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2013/04/16 23:28
母方の祖母が先日亡くなりました。
僕が高熱を出して布団で寝ていた時にその訃報を知りました。
年末からもう何回も「そろそろ厳しい」とお医者様に言われ続けていたので、
何回もお見舞いに行っていました。
最初の頃は僕ら孫が行くと、思ったより元気で、
まだまだ絶対に死なないよ!
おばあちゃんは生きる気力がまだあるから!
そう感じ続けていましたが、
一週間前に、結果からみたら最後に会ったその時は、
今まで祖母から感じたエネルギーが急に萎んだのです。
「ああ、もう長くはない。そろそろお別れが近いな。」
そう思いながら家を後にし帰ったのですが、
結果から思うと今週も仕事をどうにかして会いに行くべきでした。
はい、僕は後悔しています。
実は父方、母方をとおして最後のおじいちゃん、おばあちゃん世代として、
僕にとって大切な存在だった祖母。
とても厳しい埼玉は片田舎の農家に生まれた僕にとって、
母方の祖母は「魂の休憩所」でした。
最後の逃げ場は祖母だったのかもしれません。
今でも覚えているのは、
父兄参観で水泳を上手く泳げなかった僕は、
大好きだった野球を無理やり小学4年生の時にやめさせられ、
スイミングにかよわされた時の事です。
もう嫌だこんな人生。好きな事も続けられないで!
こんな人生死んでしまおうか!
そのくらい思っていたのですが、
その時祖母は僕のむしゃくしゃが気になったのか、
その前から僕が乗りたがっていた、
祖母の乗っていたスクーターを田んぼ道で乗せてくれたんですよ。
なんだか気分がふっきれる思いがして、
そして祖母は
「スイミングで泳げるようになれば、きっと野球をやらせてもらえるよ」
っと優しくアドバイスをくれました。
確かに水泳が下手で野球を辞めさせられたのですから。
そしたらもう後は簡単(笑)
スイミングの昇級試験をクリアーするだけです。
ほとんど落ちずに1年ちょっとで100メートル個人メドレーまで行って、
1級になりスイミングを辞めて少年野球に戻りました。
昇級試験の前には「おばあちゃん頑張るね!って何故か手を合わせたものです(笑)」
そんな僕が今度は亡き祖母の前で手を合わせます。
埼玉の片田舎の農家の血筋に誇りを持って僕は生きていきます。
おばあちゃんも天国で安らかに。
そしてたまには僕を見守ってくださいね。
バラって最高!
バラはイエロームタビリス。
祖母は質素で実直とても働き者。このバラのような人でした。
いつか祖母に捧げるバラを作りたい。
ローズクリエイター 木村たくのり
最終更新:2013/04/16 23:28