愛情たらこのみなと

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2011年3月からのあゆみ

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震災から5ヶ月…お伝えしたい大切なことがあります。(2011年8月)

いつも「愛情たらこのみなと」を応援いただき、本当にありがとうございます。

突然、津波が襲ったあの日から、5ヶ月あまりが経過しました。
震災の直後から無我夢中で過ごしてきましたが、
私たちもやっと少しずつ気持ちの整理がつき始めました。

本日は被災地である宮城県石巻市にある「愛情たらこのみなと」から、
皆様に、改めてお伝えしたいことがあり、メルマガをお届けしています。

あの日、いつもと変わらない金曜日の午後でした。
東北の厳しい寒さの冬から、やっと暖かい春を迎える頃でしたが、
その日の宮城県石巻市はいつもより寒く雪が舞っていました。

そしてその瞬間が突然起こりました。 2011年3月11日 午後2時46分 東日本大震災発生…

約2分間の長く大きな地震と、誰も想像すらしていなかった大津波が
街のすべてを一瞬のうちに奪って行きました…

人も、夢も、何気ない日常も全て…奇跡的に難を逃れたみなとの社長はじめスタッフ達…
激流にもまれながら流される人々を懸命に救出し、被災を逃れた工場2階を緊急避難所にして、総勢70名を超える避難者に、流出を逃れた商品の焼たらこや自宅にあったわずかなコメを炊いてみんなに行き渡るようにおかゆにして少しずつ分け合いました。

とにかく生き残るために。
一杯のおかゆのコメ粒はわずか数十粒。
小さな焼たらこが入っただけのおかゆでしたが、文字通り「生命をつなぐ」ことができました。

大地震と津波により電話も携帯もネットも全て遮断…
工場も事務所もパソコンもすべて海水に浸かりました。
会社の生命線とも言えるほど大きなウエイトを占めていた
30年間かけて積み上げてきた、大切な何万件ものお客様の注文データ。
何よりも大切なお客様から頂いたお手紙。
丁寧に包装し終え、発送を待つだけのたくさんの商品…

今まで一生懸命に蓄積してきた全てが、津波により失われました。
一瞬で変わり果てた工場の敷地内…
寒さと恐怖に震えながら、停電で真っ暗闇の中、みなとの避難したスタッフは
「これからどうなってしまうのだろう…」と意気消沈していました。

そんな中、
社長が言った信じられないひと言…

「電気と水道が復旧したら、また、たらこ作っぞ!」

一瞬耳を疑ったスタッフたち。
きっと誰もが「もう無理だ」と思っていたはずです。
しかし、その言葉を聞いた瞬間に「やるしかない」と全員思いました。
思えばあの日が、みなとの復興のはじまりでした。
停電で街の灯りがすべて消えたその夜は、
地上の目を背けたくなるような惨劇とは裏腹に、
見たことがないほどの、綺麗な満天の星空でした。

とにかく救助が来るまでの数週間は、
生き残ることに必死でした。

やがて4月になって、
救援物資が少しずつ行き届くようになると、
みんな復旧へ向けて朝から晩まで毎日一生懸命に頑張りました。
たくさんのボランティアや、みなとを心配してくれた全国の仲間たち。
そして、全国のお客様のたくさんの励ましのお便り。

この変わり果てた石巻で、
また頑張る希望の光や新しい命がたくさん生まれました。

たくさんのご支援のおかげで、震災から2か月後の5月6日、
なんとか業務再開を果たすことができました。

しかし、
想像を絶するほどの壊滅的な被害を被った石巻の現実は今も変わりません。

多くの企業が未だ再開の目処がたたず、
水産関係の仕事もほとんどなくなってしまいました。

業務再開をなんとか果たしたみなとさえも例外ではなく、
お客様データの消失により、
会社の生命線である商品カタログを発送することすらできません。

震災前は夕方まで忙しく働いていた女工さんたちも、
震災後は午前中に仕事が終わってしまう状況…

社長は毎日のように繰り返しています。
「もっと仕事を作って、女工さんたちや社員の家族を安心させてやりたい」
「津波なんかにゃまけねぇぞ!」
「ここで俺たちが諦めたら、石巻の水産業者がなくなってしまう。」
「石巻で生きる希望をたやしちゃいけない」

石巻の未来を担う子どもたちは、
惨劇を経験した後もしっかりと将来の夢や希望を失ってはいません。
たらこやイクラ、数の子などの魚卵は、「蘇りの象徴」とされていたり、
「子孫繁栄の縁起物」として、人生の節目節目に重宝されてきた縁起物です。

だから…
私たち「愛情たらこのみなと」は、これまで以上に愛情をこめて、
丁寧に丁寧に商品を作って、お客様に喜んでいただくことで、
この大好きな石巻の街を一日も早く取り戻したいと思います。

5月の営業再開後は、
逆巻く激流の中から社長やスタッフが必死で救助し、
数日をみなとの避難所で暮らして「おかゆ」をともに食べ、
幸いにも無事に自宅にお帰りになった方々が、
みなとが再開したという噂を人伝いに聞いて、
今もなお「ありがとう」と、感謝の気持ちをわざわざ伝えにご来店されています。

こちらこそ、皆様との出会いや励ましがなかったら、
今の私たちはなかったと思います。
社員一同とても感謝しております。
がんばる理由がまた一つ増えました。

いま、被災地の人たちは必死に踏ん張っています。
私たちを育ててくれた、愛する故郷で生きていくために、
子どもたちの笑顔を絶やさないために…
石巻の復興を信じて応援してくれた全国のお客様や仲間のために…
そして、
今まで以上に暮らしやすく子どもたちの瞳が輝く石巻にするために。
人も、夢も、何気ない日常も戻ってくるまで…
皆様にたくさんの“愛情”をお届けいたします。

ただいま販売中の商品は震災後に新しい原料を使用し、
震災後にも手を抜かずに、たらこ職人が愛情を込めて一生懸命作った、
想いのこもった商品たちです。
次の世代に伝えたい、無添加や無着色のたらこ。
おいしさだって日本一だと思っています。

皆様のあたたかいご支援を励みに
これからもいっぱい愛情を込めて、たらこや明太子を作ってまいりますので、
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

愛情たらこのみなと
湊水産株式会社