“加西市のぶどう”を守る若手の想いを次世代に“加西市のぶどう”を守る若手の想いを次世代に

兵庫県加西市でぶどうの栽培が始まったのは昭和30年頃。60年以上続く、”加西市のぶどう”を守るために、新たな農業の担い手を確保しようと、市は約20年前から新規就農者の受入れを積極的におこなっています。今回は、就農9年目になる岸本 佑太朗さんと、3年目になる久寿居 圭樹さんに、加西市のぶどう生産における熱い想いを話していただきました。

加西市の農業の
担い手としての自覚

岸本さん

もともと高校生の頃から農業に興味があったという岸本さん。大学は建築関係に進むもやっぱり農業がしたくて、岡山県で農業のアルバイトを始めたとのこと。 「やっていくうちにやっぱり農業は面白いなあと思って、ぶどうやトマトなどいろんな作物を育ててきましたね。」 いずれは岸本さんの地元である兵庫県に戻って独立してぶどうを育てたいなと思っていたところ、兵庫県内でぶどうの産地を比較して、ぶどうにとって気候が良かった産地が加西市だったという。

久寿居さん

「実は脱サラして農業をやり始めたんですよ(笑)」
農業がしたくて、サラリーマンを辞め農業に力を入れている岡山県で研修を受け、ぶどうに出会った久寿居さん。ぶどう生産は、1年中動くというより”やるときやって休む時は休む”と久寿居さんのスタイルに合っているとのこと。
「加西市にこだわったのは、『人との繋がり』ですね。研修の受け入れをしてくださった農家さんの繋がりでここ加西市にいるので、環境もそうですが人に惹かれた自分がいました。」

ぶどう ぶどう

“加西市のぶどう”を
守りたくて

岸本さん

60年以上続く、”加西市のぶどう”が全国的に広まったのは『ゴールデンベリーA』の存在があったからだ。 しかし、『ゴールデンベリーA』は生産者とともに出荷量も年々減っているといわれてる。
「今のぶどうのニーズって”種もなくて、皮ごと食べれる”なんですよね。人間面倒くさがりなので(笑)でも、”加西市のぶどう”が広まったのは『ゴールデンベリーA』の存在があったからなんです。
そんなゴールデンベリーAを無くしてしまうのってどうなのかなと思って。ゴールデンベリーAは、生産者とともに出荷量も年々減ってきているのが現状なんですが、僕は残していきたいと思って作り続けています。」

こだわりの”加西市のぶどう”を次世代に繋いでいきたい

ぶどう

岸本さん

僕が加西市に就農して今年で9年目を迎えます。ゴールデンベリーAをはじめ”加西市のぶどう”というものを知り尽くしてきました。生産者は年配の方が多く、もっと若い人を入れて若い人に頑張ってもらいたいと思っています。
ゴールデンベリーAだけでなくシャインマスカットなども生産していて、”化学肥料は使わず有機メインの栽培”にこだわったりと、僕が学んできたことをしっかり下に教えて産地としてのレベルを上げていきたいです。
隣の県やぶどうの生産が知られている県はたくさんあるんですが、加西市は全国的に小さい産地で名前も知られていないので、少しでも多くの人に加西市を知っていただき美味しいぶどうを食べてほしいです。

久寿居さん

実は畑仕事が自分ではできなくなって土地を放置する人もいらっしゃるんです。畑は10数年経つと木が生えて山に戻ると言われているんですが、山に戻ってしまうと野生動物に荒らされてしまいます。荒らされる前に畑の環境を良くするためにも新しい生産者を増やしていきたいと思っています。
僕はまだぶどう園を作っている最中なんですが、ぶどうがどんどん形になっている過程を見ることが楽しく、やりがいを感じています。サラリーマン時代ではありえない乗るとは思っていなかった機械に乗ったりすることも楽しいですが(笑)
最近ではSNSで発信していて、今僕がやっているぶどう生産を少しでも多くの人に知っていただき、若い人に興味を持ってもらえれば嬉しいなと思います。

ぶどう

60年以上の”加西市のぶどう”が、今でも美味しくあり続ける裏側には「人」の存在がありました。
たくさんの想いと苦労を受け継ぐ”人”と”加西市のぶどう”をこれからも応援していただけるとこの上ない幸せです。


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