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2011/11/22 15:07
「さいわい」にも幸と福と二字ある。
学問的に言うと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、
偶然的な、他より与えられたに過ぎない幸いを幸という。
たまたまいい家庭に生まれたとか、
思いがけなくうまいめぐりあわせにぶつかったとかいう、これは幸。
これは当てにならない。
そうではなくて原因を自己の中に有する、すなわち自分の苦心、
自分の努力によって勝ち得たる幸いを「福」という。
福という字がそれをよく表しておる。
示す編というのは神さまのことだ。示すとは上から光がさしている、
神の光、叡智の光を表す。
旁は「収穫を積み重ねた」という文字だ。
農家でいうならば俵を積み上げるという文字。
神の前に蓄積されたるものが「福」である。
「(安岡正篤 やすおか・まさひろ)一日一言」致知出版社より
明日11月23日は金鶏神社 秋祭「社稷祭」
金鶏神社は埼玉県にあり横濱からは遠いですが心を清めに行ってまいります。
堅い話はこれでおしまいにします。
が
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利害は義理にもとづく
佐藤一齋の言志後録に曰
君子亦(また)利害を説く。利害は義理に本づく。
小人亦義理を説く。義理は利害による。同じく云う。
眞の功名は道徳便ち是なり。眞の利害は義理便ち是なり。
君子――人格者、立派な教養のある人は、
どうかすると利害などというものは説かないように誤解する者がある。
人間に利害はつきもので君子も利害を説く。
然し君子の説く利害は義理が根本である。
義とは実践の法則であり、理とはその理由である。
君子のいう本当の功名手柄は、人間としていかにあるべきかの道徳から出る。
つまり本当の利益というものは、義理にかなうものでなければならぬということである。
ところが世の中の利害というものは大抵義理に反して打算にはしる。これが問題である。
○ ○ ○ ○ ○ ○
(財) 郷学研修所・安岡正篤記念館 HP紹介文より引用
安岡正篤 やすおかまさひろ (明治31年~昭和58年)
明治31年大阪に生まれる。東京帝国大学法学部政治学科卒業。若くして『王陽明研究』『日本精神の研究』等の著作で世に知られる。
大正末期、東京小石川に「東洋思想研究所」を、次いで昭和2年「金鶏学院」を創設。昭和6年「日本農士学校」を埼玉県菅谷の地(現嵐山町)に開校。その狙いは、浮薄な都市文明を離れ、大地に足を着けて東洋の古典・哲学を学び、己を修めて国家社会の為に真に役立つ人材の育成であった。
戦後は「師友会」(後に「全国師友協会」に改称)に拠り、「照心講座(月例)」「教学研修大会」等、全国各地での教化活動に尽瘁、一燈照隅行(いっとうしょうぐうぎょう)を展開し、各地に大きな教化活動の足跡を印している。
昭和45年、「財団法人郷学(きょうがく)研修所」を創設して郷学の振興に努めると共に、道を求める人や有縁の人に古聖先賢からの道を伝えることに尽力。政財界リーダーの啓発・教化・指導に当たり、真正の指導者養成を目指す。昭和全期を通じて一世の師表、天下の木澤(ぼくたく)と仰がれた。元号「平成」の考案者でもある。
その言動は戦前戦中戦後を通じて首尾一貫しており、些かのぶれもない。本物の学問を究めた人の、時代を見通す眼と、何物にも拘束されぬ真の強さを、ここに見るのである。
現在は著書・講演録も多く出版され、政治も経済も、そして人心も混迷の度を深める時代にあって、その教えは世代を超えた人々の拠り所となり、人間として、また国家としてのあるべき姿を求める人々に、深い感動と人生の指針を与えている。
昭和58年12月逝去。享年86。
最終更新:2011/11/22 15:12