愛情たらこのみなと

  • 湊水産 | 石巻

2011年3月からのあゆみ

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あの日から3年(2014年3月11日)

こんにちは。宮城県石巻市の愛情たらこのみなと 店長の木村朱見です。
今日は少しだけ長いお話をさせていただきます。最後までどうぞ宜しくお願いいたします。

東日本大震災から今日で3年。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様とご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。

そして、震災前からずーっとご愛顧いただいておりますお客様、震災をきっかけにみなとをご愛顧くださいました皆々様、いつも本当にありがとうございます。この3年間、皆様からの「 美味しい 」の一言に支えられ、頑張って来れました。

<あの壊滅的な被害を受けた1年目>
とにかく無我夢中で突っ走るしかありませんでした。今できること、やれることをひたすら一生懸命生きるために…。

<まだまだ頑張らねばと2年目>
最初から復興特需なんて続くわけがないと思い、それに頼らないで済むような自立への道を暗中模索で駆け抜けた一年。

<そして3年目の、この一年間>
2年過ぎても何も変わらない厳しい現実に、社員も経営陣も、ただ頑張れだけでは頑張りきれないことに直面し、現実への不安と心配の方が大きくなるばかりで、みんなの体にも不調が…。
そんな中、新しく工場、店舗、事務所が入った新社屋の建設が決まりました。今度の工場は建設費高騰の予算と敷地の関係で現在の面積の半分。だいぶ狭くなる分、動線を駆使し最効率化で今より生産性をあげることを重点に、工場の設計には社員達が実際の経験から得たノウハウを生かすべく、どんな細かいことでもみんなで知恵や意見を出し合い(設計図の修正10回)、とうとう「 みんなの工場 」の着工にこぎつけました。この建設には、元気を失いかけていたみんなが、この新社屋に“ 夢と希望 ”を語ることにより再び元気を取り戻そうとしています。
被災地の建設費のありえないほどの高騰のため、当初の思い描く通りには行かなく、諦める内容も多くなりました。でも震災後、思い通りに事が運ぶことの方が無かったんです。「これが現実」、「これが当たり前」と、いつも我慢の連続ですが、私達はあきらめません。あの時、たくさんのご支援とご声援を頂戴いたしました。このご恩は一生忘れません。。

そして、あの時のご恩をもしお返しできるとしたなら、助けて頂いた私達が、今も元気に頑張っている姿をお見せすることが一番ではないかと思っています。
だから、あきらめません!

すみません、決して気負っているんじゃないんですよ。もう少し肩の力抜いてもいいよ。充分がんばったじゃないと優しいお言葉も頂戴します。本当にありがとうございます。

震災後の3年で、みなとの従業員から6人の赤ちゃんが誕生しました。今月にはもうひとり。秋には、さらにもうひとり…。新しい命がこうしてみなとにも生まれています。このことが何よりも嬉しく、喜ばしいことです。生きていれば少なからず辛いこと悲しいことが起こります。でも嬉しいことや喜ぶ顔をみることもできます。

本日午後2時46分、
無念にもお亡くなりになられた方々に、心静かに 黙とう…

震災では失ったことの方が多いのですが、その後に出会えた多くの方々が財産になりました。皆様のおかげで、ここまで心折れずにがんばってこれました。心から感謝申し上げます。

  • 新社屋の打合せ
  • 社員全員で新社屋の図面を確認
  • 社員全員で「みんなの工場」を考えました。
  • 新社屋建設スタート
  • だいぶ新社屋の姿が見えてきました
  • 建設中の新社屋を見学する社員
  • 新社屋完成予想図 新社屋完成予想図
  • 新社屋完成予想図

明日から4年目

当初より工場の完成が遅れていますが、被災地では想定内です。


遅くても5月以降には新しい工場から、さらに美味しくなった「たらこ・明太子」をお届けできると思います。

掲載された新聞記事
新商品の開発にも力を注いでいます。
「無添加無着色」の特徴である見た目の黒っぽさが改善できた商品。特許の乳酸菌を使い共同開発した無添加のたらこが新聞に掲載されました。


みなとは、前へ前へ、つまずきながらも転ばない。たとえ転んでも立ち上がればいい。これからも皆様の「 美味しい 」の一言に支えられ、今やれることを、これからも一生懸命に頑張っていきます。どうぞこれからも社員一同、皆様のご要望とご期待に応えられるよう、日々努力して参りますので、変わらぬご愛顧いただきますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。
平成26年3月11日

愛情たらこのみなと 店長 木村朱見
湊水産株式会社