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2012/09/10 17:31
以前からのお客様はすでにお読みになられているかと思いますが、現在弊社TOPページからはリンク切れになっていますので
改めてご紹介いたします。
日本産翡翠が初めて論文に掲載されたのは昭和14年、「岩石鉱物鉱床学」という学術雑誌によってでした。
昭和17年、この「ビルマの硬玉」が発表されました。
まるで日本産翡翠の論文を知らなかったかのように・・・・・。
八幡一郎氏は縄文遺跡から出てくる翡翠は日本産だというふうに考えていたにもかかわらず、その確証がないままに
古代海外から来たとすればビルマに違いないと見当をつけて調べたものと推測します。
下記はその一部抜粋です。
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然るに日本の先史時代、及び日本内地並びに南朝鮮の原史時代にあっても、玉を愛用珍重するの風があった。そしてその原料は硬玉であって、支那より招来せられたものではなく、また日本内地及び南朝鮮にその原産地が知られておらぬから、支那以外の地域から齎されたと考えざるを得ず、最近においてはビルマがその候補地に上り、延いては先史時代の交易問題と共に日本先史文化の所傅経路に関しても一つの拠点を得たと推測する傾向を生じつつある。
いずれにしてもビルマの硬玉は、東亜における人文研究にとって、一つの興味ある命題である。私は必要があってこの問題につき若干調べたので、以下にその概要を述べることにした。
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下記 URL コピーして見てください。 全文が見られます。
https://www.rakuten.ne.jp/gold/mjade/about-h/bun-1.html
最終更新:2012/09/10 17:31