Vol.33 ゲスト:あがた森魚さん 【1】
テレビやラジオ、各種情報誌などのマスメディアで、幅広い評論活動を行なっている竹村健一先生。常に世界各地を飛び回り、独自の視点から最新の情報をわかりやすく提供してくれています。
今回は竹村先生に、常に第一線で活躍し続けるための「健康と若々しさのコツ」についてお伺いしました。
鳴海周平(以下 鳴海) 「赤色エレジー」の大ヒットなどで皆さんよくご存知のあがた森魚さんは、北海道留萌市のご出身で、小樽や函館にもお住まいになっていたことがあるそうですね。音楽に目覚めたのも北海道だったとお伺いしています。
あがた森魚さん(以下 あがた) 僕は留萌で生まれてから小樽へ移り、その後青森や函館、横浜といった港町を転々として過ごしました。父が海運局に勤めていたため転勤で移動していたんです。海運局という堅い仕事の父親だったから、僕はこんなやわらかい仕事に就いたのかもしれません。(笑)
音楽の面白さに目覚めたのも函館ラ・サール高校に通っていた時ですから、北海道とは本当に縁が深いんだな、って思いますね。
鳴海 ミュージシャン、俳優、映画監督など、本当に幅広い分野でご活躍のあがたさんですが、幼少時代はどんなお子さんだったんでしょうか?
あがた どちらかというとあまり目立たない、いつもボーっとしていた感じの子供だったようです。特に高校に入ってからはいつも音楽のことしか頭にないような状態でしたから、さらに輪をかけたようにボーっとしていたんじゃないかな。(笑)おとなしい子供だったと思いますよ。
鳴海 感性が育まれる幼少時代に、様々な港町での生活を体験してこられたことが、あがたさんの作品に大きな影響を与えているのかもしれませんね。
あがた そうですね。特に中学・高校という思春期を、函館という情緒豊かな港町で過ごせたことは大きいと思います。ギターを初めて持ったのも、曲を初めて作ったのも函館ですから。当時はまだ髪を伸ばしたり、ギターを持っていたりするだけで「わー、不良だ!!」とか「ビートルズ!ビートルズ!」とか言って騒がれていた時代でしたが(笑)、なにか夢のある時代でしたよね。