昭和19年1月、仲哀天皇を御祭神と仰ぐ筑前の国(現福岡県)香椎宮より御分霊し、しいたけ業界の守護神として大分県椎茸農協構内に建立しています。『 仲哀天皇熊襲征伐の際、農民椎樹に生ぜし菌を「香しき菌よ」と仰せられしより行宮を香椎の宮と称し給う』と言い伝えられています。(椎茸神社由緒より)
大分県の乾しいたけ生産量は国内生産量の約48%を占め、全国一の生産量です。 全国乾椎茸品評会66回のうち、20年連続52回の団体優勝(平成30年度)を獲得しており、生産量・品質ともに日本一を誇る大分の代表的な特産品です。
大分県の気候は、内陸型気候・準日本海型気候・山地型気候・内陸型気候・南海型気候に分けられますが、海岸から1,791mの高山まで変化に富んだ地形で、昔からしいたけが自然に発生できる気候であったと考えられます。
常緑広葉樹の暖帯林からブナやミズナラの温帯林はしいたけ菌糸が原木内に伸長し、子実体[しじつたい]が生長するのに適した場所を県内各地域に作り出しています。また、大分県の山間部はいろんなきのこが自生するきのこの宝庫でもあります。
大分県椎茸農協で取り扱う乾しいたけはすべて原木栽培のものです。特にクヌギからは良質、肉厚、香りがいいものが多く発生します。大分県では以前からしいたけの原木用にクヌギ林の造成に力を入れてきました。現在では県内に47,000haのクヌギ林があり、全国一のクヌギ原木を有しています。
原木の伐跡地に伏せ込む方法で、日光と日陰で気温の変化を作り、空気の流れを起こすとともに、降雨を利用してしいたけ菌糸が原木にまん延する条件を作り出します。
乾燥前のしいたけに含まれた水分量により乾燥温度と風量を変えることで、甲(傘の表面)の色を褐色でつやがあるしいたけに、褶[おさ](傘の裏のひだ)は黄金色に輝いたしいたけを 作り、さらに芳醇な香りを醸し出します。
しいたけ栽培のはじまりについては種々の説がありますが、その代表的な説に源兵衛説があります。「寛永の頃(凡ソ三百年前)豊後の国佐伯藩一部、千怒の浦の源兵衛、豊後国大野のこほり宇目の郷傾のほとり葛の葉と云へる山村で不完全ながらも人為的栽培を自然教示に依って会得した」(椎茸産業大分の茸山師より抜粋)豊後の国佐伯藩は現佐伯市、千怒の浦は現津久見市、宇目の郷は現宇目町であり、大分県内で人工栽培技術を会得したとあります。
大分県は古くからしいたけを栽培しており、全国各地に原木を求めて出向き、しいたけ栽培を広めた「豊後茸山師」という言葉も残っております。
「ナバ」とはきのこを総称した言葉で、特に大分ではしいたけのことを言います。古くは「日葡辞書」に載っています。大分では昔、しいたけ生産者を経験的技術者として尊称し、茸師(なばし)と呼んでいました。
昭和19年1月、仲哀天皇を御祭神と仰ぐ筑前の国(現福岡県)香椎宮より御分霊し、しいたけ業界の守護神として大分県椎茸農協構内に建立しています。『 仲哀天皇熊襲征伐の際、農民椎樹に生ぜし菌を「香しき菌よ」と仰せられしより行宮を香椎の宮と称し給う』と言い伝えられています。(椎茸神社由緒より)
昭和54年9月場所優勝力士横綱北の湖に贈呈爾来、大相撲毎本場所の優勝力士へOSK杯を贈呈しています。杯はプラスチック製高杯型で総高110cm、しいたけは高さ60cm、周囲130cmの円筒に満杯にしています。上部と下部は大分県特産のマタケで茣蓙目[ござめ]に編んだ藤原満喜(杵築市)作の力強い優勝杯です。
茶撰[ちゃより]・シッポク・ジャミ・信貫[しんかん]・バレ・大飛[おおとび]
大分県椎茸農協組合員が生産した乾しいたけは、大分県椎茸農協の直販・売店と子会社の(株)オーエスケー、または大分県椎茸農協入札市場で購入した全国の有名しいたけ業者が取り扱う、有名デパート・スーパー・生協・小売店などで販売しています。
しいたけ菌は木材を栄養源として子実体[しじつたい](しいたけ)を発生させます。特にしいたけ菌は木材中のリグニンを分解するので、白色腐朽菌と呼ばれています。
しいたけ菌を稙菌したほだ木は3〜5年程度しいたけを発生させ、その後自然に還ります。
しいたけ栽培は生態循環のひとつと言えます。