苔探訪 苔の名園・旧跡等を訪ねて 〜自然に学ぶ苔の育て方〜

苔の名園・旧跡

   苔の里


苔の名園・旧跡等を訪ねて      〜自然に学ぶ苔の育て方 初心者必見です〜
 1.奈良 唐招提寺
 2.滋賀 信楽焼 陶芸の森
 3.三木市 秀吉本陣跡
 4.滋賀県信楽町 ミホミュージアム


京都の名園
 1.西京区のお宮さん
 2.松尾大社
 3.等持院
 4.竜安寺
 5.大徳寺 高桐院
 6.大徳寺 瑞峯院
 7.大徳寺 大慈院
 8.城南宮




1.奈良 唐招提寺


自然のハイゴケ

株元のヤマゴケ

霊園を訪ねて

ハイゴケ

スギゴケ

井戸




2.滋賀 信楽焼 陶芸の森

2017年7月27日
山の斜面を利用した登窯
ハイゴケ
小川のハイゴケ


2017年8月18日
シノブゴケ
スギゴケ




3.三木市 秀吉本陣跡

展望台の下 ヤマゴケ
下山
下山




4.滋賀県信楽町 ミホミュージアム





西京区のお宮さん


2020年1月17日 その2 次いて京都市西京区にあるお宮さんへ。

このお宮さん当方の実家近くにあって親しみは小さい頃からありました。


手水鉢には山からの湧水が流れているのですが、回わりにはアリドオシといわれ、一両とも別名でいわれる正月の縁起物の植物がたくさん見られるのでした。


このようにあちらこちらに見られるのでした。


中には大きな大木の根元には、大きく生長したアリドオシが見られ、赤い実が稔っていました。


拡大アップ画像です。少しピントがズレているのはおゆる下さい。


よく見ると、おそらくはトサカホウオウゴケと思われるホウオウゴケがあちらこちらに見られるのでした。


やはり山を後に控えているだけに、環境がそうさしているかと思われます。


こんなところにも。


石垣にはマメヅタがびっしりと張っているように生育しています。


やはり空中湿度が高いのではと思われます。


境内には侘助系の椿が植えられているのでした。


お正月の頃より咲く品種としては雛侘助ではと思うのですが。


あちらこちらを観察していますとチャセンシダも見られるのでした。


そう多くは自生しているのではないのですが、身近かに見られる生育地はそうあるものではないのと思われます。




松尾大社


その3 次いて洛西の守護神である松尾大社へ

先日実家へ帰りました折に、初参りを済ませておりましたところ、境内にヤブツバキと思われない椿の花が咲いているのでした。やはりお宮さんだけに大きく育っていました。


望遠レンズを自参しましたので拡大アップがうまく撮映できたような。


昼尚暗いのはどこも同じ、光量不足にて少し見にくいですねえ。


ヤブツバキの突然変異かもと思われたりするのですが、当方の勉強不足にて、判断がつきません。


足元の黄花が咲くヤマブキにアオツヅラフジがまとわりついていました。


本殿側から見ました椿です、


松尾大社本殿です。


この松尾大社の紋もフタバアオイです。フタバアオイといえば葵祭りで有名ですが、松尾神社にも由来があるのではと思います。


境内には酒の神さんだけあって、その資料館があります。ところがそれらの屋根には空中湿度が高いと見え、スナゴケが育っているのでした。


京菓子を販売しておられる詰所なのですが本日はお休み。環境が合いますとこのようにスナゴケが育っているのです。


湿度と水はけと適度な日光等色々とマッチングしているのではと思います。




等持院


その4 有名な椿 有楽が咲く等持院へ

京都に長く住んで始めてお参りする等持院。やっと見つけた駐車場から歩いて行きますと、目に止まったのは多分「ソヨゴ」では。


そのソヨゴから方丈へとお参りする参道は通行止。何やら解体修理をされている様子。


山門をくぐり、書院へ。臨済宗天龍寺派だけあって、書院作りの入口。


その庭にはイワヒバが育っているのでした。


拝観料をお払いし、お庭に。そこにはクチナシの赤い実が実に美しかったこと。


案内いただきました「有楽椿」はこの芙蓉池の築山の中心部に植えられており、創建当時1300年代、数えば600年以上の歴史のあるお寺です。歴史ある等持院のこの庭は夢窓疎石作とされていますが、その後に改作されているのでは、その折に有楽椿が植えられたのでは。その当時はどのような名前で呼ばれていたのでしょうか。築山の中心を為す大きな木が有楽椿です。


庭の左手に見えるのが茶室清漣亭といわれ1457年に尊氏100年忌に建てられたようです。おそらくはこの茶室が建てられた時に庭は改作され、有楽椿も植えられたのでは。


お目当ての有楽椿、咲き始めなのですがたくさん咲いていました。幹周り100cmを超えるといわれ、樹齢は相当なもの。この有楽椿を調べますと、学術的にも注目されているのはかなり以前より、とのことがわかりました。
調べると子房に毛があるという本邦産のツバキ(ヤブツバキ)と異なる点です。そして染色体も異なり、中国にあるツバキ属はほとんどが有毛とのこと。考えられることは中国からの渡来か種間雑種と思われてきた歴史がありました。
その雑種の親はといいますと、日本のヤブツバキによく似たピタールツバキ(貴州省、雲南省、広西省に分布)が近年のDNA鑑定でわかってきたようです。
有楽椿の由来は茶人の有楽斉がことのほか好んだ椿であったことから呼ばれたとのこと。おそらくは臨済宗建仁寺派の高台寺月真院には、有楽斉自らのお手植えとの言い伝えのある太郎冠者の大木が育っているところから、有楽椿と呼ばれるようになったと思われます。
その当時は太郎冠者と呼ばれていたのでしょうか。いずれにしましても有楽椿はその時代には賞翫されていたということになります。有楽斉は戦国の武将であり、織田信長の実弟、時代は室町時代から安土桃山、そして徳川時代を生きた人です。茶の湯を利休に習い「利休十哲」に数えられました。茶道有楽流、いわゆる大名茶でした。

それはそれとして、有楽の咲き始めです。


次々と咲く有楽。


いかがでしょうか、この有楽。


静寂な中で凛として咲く有楽。


咲き始めだけに散椿もこれからです。話は変わりますが、こんなところにもウマスギゴケが見られました。


環境が合わないだけに充分に育っているとはいえませんが、何百年間生き続けているウマスギゴケと思われます。


茶室の清漣亭脇に椿の「月の輪」と思われる木が植えられていました。


多分「月の輪」だろうと思うのですが。


株元には乾燥を防止するよう、職人さんの気くばりが見られます。


有楽椿と離れ際には再度、見るのでした。


午後からは曇り。少し光線量の不足でしたが、名残こりの有楽です。


再度おたずねをしたいと思いながらの別れの有楽でした。


庭にはアリドオシが長い月日の間に自然生えしたのでしょうか。


赤い実がたくさんついてます。一両とはよくいったものです。


散策しておりますとヤマトフデゴケが目に入りました。


こんなところでヤマトフデゴケが自生するとは、と思いながら庭に張るのにはどうしたらよいかと考えてしまいます。


こちらにはハイゴケらしい苔が育っています。


少し乾燥しているだけに縮んでしまっているハイゴケ。雨の後はきれいに見えるはずです。


現在工事中の方丈です。


その方丈あたりから見る有楽椿は、やはり、この庭の中心を為すよう設計されていたのでは。


庭を回らせていただき元の書院へ。有楽椿が築山の中心と為して、花の見られない冬から早春の庭を演出してくれるよう作庭してあるのでは。そしてその有楽椿を使って書院の茶、草庵の茶というように茶会が開かれたことかと。


咲き始めですから目につかないのですが、満開になればさぞ美しい景観になるのでは。


玄関にて入りました折には気がつかなかったのですが、正月の飾りに餅花が生けてありました。白餅だけで作られている少しイメージを変えた餅花です。


山門にあるお庭には鬼瓦が演出されています。この庭を手入れされている植木職人さんの心ずかいですね。


いかがでしょうか、亀の鬼瓦。厄除けとして両屋根の端に飾られていたのでしょうが、現在はお役目も終えて、お訪れるお参いりの方々のおもてなしとなっているのでは。


帰りの参道には八重侘助の椿の花が咲いていました。植木職人さんの心ずかいでしょうか。




竜安寺


その5 侘助で有名な竜安寺へ

竜安寺といえば石庭です。山門をくぐり抜け、手入れの行き届いた参道です。


その参道に巨石が配置されているのですが空中湿度の条件が良いと見え、ハイゴケがびっしりと育っているのでした。


よくもこのように、何十年という歳月かと思われ、なかなか見ることのできないハイゴケがそこに育っているのでした。


この大きな蹲を見まして、さすが竜安寺と。その昔、どこかの橋桁に使われたのか、わかりませんが、使用済みの石材を使っての蹲。広い庭にぴったりの創作力です。


見たこともない大きさのマンリョウです。よく見ますとあちらこちらに育っているだけに、されどマンリョウです。


ふと見ますとヒノキゴケが育っているのでした。


手入れの行き届いた参道脇にこのように育っているヒノキゴケ、京都のお寺は苔が美しいといわれるのも頷けます。


かつては大寺院、やっと方丈の前にたどり着いたのですが、見ると白い花の椿「白侘助」が咲いているのでした。この「白侘助」かなりの大木。ひょっとすると原木ではと思わせる歳月。ネット上では竜安寺に侘助と評されていますが、白侘助はヒットしません。びっくりするというより驚きでした。


秋の11月より先始めるという白侘助。ひっそりと咲く白侘助。方丈の前にて侘びを感じさせて咲いていました。


表情豊かに咲いている一枝の白侘助。


大木とあって季節柄、白い花をたくさん咲かせています。


その一枝。訪ねる参拝の人々に知られることも無く、静かに咲いていました。
後日色々と調べるのですが竜安寺に白侘助の存在を知らしめる資料はなく、謎のスポットです。江戸時代に生まれた白侘助ですが、その頃よりここ竜安寺に植えられていたと思われます。


この一枝、なんともいえないだけに最後に。


庫裡から上がらせていただきますと、そこに正月らしく仏手柑が飾られていました。なかなか立派な佛手柑です。


方丈に入りますと、空間を演出する石亭へ。少し曇天が残念なお天気でしたが、冬の京都は仕方がないとあきらめ思い。


表現を豊かに石を置かれ、さすが禅の境地です。


方丈では団体の観光客に対し、竜をえがかれている襖の解説をされているところでした。明治に入り、それまであった狩野派の襖絵は売りに出され、今日この襖となっているようです。


やはり石亭も良いものですが、苔の庭も。


方丈をひと回りさせていただくと、おめあての「侘助椿」がそこに植えられているのでした。残念ながら花の咲く季節には至っておらず老木だけを見る本日。加藤清正が朝鮮より持ち帰り、秀吉も評したという、。この侘助椿もこの竜安寺の観光に一役買っているのではと。


臥龍梅の襖絵。この季節、椿の香りが漂うように咲かせている臥龍梅、石亭と対と為しているのでは。


土塀と石、苔と白砂。冬の静寂を演出している禅の世界。心が洗わされました。


方丈を退出しました後の勅使門。現在は開かずの門となっているとか。


その勅使門の階段付近ではウマスギゴケが育っているのでした。


やはり石亭より一段と低い位置。石亭に降った雨水がここから辺りを潤しているのでは。


広い境内、池泉回遊式になっており、池にそそぐ谷から流れるせせらぎにはセキショウが。


椿が一輪。


赤い花を咲かせていました。侘助系でしょうか。


参道脇には苔がきれいに育っています。いろいろな苔が見られるのですが。


トサカホウオウゴケがこのように見られるとは。


そして青々としたヒノキゴケも。


巨石には苔むした姿を見せ、おそらくはハイゴケらしき苔が被っているのでした。




大徳寺 瑞峯院


2020年3月17日 椿の花咲く椿の名所 大徳寺へお参り。 その1、加茂本阿弥の花咲く瑞峯院さんへ 椿 苗販売 苔販売。

大徳寺総門。コロナウィルスの影響か、人影も。


境内参道も静かなたたずまい。


目的の瑞峯院さん。苔むした境内。ウマスギゴケがきれいに育っています。


創建当時の姿を残しているとされている唐門。天文年間とのこと。前回お訪ねした折にはこちらの椿加茂本阿弥は咲いておらず、折を見てお訪ねしました。大徳寺のある紫野は京都市の北に位置し少し寒い気候、花が見られるのもやはり遅いのでは。


この加茂本阿弥、植えられて年数は相当なもの。原木かそれに近いのではと思われます。表面、本堂(方丈)も合わせて創建時の遺構とのこと。但本堂への入口とされる玄関は唐門からその後この玄関へと移ったのでは。その折に植えられた加茂本阿弥と考えられるのでは。


見上げる程に大きな巨樹。仮に創建時とすると約500年の空間を埋めているのでは。今後いろいろと検証して見たいと思います。


いずれにしましても瑞峯院の加茂本阿弥色々と調べるのですがそう話題に登らず、その存在は世間にはあまり知られていないのが現状かと。椿で白花といえば白玉と加茂本阿弥といわれるぐらいの知名度の高い割にはというところです。


それはそれとして、本日は加茂本阿弥を楽しみたいと思います。羽を広げたように咲く姿は雄大です。「大徳寺の茶づら」といわれるだけあって瑞峯院の看板木です。室町時代末期侘茶の流行と合いまって椿がもてはやされたかと考えられます。


見上げるように咲いている加茂本阿弥。訪れる参拝客の方々のおもてなしをしているのでは。その昔椿の花が貴人のみの時代、かなり高貴な花であったことを考えますと、うなずけます。


日陰に育つカンアオイ、ミヤコカンアオイの群生が見られるのでした。ここに至るまでに相当な年数を経ているのではと思うぐらいの大きな株です。


老樹に咲く一輪といったところでしょうか。常日頃見る加茂本阿弥とは少し違った花に見えてきます。


天空に咲く白い椿。


楽しげに咲く大輪の白椿。


輝くように咲く白一重の椿。


木陰でうつむきかげんに咲く白椿。


ほこらしげに咲く白椿一輪


清楚に咲く加茂本阿弥。


方丈への渡り廊下に咲く赤花の縦絞りの八重椿


今しがた、白花の大輪の椿の花をたくさん見て来ただけに、この庭の赤椿は鮮明さを覚えます。


方丈の庭。独坐庭といわれる枯山水。半島に打寄せる荒波。その遠くに見える赤い椿の花。


方丈の中、近ずかせていただくことに。


赤系の椿の花があふれんばかりに咲いていました。


一見して乙女椿系かと思いましたが、この花を見ると露蕊。後に調べますと「王昭君」かと。


そのお隣はさびしげに咲く紅侘助では。


左側の王昭君は花盛り、右側の紅侘助?は花数がほとんど見当たらず、咲きにくい品種であることがわかります。


独坐庭の枯山水のお庭を見せていただいている間に、ふと塀越しに白い花咲く椿が。


その白い椿の花。その白い椿の花。


方丈を一回わりさせていただき、帰り際には赤椿を再度見せていただくことに。


後日品種名を調べましたがよくわからないのです。「初瀬山」ではと思うのですが。


玄関を出まして笑顔で送ってくれているような見返えりの加茂本阿弥。本日、出会いがあって、一つ山を越したうれしい気分になれる日でした。




2020年2月11日 椿 苗販売 苔販売 椿の名所 大徳寺 瑞峯院

椿 加茂本阿弥で有名な瑞峯院さんへお参りに。


瑞峯院山門。戦国大名で有名な九州大友宗麟公の創建されたお寺です。


門前にはヤマトフデゴケが見られるのでした。


ヤマトフデゴケ、この辺りに生育する条件が整っているのか、不思議な思いがいたします。従来ヤマトフデゴケといえば山間部の環境下で育っているのでした。ということはここ大徳寺も同様の環境かと思われます。その昔、辺りは紫野といわれる通り、かなりの田舎、その環境が現代の大徳寺には守られているのかもしれません。


玄関に入り、上がらせていただき、方丈へ。その渡り廊下からは椿が。


開花を始めたところのようです。


方丈前の庭、独座庭です。案内には寺号、瑞峰をテーマにした蓬莱山式庭園とのこと。


方丈裏にの庭、閑眠庭です。


閑眠庭と安勝軒の案内の札。


茶室安勝軒をのぞかしていただくことに。


三畳台目、送勝手席と三畳角炉の席です。


椿 加茂本阿弥は院内庭園にあると思っていたのですが、どうも玄関前に植えられているのがそれらしく、お参りをすませてからの出口にて気付きました。


季節的に咲かない加茂本阿弥、まったく気づきませんでした。というのはやはり大徳寺は京都洛北、気候が寒く、開花が遅いだけに感違いしました。いずれにしましても巨樹。玄関前に植えられているということは創建当時に植えられたものか、とすれば安土桃山時代となります。おそらくは原木に近い加茂本阿弥では。


見上げる高さに育っています、歴史を感じさせる加茂本阿弥です。


株元はやはり相当なもの。社寺と椿。鎌倉時代より禅文化と喫茶、後の室町時代の茶の湯と発展につながり、茶の湯と椿が切っても切れない関係へとなっていましました。そのようなことで禅宗寺院と椿。特に大徳寺は「茶づら」といわれるだけあって銘椿が見られるのはその由来ではと思われます。


帰路勅使門を再度仰ぐことに。実はその門前の参道の自然石の間にヤマトフデゴケが見られるのでした。


そのヤマトフデゴケ、何十年、或は何百年の間育っているのかもしれません。通路だけに大きくは育たないのは仕方のないことかもしれません。


育っているヤマトフデゴケはないものかと辺りを散策しておりますと、やはりよく育ったヤマトフデゴケが見られました。遠くの山へ行かなくても見られる環境がこの大徳寺で見られます。苔好きな方は一度お参りにいかがですが。




大徳寺 高桐院


2020年2月11日 椿 苗販売 苔販売 椿の名所 大徳寺 高桐院

大徳寺 千利休が山門を修復した折、その千利休の木像を安置したことにより、秀吉の怒りを買って利休切腹となったといわれる有名なお話し、或はトンチで有名な一休禅師が大徳寺を復興したお話し。そして千利休と関係が深かったというように茶道と縁の深いことから「大徳寺の茶面」と呼ばれた歴史のある大徳寺です。本日は数ある塔頭の内「高桐院」へお訪ねすることに。


大徳寺総門。 旧大宮通りに面しており、お参いりの際はこの総門から。


参道からすぐに勅使門を仰ぎながら「龍源院」の塀の下を見ますとウマスギゴケが良く育っているのでした。日陰を好み、水を好むという性質をよく現しています。


参道からはこのように見られます。


山門です。千利休の有名なことは歴史で学びますが、現在は通れません。


その山門を過ぎたところはよく苔が育っています。


次いで仏殿です。


その仏殿の前庭にもウマスギゴケ等いろいろな苔が見られます。


本日の目的の「高桐院」さんへ。高札には肥後の太守細川家の菩提寺であることが案内されています。


参道の両脇には苔がよく育っています。


朝日を受けながら逆光で、うまく山門が撮れたでしょうか。


山門に入りますとそれはそれは美しい苔。よく見ますとツヤゴケです。


ツヤゴケの庭とはこのような感じになることを始めて知りました。石畳とよく育ったツヤゴケとの調和がおりなす参道です。


露地ともいうべき道路、空間を狭めた作庭家の意匠が込められた庭であることがよくわかります。そしてそこにもコケがびっしりと揃うように生えています。


拝観順位としてまずは本堂へ。その本堂南の間なのでしょうか、達磨大師の描かれた掛軸が掛けられていました。床の間が飾られるようになったのは室町時代、それより以前の鎌倉時代には書画はこのように吊り下げられ鑑賞されたのではと思われ、その時代が伝わっていることがわかります。


本堂前にある南庭。本堂南の間から越しに


そして本堂より室越しに細川家代々の墓所も。


秋の紅葉は実に見事なお庭となっておりますが、今は冬。静寂なわび、さびを感じさせるこの季節もよいのでは。


本堂には茶室も設けられておりました。


その、床の間の花入れには有楽椿が万作とともに生けられていました。


墓所へお参り、細川三斎公とガラシャ夫人の墓石です。


その奥には細川家歴代之墓。


その墓所には椿雪月花が植えられているのでした。


高い所に咲く雪中花。細川家墓所と融け合ってわびを感じさせられる椿です。


苔むしたこの墓所、塀越しに見なれたコケが育っているような。


よく見ますとホウオウゴケ、おそらくはトサカホウオウゴケでは。このような所で見られるとは。


このように塀に沿って育っているのでした。


書院の庭には灯篭が一基、長い歳月の間に被われた苔が見られるのでした。


どうもハイゴケのような、雨の後は実にきれいに化粧したように見えるのでは。


足元には鈴成にたくさんの赤い実をつけた一両、つまり植物名アリドオシが見られるのでした。


これだけの実をつけたアリドオシを見るのも珍らしくもう一枚撮影。


茶室鳳来の西部露地の降りつくばいには加藤清正公が朝鮮より持ち帰ったとされる朝鮮王城の礎石を使って袈裟型の手水鉢が置かれていました。


その手水鉢にも様々な苔が見られるのです。


書院。千利休居士の邸宅を移築したとされる建物を見せていただくことに。


その奥には二帳台目松向軒が見られます。この茶室は利休七哲の細川三斎公の手で建立されたとされる名茶席です。


帰り際には参道から茶室らしき建物。そこには苔むした門が見られるのでした。


どうもハイゴケのようです。年月を感じる苔です。


そのようなことで高桐院さんの一日でした。






大徳寺 大慈院


2020年3月17日 椿の花咲く椿の名所 大徳寺へお参り。 その2 胡蝶侘助の咲く大慈院さんへ。 椿 苗販売。 苔販売

瑞峰院さんを出まして右側へ、参道を右折れしながら、奥深く山門が迎えてくれるのでした。
大慈院さんお庭は一般公開されていないようですが、境内には精進料理の泉仙さんが営業しておられるお寺さんです。少し椿の花を見たさに山門をくぐらせていただくことに。


山門から入って右側に例の椿。向こうの松皮葺の屋根は瑞峰院さん。お庭には落葉を掃き清めておられる植木屋さんらしき方がおられましたので、撮影の許可をいただくことに。そしてついでといっては何なのですがこの椿の品種名をおたずねさせていただきました。


すると「品種はようわからんです」とのこと。当方はともかくも撮影させていただくことに。


この季節咲き始めのようです。3月〜4月咲き性の品種かと。


後姿も品種の決め手になるのでは?


よく咲いている姿も。


更にもう一枚莟を撮影。


掃き集めてある加茂本阿弥の落ち花。苔の上によく似あいます。ここにもヤマトフデゴケが育っています。


その加茂本阿弥の椿です。瑞峰院さんのそれと比較しましてかなりの若木。これは仕方ありません。


その加茂本阿弥。若々しく咲いています。


小枝に囲まれながら元気に咲いています。


これは「紅妙蓮寺です」と御案内いただきました。


真盛りに咲いている妙蓮寺椿。やはり京都では妙蓮寺の名前がピッタリでは。その妙蓮寺の前に立っているスベスベの肌の樹木、ナツツバキでは?きっと花の咲く夏の頃には白い花がたくさん咲いているのでは。お訪ねできればと思います。


妙蓮寺を撮影さしていただいている間に作務衣に着替えられた植木屋さんが現われ、「奥に胡蝶侘助が咲いています」といっていただきました。ここでわかったのです。植木屋さんでは無く、この大慈院の御住職であることを。


参道を曲がり奥まったとこに唐門があります。オシャレな景観です。そして日光(紅唐子)が咲いているのでした。


塀越しに見る日光も意匠的です。


その日光。


瓦の上に咲く日光。


唐門から見る方丈。演出された空間が広がり、別世界へ導かれている思いがいたします。


見越しの松の枝より見える胡蝶侘助、その大きさに驚きです。


空間を被っている胡蝶侘助です。そこへ法衣姿の御住職がいでまし、一礼するのでした。「外にも黒椿が咲いていますよ」と気軽にお声をかけていただき、重ね重ね感謝する次第です。


「今年は花が少ない年です。たくさん咲く年は見事ですよ」といっていただき、その年に出会えましたならと思う次第です。


石灯篭と瓦、松の老木とそこに凛として咲く胡蝶侘助。時代を感じさせる空間です。やはり天正年間に創建された歴史があります。


スギゴケに胡蝶侘助。ここでしか見ることのできない演出では。


苔の間に石の頭がのぞいているのです。心憎い演出効果にこの石を埋められた作庭家に驚意を評します。何んでもないことですが昔の職人さんはすごいです。


太い幹が本来の胡蝶侘助。手前の胡蝶侘助は後世の自然実生ではと思えます。そして青々とした苔、ツヤゴケでしょうか。そこに椿の花。人の訪れることの機会が少ないこのお寺大慈院さん。静寂さの中で演出されていました。


当方只今胡蝶侘助を調べております。この大慈院さんに植えられたのはいつの頃かと。江戸時代文政の大地震(1830年)により倒壊されたとのこと。その後古材により縮小して再建されたらしいのですが、詳しいことは不明。「昔はこの胡蝶侘助、簡単には植えさせてもらえなかったようです」と御住職のおことば。それだけにこの方丈の庭に植えられた胡蝶侘助だったのでは。


寂しげに咲く胡蝶侘助


侘びしく咲く胡蝶侘助


胡蝶侘助を見せていただき、境内大きな椿をあちらこちらと見せていただくのですが、この椿花は終わったのか、苔の上に落ちているのでした。


小輪系の椿のようです。苔と椿の花、そしてお寺。


山門を出まして奥深い参道にはサンシュウの花、漢字では山茱萸という字を書くのですが季節を迎えていました。


よく手入れされたサンシュウの木です。古木の風格を充分に味わえるサンシュウ。


サンシュウといえば枝は箒立ち。その素性をまったく感じさせない手入れに匠の技を感じさせます。


塀越しには瑞峰院さんの加茂本阿弥が見えるのでした。






城南宮


2020年2月20日 椿 苗販売 椿の名所 洛南 城南宮(1)

その昔、京都御所の裏鬼門を守る神となったことから方除けや厄除け神として信仰されるようになった城南宮さんです。慶応4年の鳥羽・伏見の戦いの主戦場となったもこの地であったようです。この季節城南宮といえば梅ですが、当方は椿の名所として訪ねることに。


東の参道よりお参りすることに。


本殿にまずはお参りを済ませることに。この本殿近年火災に逢い消失し、再建されただけあってお社は新しく見えます。


神苑を一巡するのですが、その入口には大きな初嵐白玉がおでむかえしてくれています。


高い所に咲いている白花。少し花付きが良くないのか、淋しい咲き方です。


乙女椿も咲いていました。小枝に隠れて咲いているのもほほえましい。


その乙女椿です。この城南宮さん、椿の名は高札となっており、おくゆかしさを感じます。


次いで蝦夷錦、後でわかったことなのですが境内神苑にはこの蝦夷錦が多く見られます。


蝦夷錦より枝変わりとなった紅蝦夷です。


花は少し終わりかけていましたが白卜伴。


その白卜伴です。高札には白色 唐子咲 中輪と書かれています。12月-3月とも。


お隣りは有楽(太郎冠者)


感じよく咲いています。


胡蝶侘助の花が目に入りました。


その胡蝶侘助です。高札には紅色 白斑入り 猪口咲きとあり、12-4月とも。


白玉です。


その白玉、高札には白色 一重 筒咲き 京都の名椿 中輪と書かれています。


こちらにも白玉の花が咲いています。


かなり大きく育っているのですが、高札には初嵐と書かれ白色 一重 筒咲き 11-3月と書かれています。


たくさん咲いている白花の椿。


その中の一輪、うつむき加減に凛として咲いている白一重の椿。高札は無く、ホワイトラベルにて藪椿とされ白色一重と記されていました。


花は霜で少し痛んでおりましたが、この白色一重、素人ながら何か銘はあるのでは。


月照の白花


植えられてそう年月は経ていないのか、高札に至っておられない椿です。出所は愛知県の花です。


曙。霜で少し花が痛んでいるのですが。


高札には 曙 あけぼの 淡桃色 一重 椀咲きとされ2-3月と記されています。


その曙の開花した花です。


孔雀椿です。遅咲きの花由まだ花は見られず少し残念です。


白侘助 楚々として咲いてくれています。


加茂本阿弥。高札には白色 一重 椀咲き 2-3月と書かれています。


金華茶です。少し寒さに弱いと聞いておりましたが、城南宮辺りでは越冬するようです。


城南椿と書かれています。


濃赤色 筒咲き 小輪 2-4月と説明されています。 ヤブ椿の個体変異なのでしょうか。




2020年2月20日 椿 苗販売 梅の名所 洛南 城南宮(2)

神苑を椿の咲く参道を行きますと、突然明るくなり、しだれ梅の競演する「春の山」へ


紅白の織りなすしだれ梅。実に見事なながめです。なる程みなさん行列を為してでも来られる理由はこれだったのです。


寒い冬を耐え、春のいぶきを感じさせる梅の花。やはりみなさん春の訪れを待ちわびておられるのです。


白梅のしだれ。ほど良い配置になっています。


白花八重咲きしだれ梅ですねえ。


見事な梅花。しだれ梅とは考えられたものです。


まるでシャワーですねえ。


城南椿との共演もなかなか良いものです。その城南椿も青竹をバックに侘びしく咲いている姿も一枚の絵になりそうです。


そのヤブ椿の落花を苔の上に乗せ、梅の花と椿の花。そして緑の苔と、三拍子揃ったこの場面、インスタ映えするわけです。何も城南宮さん宣伝しなくてもこの時代知るところとなります。時代は変わりました。


緑のじゅうたん。点となった赤つばき、なかなか人気スポットなのもわかります。


表舞がしだれ梅の咲く「春の山」なら、ここは裏舞台。自然に為す景観は城南宮さんも想定外だったのでは。




2020年2月20日 椿 苗販売 椿の名所 洛南 城南宮(3)

神苑は椿の参道、そして梅の花咲く「春の山」へと。ここは再びわびの花咲く椿園へと続きます。


加茂本阿弥が再び見られるのでした。


この花は加茂本阿弥の八重咲き?高札が無いだけに城南宮さんも品種不明の状態では。「玉牡丹」か「白角倉」あたりではと思うのですが。


加茂本阿弥と書かれた高札が建てられところに赤花八重咲きが咲いているのです。やはり城南宮さんも困っておられるかと。


おそらくは「紅傘」では。母品種は「絵日傘」多少調べなければと思うことはこの神苑に見られる蝦夷錦の抜けではと思うことです。


乙女椿。


高札は無いのですが、おそらくは省かれたのでは。


日光。京都では古くよりそう呼ばれております紅唐子です。


高札には日光(じっこう)(紅唐子) 紅色 紅唐子咲 小輪 3-4月と記されています。


日光の咲き始の頃と見受けられます。


有楽がこんなに花を咲かせています。


日陰でおそらくは株元に落葉が積もって椿にとって好条件となったものと思われます。


有楽の斑入りが見られました。ウイルス斑だけに有楽はその歴史から見て耐痛性があるかと思われましたがやはりウイルス斑は見られました。


蝦夷錦がたくさん花を着けています。


代表的な花を選んで撮影しました蝦夷錦です。


椿の咲く神苑を抜け出しますと池泉回遊式庭園へ導かれていきます。築山そこには美しい苔が育っているのでした。


曲水の宴遺水と書かれた案内があり、ここで平安絵巻が演じられるところです。


カラー掲示板にはその時の様子が。


ウマスギゴケが一面に張られております。梅雨の頃には美しいスギゴケも今は冬、雨も少なく気温も低く、美しさは伝わって来ない季節でもあります。


このようなガイドが為されています。


このスギゴケの庭園、さぞかし手入れが大変では。


お茶室の前の庭は特に手入れが行き届いており、実にすばらしい景観では。


紅白の梅が咲き、社殿との調和が一体と為しており、茶室から見るにすばらしいものであろうと思われます。


マガモが一羽、羽根を休めております。安心できるところなのかもしれません。


加茂本阿弥がこんなところにも植えられれいました。


貞明皇后御小休所の記念碑の前に植えられた加茂本阿弥。


美しく咲いていました。


その向側には肥後椿らしき花が咲いています。


開花はこれからというところでしょうか。


参道は続くのですが、ハイゴケとウマスギゴケの自然の景観、京都の美しさはこんな所にも。


そのハイゴケは雨も降らず、冬季休眠中の御様子。雨の後に訪ねるのもよいかもしれません。ちなみにハイゴケは明るい半日陰に育つ苔であることがよくわかります。話しは変わりますが、苔玉に利用するハイゴケ室内に置かれては枯れるのは環境に合わないことがよくわかります。御参考までに。


城南宮辺りは平安時代上皇が離宮を造園したところです。遺構の一つがこの城南宮ともいわれています。その当時の離宮を再現した「城南離宮」と呼ばれる庭園です。






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