記事詳細
2012/11/09 13:08
先日、ネットで「ビルマの歴史と現状」という本を買うことができました。
発行は昭和17年、私が生まれて間もなくのころの本(送料とも千円)です。
B6版、46ページという「海外文化資料」の中の1遍です。
この本を探す気になったのは 八幡一郎氏の「ビルマの硬玉」
https://www.rakuten.ne.jp/gold/mjade/about-h/bun-1.html
の参考文献に紹介されていたもので久しぶりに読み返してみて知ったからです。
本とは言えないほど薄っぺらいものですが手にすることができてほんとにうれしいです。
仕事柄、翡翠の歴史に関心がありまして、翡翠の輸送ルートにも関心があります。
分厚いビルマの歴史の本を読んでも翡翠のことが載っていることは稀ですし、
多くは緬甸・中国関係の本から断片的に拾い出して楽しんでいまです。
マルコポーロの話が出てきますが14世紀とあるのは13世紀、マルコポーロが通ってビルマに行ったかのように記載がありますが
マルコポーロは緬甸には行っていなくて「永昌あたりまでだったのでは?という疑問がある」と確か『東方見聞録』の脚注で
読んだような記憶があります。緬甸のパガン朝と元の戦いの様子は戦争に参加した人から聞いたのでは?と
また 騾馬に「半噸 500kg」積めるというのはいくらなんでもかわいそう、十分の一 では。
ま、それはいいとして
広東ではアヘン戦争、太平天国の乱などで大きな影響を受けましたし
雲南では回教徒の反乱(1956~1973)など不穏な動きが続きました。
イギリスは緬甸全土を植民地にする前の1868年には探検隊がイラワジ川をさかのぼってバーモまで行っています。
1874年にはここからさらに雲南の探検に乗り出そうとしたとき、マーガリー事件が発生します。
翡翠の中国への運搬ルートもその時々の状況により陸路あるいは海路と変わりました。
翡翠の歴史もNHKの大河ドラマより面白いです。私には、
最終更新:2012/11/09 13:53