宿から一歩外に出ると身構える間もなくあっという間にインドの喧騒に飲み込まれる。
この街はいつだってパワフルでエキサイティング。それがインドだ。
宿を出て直ぐのところに粗末な屋台が幾つか並んでいる。
果物を売っている屋台が多いがその中でぽつんとフルーツを絞りジュース出す男の屋台があった。
宿の目の前なので始終男の前を言ったり来たりするのだがいつしかこその男と良く目が合うようになった。
それとて特に気に留めることもなく毎日が過ぎていく。
インドの仕入れ旅は轟々と吹き付ける向かい風の中を手探りで進むがごとく過酷だ。
仕事に関係のない事には関心を払わない。と言うか関心を持つ余裕もなければ時間もないと言った具合に嵐のような毎日が過ぎていく。
ある日の朝のことだった。初めて男が口を開いた。
「ハロー」
なんでも無い良くあるセリフでいつもならボクは聞こえない振りをして歩を進める。
定宿のあるメインバザール(パハールガンジ)では友達が100人も出来そうな勢いでこの手の言葉を始終浴びている。
「ハロージャパニ」
「ヤスイチョットマテチョットマテ」
「コンニチワーナマエナニ?ワタシバビシュヌ」
そんな中「ハロー」の一言に立ち止まっていてはちっともコトが進まないのだ。
しかし彼が発した「ハロー」は何処か憂いを秘めていて妙に気になる声のトーンだった。
思わずボクは足を止めた。
しょっちゅう目が合っていたので無視出来ない何かしらの感情があったのかも知れない。
そしてオトコに応じた。
「ハローインディア!」
そこから始まった会話はなんとも言い難い複雑な気持ちになるやりとりで強く心に残った。
この男には父も母もいない。嫁を持ったこともないのでもちろん子供もいない。天涯孤独の身だ。
彼の仕事は一杯10ルピー(約15円)のジュース売り。この屋台ひとつが財産の全てで5匹の犬達と路上で暮らしている。
1日の儲けは100ルピー(約150円)程らしい。
次の日その金でパンとミルクを買い犬達と一緒に食べると稼ぎが消えると笑う。
写真を撮ってくれと言うので何枚か撮ってやると金は要らないからオレのジュースを一杯飲んで行けと言う。
礼だと言って屋台の引き出しの奥に大事そうにしまっていた小さなガネーシャの置物を持って行けと言う。
もちろんそれは丁寧に断ったが毎朝きちんと金を払い彼の屋台で飲むジュースからインドの1日が始まりそうな気がした。