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2008/2


 外気の冷たさに震えながらも、立春を迎えると窓越しの日差しに春に向かう明るさを感じるものですね。葉を落とした木々に小さな緑が生まれるのもまもなく。そう、そろそろお雛様を飾ろうと思い立つのもこの時分です。
 雛人形といえば衣装の美しさが格別ですが、お雛様に比べると一見地味なお内裏様の衣装によく見受けられる色として、麹塵(きくじん)があります。麹(こうじ)と塵(ちり)という文字を使うこの色は麹かびの色で、染織家の吉岡幸雄さんの表現を借りれば「緑青にくすんだ抹茶を混ぜたような不思議で魅惑的な色」。山鳩の緑っぽい灰色の羽を指して山鳩色といいますが、その色と麹塵は同じという説もあります。
 さて、その麹塵が人形のお内裏様によく使われる理由は定かではありませんが、おそらくこの色が平安時代、天皇だけが着用できた禁色(きんじき)とされていたからではないでしょうか。実は麹塵は、室内のほのかな明るさのなかでは薄茶色に見えるのに、太陽光に照らされると瞬時に緑が浮き立つように見えるという特長があります。その変化に神々しさを重ねるのか、染色の困難さゆえか……、いずれにしても、いにしえの貴人たちにとっては特別な色だったのです。
 何気ない色が、太陽の光を浴びたとたん、深い緑色になってきらめくという神秘。それは冬から春へと景色をドラマチックに変える命の輝きに、どこか似ているような気がします。


  


浅野屋呉服店では色についてより正確にイメージをお伝えし、また、お客様の思いにより近い色の感覚を共有させていただくために、小学館刊「色の手帖」第1版第22刷を拠り所としています。
今回の麹塵の色味としては、同書のP122をご参照ください。


(エッセイ・羽渕千恵/イラストレーション・谷口土史子)



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