥寺からは近鉄と伊勢丹が撤退し、デパートは東急とパルコ、そして南口の丸井だけになっていました。
 伊勢丹の後に入ったファッションビルには、以前と変わらず大勢の人々が詰めかけています。

 商売柄、当時競合していた他の宝飾店の動向が気になり、見て回りました。
サンロードとダイヤ街の目抜き通りに、30坪を超える大型店舗を2店舗も出店していた東証一部上場企業の宝飾店は、サンロード店だけになっていました。

 この企業は、同じ製造直販を謳う甲府のジュエリーメーカーが東京に進出し、その第一号店を吉祥寺に出した際、それを撃退するべく挟み付けるような形で、大型店舗を2店も出店したのです。
 甲府のジュエリーメーカーはその後東京や関東の繁華街に次々と支店を展開したのですが、ことごとく大企業の反撃に会い、当店が閉店する時には既に倒産していました。
 所定の目的を達した以上、この大企業も2店の大型店舗を一本化したものでしょう。

 吉祥寺にはこの他に御徒町の問屋直営の宝飾店もあったのですが、何処を探しても影も形も見当たりませんでした。

 吉祥寺は表面上は昔と変わりなく賑わっていましたが、底部では激変していました。

 昔、ランチを食べに通ったステーキレストランに行ってみました。
マスターは少しばかり年を取った風でしたが、元気に肉を焼いていました。
 料金こそ1000円から1200円に値上がりしていましたが、相変わらず多くのお客さんで繁盛しているようです。
 久しぶりにその店のステーキランチを堪能して、吉祥寺を後にしました。

■2013年7月6日(土) 「ネットの犯罪」
 ごく最近当店で起こった小事件の話です。

 ある時、若い女性客から電話がかかって来ました。
聞けば、購入した商品が欠陥品なので、返品したいという申し出です。
私は数日前にアンクレットをその人に代引きで送っていました。

 返品の理由を聞くと、留め金具の引き輪のバネが馬鹿になって閉まらないから、という話です。
 私は一瞬、変だなと思いました。商品を宝石ケースに入れる際、何ともなかったことを思い出したからです。

 しかし、私が見落としていたのかもしれないと思い、着払いで品物を返送すれば代金をお客様の口座に振り込むと答えると、その人の態度が豹変しました。

 品物を送っても代金を振り込まないかもしれないから、先ず代金を即刻振り込んで、着払いの伝票も私の方から送るようにとまくし立てて、引き下がらないのです。

 電話口の向こうからは猛り狂ったこんな金切り声が聞こえて来ます。
「今すぐ振り込め!何なら、お前が金と伝票を持ってここに届けに来い!!」
(あくまでも、20代位とおぼしき、うら若き女性の言葉です)

 私はその剣幕の凄まじさにタジタジとなり、その日の内に代金を振り込み、着払いの伝票も送ることにしました。
 しかし、この時私は着払いの伝票を郵送でなく、わざわざ宅配便で送ることにしました。万一の場合を考えて、証拠を残すようにしたのです。

 商品はその後中々戻って来ませんでした。
 着払いの伝票の追跡サービスを見ると、「不在のため持ち帰り/不在のため持ち帰り/調査中」という言葉が並び、配達が難航していることを窺わせます。
私はこの時点で詐欺に遭ったことを確信しました。

 しかし、私はその時敢えて催促はしませんでした。
この人の場合、行きつく処まで行かなければ、決して品物を返さないだろうと思ったからです。
 10日程過ぎて着払いの伝票は保管期間を過ぎて戻って来ました。

 私は粛々と手続きを進めました。
1週間後までに品物を返却しなければ、詐欺事件として刑事告訴する旨の内容証明郵便を出したのです。
そして、期限までにその人が品物を返さなければ、私は集めた証拠を持って警察に詐欺事件の申し立てに行くつもりでした。

 催告期限の前日になって、その人から慌ただしく電話がかかって来ました。どうやら、内容証明郵便を読んだらしいのです。
 何事かと思って聞くと、「旅行に行っている間に着払いの伝票が返送されてしまった。もう一度、送り直して欲しい」という相変らずの厚顔無恥な申し出です。

 私は、愚弄された腹立たしさを込めて、思いっきり怒鳴りつけてやりました。
相手は今や、クレーマーといえどもお客様の立場から詐欺事件の容疑者へとなり下がったのです。形勢は逆転しました。
 そして、宅配便を呼んでその日の内に送れば未だ期限に間に合うことと、もしも、品物を返さなければあくまで刑事告訴するつもりだということを告げて、こちらから電話を切りました。

 その人から品物が返送されて来たのは催告期限を過ぎた2日後のことでした。
私は配達員の目の前で袋を開け、中身が入っていることを確認してから品物を受け取りました。

 品物を受け取ってからよく見ると、引き輪の留め金具の部分が引きちぎられて無くなっていました。
これは、欠陥品であるということにつじつまを合わせるために、わざと破損したものでしょう。

 私は自分の方で壊しておきながら着払いで品物を送り付けるその神経に腹が立ちましたが、不快な感情を引きずって更に追及する煩わしさを考えると、その辺で勘弁してやることにしました。

 この人は最初は詐欺を働くつもりはなかったのだと思います。
そうでなければ、犯行の手口が余りにも稚拙すぎます。
 しかし、クレームを装って業者を恫喝するうちに、おとなしく泣き寝入りをする業者なら商品を奪えるかもしれないと考えたとしたら、その時は、れっきとした犯罪者の仲間入りをした時なのです。

 3年程前、悪質な書き込みをしてお笑い芸人のブログを炎上させたとして、警察から多数の人が一斉摘発された事件がありました。

 逮捕された犯人達は、全国津々裏々何処にでもいるごく普通の市民です。 そして、その犯行の動機は、「私生活でムシャクシャしていたので、軽い気持ちでやった…」等の他愛の無いものでした。

 これらの人達が何ら罪の自覚もなく、また、解からなければ何をしても構わないという意識で犯罪を行っていたとしたら、それは、余りにも愚かで、卑劣極まりない行為です。

 ネットは最早私達の生活とは切っても切り離せないものになっています。
しかし、そのバーチャルの世界に浸る内に、行き過ぎた行為は犯罪になるという当たり前の意識さえも薄れてしまうとしたら、その時は、ネット社会の落とし穴にはまった時といえます。
 
■2013年6月1日(土) 「十年間…」
 思えば、「店長からのメール」を書いていた頃から既に十年間の歳月が流れた訳である。

 十年間。 この間に実に色々な変遷があった。
既に父は他界していたが、6年前に母が亡くなり、そして、2年前には唯一の兄弟である弟も61歳の若さで亡くなった。

 その代わり、一人娘が結婚して、そして、二人の男の子を授かった。
古い命が消えて、新しい命が生まれる… 世界はこのようにして、ゆるやかに変わって行く。

 66歳を迎えた私は、今や人生の最終コーナーを回り、正面前の直線をゴールを目指して突き進んでいるといったところか。

 前に飼っていたポメラニアンが死んだ後、もう一世代なら飼えると思って、8年前にペットショップからチワワの姉妹を買って来た。
あれから8年。今では彼女等も立派な中年犬になった。

 娘が嫁いで去った家に、私は64歳になった家内と8歳のチワワの姉妹に囲まれて暮らしている。

 二人と二匹の同居生活。
この中から誰が先に逝くのか、そして、誰が最後まで残るのか? いいとこ勝負だと思っている。

■2013年5月4日(土) 「ブログ復活の弁」
 振り返ってみると、未だ吉祥寺に店舗を構えていた2002年1月に、ホームページ「JEWELRY AYA」を立ち上げてネット通販を開始したのだが、その時、トップページに「店長からのメール」というコラムを作り、毎月1回原稿用紙で2枚程の雑文を掲載していた。

 それは、日々起こる身辺雑事を書いた日記のようなもので、今でいうブログである。
この「店長からのメール」はその後2002年10月に楽天市場に出店するようになってからも続けられて、吉祥寺の実店舗を閉鎖した2005年8月の直前まで書き継がれた。

 しかし、2005年9月にホームページ「JEWELRY AYA」の体裁を一新して本格的にネット通販に乗り出した時に、書く場所も無くなり止めてしまった訳だが、今回はその「店長からのメール」を8年ぶりに復活しようという、いかにも暇を持て余した店長が思い付きそうな試みである。

 題名は今風に「店長のブログ」とする。そして、毎月の第一土曜日に掲載しようと思う。

 あくまでも月一回の更新である。
前回もそうであったが、最初書くネタが色々ある時は何ともなかったが、一年・二年と書き続ける内に段々苦しくなって行った。
 しまいには、その更新の時期が近づいて来ると、胸につかえた餅があるようで、憂鬱な気分になったことを覚えている。(※「間延び」を参照)

 そんな時は無理をせずに、暫く休ませてもらうかもしれない。
 昔、長谷川町子が新聞に4コマ漫画を連載していた時に、ネタに詰まるらしく、しょっちゅう休筆していたのを覚えている。
(「作者病気中に付き、当分の間お休みします」という断り書きが新聞に掲示されていた)

 プロの漫画家でさえその有り様である。まして、ど素人のブログなのだから、そのような時は大目に見ていただきたい。

 その代わり、昔「店長からのメール」に掲載し、その後ホームページ「宝石のサロン」に収録し直した雑文を洗いざらい掻き集めて来て、メニューに掲げることにした。
 「枯れ木も山の賑わい」という言葉がある。
そんな時には、そのようなものでも読んで暫しの慰みにしてもらえれば幸いである。

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