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2010/04/30 16:03

史上最も高い値がついた勾玉は昭和11年4月、大阪で開催された日本美術倶楽部主催の香雪斎売立の時出品された

ものであろう。

香雪斎昭和12年勾玉上.jpg
昭和11年4月 香雪斎売立に出品された勾玉




今回はその勾玉を出品した人とは一体どんな人だったのかをごく簡単にお知らせします。

香雪斎は「関西実業界の大立者」といわれ、明治45年75歳で他界した時点で「日本で5指に入る大富豪だった。

長州の萩で生まれ、明治2年、28歳で大阪に出、明治10年、西南戦争では軍靴を納めて、巨利を得、藤田組の基礎を固めた。

その後鉱山業、岡山県児島湾の干拓、京都、大阪間の鉄道敷設、佐世保、呉の軍港などの巨大工事の施工、大阪毎日新聞

の設立など枚挙にいとまがない。

「関東では箱根小湧園、椿山荘は彼の別邸だった」といった方が理解しやすいかもしれません。

「香雪斎」とはもちろん雅号であり本名は「藤田伝三郎」といいました。

香雪斎は古美術品の収集でも有名で明治維新後、旧家や社寺が所蔵していた美術品が一時に世間にあふれ出たが

世間がほとんど見向きもしない中せっせと買い集めたという。当時はお城でさえ、手入れもされずに荒れ放題ならまだ

いい方で多くが取り壊された時代です。

茶器の名品といえども瓦礫と等しい扱いにされたり、安値で海外に売られたりした時代にせっせと集めたのは

もともと好きだったとはいえなかなか出来ないことです。

自分の鑑識眼だけで買っていたので当然、偽物も大量に買い込んだといいますが研究熱心だっただけに

ついに玄人に教えるようになったといいます。

現在、香雪斎が所蔵していた多くの名品が各地の美術館や博物館に納められています。

昭和11年4月 香雪斎売立に出品された

そのうちのひとつ現在、上野の東京国立博物館にある「有楽井戸茶碗」は昭和11年勾玉と同時に出品され「電力の鬼」

と言われた松永安ザ衛門が増田鈍翁に競り勝ち手に入れたもので終戦後寄付したのです。

当時茶道では鈍翁のほうがあらゆる点で上だっただけに鈍翁の悔しさは誰でも容易に想像できるでしょう。

歴史は時たまいたずらをするんですね。





最終更新:2010/04/30 16:14

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