あなたにとってムーミンとの最初の出会いは何だったでしょう。子どもの頃に観た「アニメ」や図書館で借りて読んだ「小説」、大人になってから買い集めたグッズ、はたまた最近行った埼玉県にある「ムーミンバレーパーク」という方もいるかもしれません。
ありとあらゆる形となって世界中にファンを持つムーミンですが、実は媒体によって少しずつ世界観が違っているのも、ムーミンの物語が奥深いと言われる理由のひとつ。
原作小説をはじめ、コミックやアニメの世界観をちょっぴり深堀りしてみましょう。
原作小説
ムーミンの物語は、フィンランドの画家であり作家のトーベ・ヤンソンによって生み出されました。1945年に児童文学小説として生まれてから、全9作品が誕生し、25年の歳月をかけて、完結を迎えます。
児童文学として子ども向けに書かれた小説ですが、物語の終盤になるに連れ、子ども向けと大人向けの境界が曖昧になっていくのも特徴の一つ。物語の序盤ではユニークなキャラクターたちが巻き起こすドタバタ劇や冒険譚が中心ですが、後半になるにつれ、キャラクターたちの内面が深く描かれていきます。家族や仲間との関係性や、自分自身について深く悩む姿は、徐々に闇が迫ってくるような緊迫感と静寂に包まれ、日照時間が短く、寒くて暗いフィンランドの冬を彷彿とさせます。
読めば読むほどその世界観に魅了されていくムーミン小説の世界。全9作の小説をご紹介します。
「小さなトロールと大きな洪水」
ニョロニョロを追いかけてでかけてしまったパパと、冬ごもりのための家を探す旅に出たムーミンママとムーミンが「ムーミン谷」にたどり着くまでの物語。
戦時中に書かれたこの1作目は、戦争によって絵が描けなくなったトーベ・ヤンソンが現実から逃避するために書き始めたのがはじまりです。自由な表現が制限され、絵の具などの物資もない。戦争の暗い影に追い込まれ、心の底からうんざりとしていたトーベは「おとぎ話」を書くことで辛い時代を乗り越えました。
50ページにも満たない小冊子として、駅の売店などで売られた初版のあと、長らく出版されていなかった1作目ですが、1991年に復刻版が刊行されました。
「ムーミン谷の彗星」
ムーミン谷に迫る彗星について調べるために、山の上の天文台を目指すムーミンたちの冒険譚。旅の道中、スナフキンやスノークのお嬢さんなどのお馴染みのキャラクターたちと出会います。
まだ戦争の爪痕が色濃く残る1946年に書かれた2作目。ムーミン谷を灰色に満ちた暗い世界にしてしまった正体がなんなのかを探ることから始まるこの物語。『悪意に満ちた眼のように赤い』と表現された彗星は戦争のことを指しているとも言われています。未知なる恐怖から目を背けずに、自ら恐怖へと向かっていくムーミンたちの姿は、戦争が終わったばかりの混沌とした世の中に颯爽と現れた未来への希望とも捉えることができます。
「たのしいムーミン一家」
飛行おにの魔法の帽子を拾ったことで不思議な出来事が起こる物語。雲に乗ったり、家がジャングルになったり、川の水が木苺のジュースになったり、おかしな姿に変わったり……。ムーミン屋敷にやってきたトフスラン・ビフスランや、二人の持っているルビーを追ってやってきたモランや飛行おにを巻き込んだ不思議な魔法のお話です。
3作目となるこの「たのしいムーミン一家」をあるイギリスの女性教師が、ヘルシンキ滞在中にスウェーデン語を習得するために翻訳しました。この翻訳からイギリスで英語版が出版され、世界中にムーミンが知られるきっかけとなりました。日本のアニメーションはこの3作目の物語からスタートするため、こちらがシリーズの1作目と間違われることも。
「ムーミンパパの思い出」
ムーミンパパの子供の頃の思い出を、パパ自らが執筆した自叙伝。孤児院から抜け出して、新たな仲間と出会い、空飛ぶ船での大冒険が描かれます。スニフやスナフキンのお父さん、ミィのお母さんなども登場し、ママとの出会いも臨場感たっぷりに描かれ、ムーミンたちのルーツを知れる物語です。
4作目となるこの物語。初版ではパパの一人称で書かれていましたが、改訂版ではムーミンたちにパパが回想録を読んで聞かせる場面が差し込まれ、現在と過去を行き来する形で物語が進んでいきます。
「ムーミン谷の夏まつり」
ムーミン谷に洪水が起こり、流されてしまったムーミンたちは、流れてきた大きな劇場に移り住むことに。ひょんなことから、ムーミンとスノークのお嬢さんはとり残され、ミィは水の中に落ちてしまい、家族がバラバラになってしまいます。夏祭りの夜、劇場に残されたパパたちはお芝居を披露し、そこで家族がドラマチックな再会を果たします。
1949年に初めて制作・上演されたムーミンの舞台をトーベとともに制作した舞台監督のヴィヴィカ・バンドレルのすすめで書き始めた5作目。北欧で暮らす人々にとって最も大切な夏至のお祭りの神秘性を感じることができます。お芝居と現実の世界が入り組んだ、複雑な世界へといざなってくれる物語です。
「ムーミン谷の冬」
冬の間は冬眠しているはずのムーミン一家。なぜかムーミンだけが冬眠から目覚めてしまうところから物語は始まります。生まれてはじめて経験する、暗くて冷たくて長い冬。冬の住人たちと過ごす中で、恐怖や不安をいだきながら、少しずつ成長していくムーミンの姿が描かれています。
前作までの明るい作風とは打って変わって、シリーズ6作目となるこの作品以降は登場するキャラクターが抱える問題や、内面の葛藤が静かに語られています。ムーミンの物語ではじめて「死」という概念が描かれ、全編を通して「孤独と死」をテーマにした物語です。その反面、新たな出会いとはじまり、冬がつくりだす神秘的な美についての物語でもあり、春がきてムーミン谷の住民たちが目を覚ますところで幸せな終わりを迎えます。
「ムーミン谷の仲間たち」
シリーズで唯一となる、9編からなる短編集。顔が見えなくなった女の子ニンニのお話や、ムーミンが捕まえた小さな竜との物語、得体のしれない生き物ニョロニョロの秘密など、お馴染みの住人たちや、初登場のキャラクターたちが主役となって織りなす小さな物語は、どれも印象深いものばかりです。
7作目となる本作から、挿絵の雰囲気に変化が。細い線で緻密な描き方だった前作までとは異なり、少し太めの線で力強く大胆なスケッチ風の描線で描かれています。
「ムーミンパパ海へいく」
とある夏の終わり、ムーミンパパ発案のもと、ムーミン谷を離れ、一家は灯台のある小さな島へと移り住みます。灯台守になるのだと意気込んでいたものの失敗続きのパパ、慣れない島の生活にホームシックになってしまうママ、誰にも言えない秘密を抱えるムーミン、そんな3人を尻目にいつもどおり自由に暮らすミィ。孤島という閉じられた空間の中で、家族の中での自分の役割は何なのか、家族と個人の関係についての葛藤が繰り広げられていきます。
アイデンティティ消失からの不安や、個人の存在意義についてなど、哲学的なテーマで描かれる8作目。今までに無い、少ない登場人物だけで進む物語は、個々の内面をじっくり深堀りして描いた名作です。
「ムーミン谷の十一月」
シリーズ最終刊となる9作目は、なんとムーミン一家が登場しません。フィリフヨンカ、トフト、ヘムレン、スクルッタおじさんといった面々が、さまざまな悩みを抱えてムーミン屋敷を訪れます。そこにミィの様子を見に来たミムラやスナフキンなどが加わって、ムーミン一家不在の中、奇妙な共同生活が始まります。
前作の「ムーミンパパ海へ行く」と対になるこちらの物語は、ムーミン谷に残されたキャラクターたちの不安と葛藤、そして克服を描いています。
本作が刊行される少し前、トーベ・ヤンソンの母シグネが亡くなっています。物語の中で誰よりも不在を惜しまれているのがムーミンママであることは、実の母親の他界と深く関係しているのかもしれません。
コミックス
イギリスの新聞「イブニング・ニュース」で1954年から連載が開始されたムーミンコミック。トーベ自身が7年間連載を続けたあと、弟のラルスに引き継がれ、二人合わせて22年に渡って連載を続けました。このコミックをきっかけに、ムーミンは北欧から全世界へと知名度を広げることになったのです。コミックのはじまりから、ラルスへ引き継がれた経緯など、ムーミンコミックの歴史を紐解いてみましょう。
トーベの描いたコミック。
ラルスの描いたコミック。
コミックスのはじまり ―新聞コミックの連載―
小説の成功の他に、トーベ・ヤンソンは連載コミックでも大成功を収めています。その始まりは、ロンドンのエージェント、チャールズ・サットンが「ムーミン谷の彗星」を読んで、ムーミンの物語は短い新聞漫画にぴったりだと直感したことでした。その後、チャールズはすぐにトーベへ手紙を書き、新聞連載の話を持ちかけました。その頃はまだフィンランド国内でもそれほど知名度のなかったトーベはその話を喜んで受け、イギリスの新聞「イブニング・ニュース」にコミックの連載が決まったのです。
1954年9月に掲載された初回は、大きな反響を呼びました。イギリスは、児童文学やファンタジー文学の土壌が豊かで、皮肉の効いたユーモアセンスなどの国民性が、ムーミンの物語とぴったりハマったことが人気となった大きな要因です。
イギリスで大人気となった後、世界中の新聞が後に続き、最終的には120もの新聞に掲載されました。世界中の新聞に掲載されたことが、ムーミンが世界的に有名になる大きなきっかけとなったのです。
こうしてトーベ・ヤンソンは画家、小説家以外に、漫画家としても世界的に成功を収めました。
弟ラルス・ヤンソンへの引き継ぎ
新聞コミックは順調に人気を獲得していましたが、休むことなく続く連載というプレッシャーの中で、常に新しいアイディアを絞り出すことにトーベ・ヤンソンは非常に苦労していました。3〜4コマという限られたスペースのなかで、起承転結をもたせ、笑えるポイントを入れなければならず、大人が読む新聞なので、幼稚過ぎず、複雑すぎない、ちょうどいい塩梅の内容、さらに、次の日も新聞を買ってもらうために、先が知りたいと思わせるようなかたちで終わらなければならない……など、さまざまな制約がトーベを悩ませていました。
連載開始から5年後の1959年12月31日、新聞社との契約が切れるタイミングで、トーベ・ヤンソンは契約の更新を断るつもりでいました。しかし、トーベが降板しても別の誰かを指名して、ムーミンの新聞コミックを続ける権利が新聞社にあったのです。そのことに頭を抱えていたトーベでしたが、「ムーミンの物語はヤンソン家の誰かが引き継ぎましょう」という母シグネの一声で、連載当初からコミックスの製作を手伝っていた弟のラルス・ヤンソンが連載を引き継ぐことになりました。
1960年以降、ムーミンコミックは完全にラルスによるものになりました。当初はトーベの雰囲気を引き継いだものでしたが、次第にラルス独自の世界観がつくり上げられていきました。トーベの描くムーミンは丸みが強調されて描かれていますが、ラルスのムーミンは角張ったフォルムでちょっぴりスリム。また、コマの描き込みもトーベに比べシンプルで小気味よいリズム感を生み出しています。内容も、風刺的な要素が強くなっているのもラルスが紡ぐムーミン物語の特徴の一つです。
連載を引き継いだ1960年から連載終了の1975年までの15年、トーベ時代の7年を合わせると、22年に渡って連載を続けたムーミンコミックは、今なお世界中で愛され続けています。
絵本
まあるくて愛らしい姿のムーミンや、ユニークなキャラクターがたくさん登場するムーミンの物語は子どもたちにも大人気です。原作を元にした絵本や、日本で書き起こされたオリジナル絵本、0歳から楽しめる知育絵本、トーベの弟ラルスが手掛けた絵本など、たくさんの絵本シリーズが刊行されています。今回は、トーベ自身が物語と絵を手掛けたムーミンの絵本3冊をご紹介します。
「それからどうなるの?」
最初の1冊である「それからどうなるの?」は、1952年に刊行されました。この絵本は、型にとらわれない色彩やページに開けられた穴など、当時では画期的な仕掛けが施され、またたく間に人気を呼びました。「ムーミンバレーパーク」内の展示施設コケムスでは、「それからどうなるの?」の世界を体感できる展示があり、絵本の中に入り込んだかのように物語を楽しむことができます。
「さびしがりやのクニット」
2作目は1959年に刊行された「さびしがりやのクニット」。この物語は、原作小説には登場しないキャラクタークニットが主人公。恥ずかしがり屋で臆病なクニットが、大切な人と出会うことで孤独に立ち向かい、幸せになる物語。
読者からの手紙に書かれていた、「私はひとりぼっちで、なにもかも怖くてたまりません」という言葉を読んだトーベが、「孤独を抱えた読者のために」と描き上げた絵本です。
「ムーミン谷へのふしぎな旅」
3作目となる「ムーミン谷へのふしぎな旅」は1977年刊行。原作小説の最終作「ムーミン谷の十一月」の後に出版されており、トーベが手掛けるムーミン物語の最後の本が絵本であることはあまり知られていません。この物語は、人間の女の子スサンナがムーミンの世界に迷い込むところからはじまります。夢の中のような、ちょっぴり不思議で不気味さも漂う物語は、トーベならではの世界観です。また、水彩絵の具と鉛筆を使用した絵は、これまでの画風とは異なる自由なタッチで描かれており、画家であるトーベ・ヤンソンの力量が遺憾なく発揮されています。
アニメ
日本において、多くの人がムーミンに触れるきっかけとなったアニメーション。愛らしく、特徴的なキャラクターたちが動いて喋る姿は、あっという間に日本人の心を掴みました。日本でのムーミンアニメ制作は大きく分けて2回。1970年代に放送された「ムーミン」と1990年代に放送された「楽しいムーミン一家」。どちらも、ムーミンブームを巻き起こした人気の作品です。ファン層を大きく広げることに繋がった日本アニメを中心に、世界で放送されたテレビシリーズをご紹介します。
テレビアニメ(フジテレビ系列)
【放映期間】
旧ムーミン 1969年10月〜1970年12月(全65話)
新ムーミン 1972年1月〜12月(全52話)
スポ根アニメ全盛期だった当時、時代に逆行するようにほのぼのとした作風のアニメ「ムーミン」は誕生しました。後に、「アルプスの少女ハイジ」などが放送された「カルピスまんが劇場」の第1段として全国ネットの日曜7時半という最高の枠で放送が開始。
69年〜70年放送の「旧ムーミン」と、続編である72年放送「新ムーミン」(このシリーズ全体を総称して「昭和ムーミン」と呼ばれています)は、日本に幅広いファンを獲得しました。しかし、原作者のトーベ・ヤンソンはこの「昭和ムーミン」を評価しませんでした。キャラクターの喋り方が違っていたり、原作のファンタジー性が抑えられ、社会風刺的な要素が過剰に含まれていたり、原作のイメージとかけ離れてしまっていたのが原因と言われています。日本のみでの放送でしたが、原作とはまた違った味わいがあるため、この昭和ムーミンが一番好きというコアなファンも存在しています。
テレビアニメ(テレビ東京系列)
【放映期間】
1990年4月〜1992年3月(全104話)
昭和ムーミンから20年の時を経て新たに制作された「楽しいムーミン一家」は、原作者であるトーベ・ヤンソンとその弟ラルス・ヤンソンも制作に関わり、原作の雰囲気を壊さないように十分配慮されてつくられました。これによって、「楽しいムーミン一家」はトーベのお墨付きを受けて、オフィシャル的な存在となりました。こちらは平成に制作・放送されたため「平成ムーミン」と呼ばれています。
日本での放送の翌年からは、フィンランドをはじめとした北欧諸国、さらには世界中の国や地域で放送が開始されていきます。逆輸入的に広まった日本のムーミンアニメは、小説やコミックに親しんできた北欧の人々に多大な影響を与え、さまざまなグッズがつくられ人気を博しました。すでに確立していたムーミン人気に新たな勢いをつけたのは、日本で制作された「楽しいムーミン一家」といえるでしょう。
テレビアニメ(NHK BS)
【放映期間】
シーズン1 2019年4月〜6月(全13話)
シーズン2 2020年1月〜3月(全13話)
フィンランドとイギリスの共同制作によるテレビアニメシリーズ。イギリスの人気クレイアニメーション「ウォレスとグルミット」などで監督を務めたスティーブ・ボックスによる、全く新しいCGアニメーションです。2Dの絵画的な背景描画とフルCGならではの立体的なキャラクターたちなど、最新技術を用いて美しい映像で蘇ったムーミンの世界。新しい世代にもファンを増やすきっかけになっています。
ミニコラム
スノークのお嬢さんの呼び名から見る、
昭和ムーミンと平成ムーミンの違い
多くの日本人が最初にムーミンに触れるきっかけとなったテレビアニメは、世界のムーミン人気を確固たるものにし、ファン層を新たに増やすことに貢献しました。日本で制作されたテレビアニメは、前述したとおり、「昭和ムーミン」と「平成ムーミン」の2種類がつくられていますが、作風やキャラクターには大きな違いが見られることでも知られています。
中でも代表的と言えるのがムーミンのガールフレンドの呼び名。原作小説やコミックでは「スノークのお嬢さん」と固有名詞ではなく種族名で呼ばれていますが、あなたにとってパッと頭に浮かぶ彼女の名前はなんでしょうか?
昭和ムーミンでは「ノンノン」、平成ムーミンでは「フローレン」という固有名詞がつけられていたので、世代によって答えが分かれる質問かもしれませんね。
この固有名詞は日本オリジナルのものなので、世界では通用しないことがほとんどです。名前をつけたのは、アニメを見ている子どもたちが気軽に呼びかけたくなるようにとの想いからだそう。
昭和ムーミンの「ノンノン」はアニメの演出家の奥さんの愛称「ノンちゃん」からヒントを得て命名されました。平成ムーミンの制作にあたり、トーベ・ヤンソンから「ノンノンはnoやnonなどの否定的な言葉を連想させる」という指摘が入ったため、「フローレン」へと改名されました。スウェーデン語でお嬢さんを意味する「フローケン/froken」と同じ語源をもつドイツ語「フロイライン/Fraulein」から名付けられたと言われています。
その他にも、ムーミンの身体の色が灰色から白に変更されていたり、スナフキンの愛用の楽器がギターからハーモニカに変わっていたりと、昭和ムーミンと平成ムーミンではたくさんの違いが見られます。
また、「ねぇムーミン こっち向いて」でお馴染みの主題歌は、昭和ムーミンだけのものなので、平成世代は知らないこともしばしば。世代を超えて愛されているムーミンといえども、油断してムーミンの話に花を咲かせていると、世代がバレていた!なんてこともあるかもしれませんね。