Rakuten新春カンファレンス2020

「Walk Together」をテーマに、同じ悩みや目標を持つ楽天市場出店者同士の出会いを通じて、店舗運営に役立つ学びを得る「楽天新春カンファレンス2020」。「サイエンス」と「アート」の対比から、現代社会の限界と未来への光明を示してくれるのが独立研究者 / パブリックスピーカーの山口 周(やまぐち・しゅう)氏。「正解を出す能力」が陳腐化の一途を辿るなか、人間はどの方向に向かって歩みを進めるべきなのか。昭和から平成にかけて起きたことを例に採りながら、お話を進めて頂きました。

山口 周 氏
1970年東京生まれ。独立研究者、著作家、パブリックスピーカー。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等で企業戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事。現在、ライプニッツ代表。世界経済フォーラムGlobal Future Councilメンバー。著書は『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』『ニュータイプの時代』『武器になる哲学』など。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修士課程修了。

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時代の変化に伴う「過剰なモノ」と「希少なモノ」の逆転。

昭和の時代と令和の時代とを比較すると、「過剰なモノ」と「希少なモノ」の逆転が起こっていることがわかります。例えば「物質的な不足」というものは、ほとんどなくなりました。皆さんの中で冷蔵庫を持っていないという人はいらっしゃいますか? 今日はいらっしゃらないようですね。300人くらい入る大学の講堂で質問してみると、数名は冷蔵庫を持っていない人がいることがありますが、そういう人は統計的には外れ値*1と言っていいと思います。現代人のほとんどが冷蔵庫を持っています。一方で、昭和30年代から40年代においては、冷蔵庫や洗濯機の普及率は10%から20%程度でした。つまり、昭和の時代では生活の中の「問題・アジェンダ」が多く残っていたわけです。ところが、令和の時代では「問題・アジェンダ」がなかなか見つけられないという状況にあります。生活上の問題というのはほとんどないのに対し、テクノロジー、コンピュータ、人工知能、経営学の知識といった解決方法は非常に普及しているわけです。「問題・アジェンダ」が希少で、「正解・ソリューション」が過剰ということですね。過剰なものはデフレし、希少なものはインフレします。ですから、現代において「問題を見つける」ということは非常に価値があるのに対し、「正解を出す」ということはどんどん価値が下がっています。有名大学出身で社会一般的には優秀とされている人でも、昔ほどは活躍しにくくなっているわけですね。理由はシンプルです。「正解を出す」という能力がデフレしているからです。

同じように発生している状況が、「モノ」が過剰になり「意味」が希少になっているということです。昭和30年代・40年代には冷蔵庫や洗濯機は憧れの存在であって、それを持っているというのは幸福の象徴だったわけです。でも、皆さんは冷蔵庫も洗濯機も持っていると思いますが、それを持っていることで幸せを感じるでしょうか? 「う〜ん、どうだろう...?」と考えてしまうと思います。これは非常に不思議なことです。昭和30年代・40年代に生きていた人たちから見れば、現代の私たちの生活というのはユートピア(理想郷)*2そのものです。冷蔵庫も洗濯機もあって、それだけでなくエアコンもコンピュータもあって、美味しいものがいくらでも食べられて、自宅で様々なエンタテインメントも楽しめるようになっている。当時の人たちをタイムマシンで連れてきて、現代の一般的な家庭を見せたら「日本人、素晴らしいですね。ユートピアを実現したんですね」と言うでしょう。

ところが、それによって幸福になったかと問われれば、それがそうでもないわけで、当時に比べるとむしろ幸福度*3は下がっているという調査結果が出ています。自殺率も増加しています。メンタルヘルスを患って、会社に行けなくなった人も増加しています。物質的にこれだけ豊かになったにも関わらず、「生きがい」や「やりがい」、「生きている意味」を見出せない人が非常に増えているわけですね。経済学的観点から言えば、「意味を作れれば、そこに経済的価値が生まれる」ということになります。意味が求められている時代ですから、そこにお金が発生するんです。現在、世界中で最も著作が売れている日本人が誰だかご存知でしょうか? 実は「こんまり(近藤麻理恵)*4」さんなんですね。『人生がきらめく片づけの魔法』という本が世界中で1,200万部も売れています。彼女が世の中に提供した価値というのは、一体、何だったのでしょうか?

未だ「過剰なモノ」で価値を高めようとし続けている現代社会。

かつて、日本が提供した価値といえば、それは「加工貿易」でした。原材料を輸入し、それを製品に加工して、海外に輸出する。対価を受け取るときには「モノ」を提供したわけです。彼女がやっていることは真逆なんですね。「モノをなくすこと」で価値を生み出しているんです。モノが有り余っている世の中においては、「モノをなくすこと」で莫大な富を得る人が登場してきているわけです。モノの価値が減少していることを示す、非常に象徴的な現象と言えるでしょう。「モノ」の価値が下がっている一方で、「意味」の価値が上がっているわけです。

「利便性」と「情緒・ロマン」の関係も同じです。これも昭和的思考の典型例ですが、「便利にすれば価値が上がる」と思っている人がとても多い。抽象概念で考えるから、こうしたおかしなことが起こるわけです。現代というのは「不便なものほど高価」なんです。例えば音楽です。スマートフォンで音楽を聴こうと思えば、デジタルスピーカーと組み合わせても5万円程度で済みます。音楽マニアの人は真空管アンプやターンテーブルを買って、レコードで音楽を聴きます。真空管アンプというのは温まるまでに時間がかかるので、モノとしては不便です。一式の値段を聞くと「軽く500万円は超えているよ」と。片や便利で非常に安く、片や不便で非常に高い。

カメラも同じです。世界で最も高性能な日本製コンパクトデジタルカメラが1万円を切るような価格で買えるのに対し、高級カメラの代名詞的存在であるライカ(Leica)*5はボディだけで100万円、レンズを含めたら150万円以上します。では、「便利なんですか?」と言えば、全然便利じゃない。未だにオートフォーカスすら付いていないマニュアルカメラですし、当然ですがムービーも撮れません。フラッシュだって付いていません。片や非常に便利で1万円、片や非常に不便で150万円。

クルマの世界も同じです。最新のクルマが最も便利であることは間違いありませんが、それが最も高いかと言えば、そんなことはありません。最新式が最も高いという時代は1990年代で終わっちゃいましたよね。現在、最も高い価格で取引されているクルマはヴィンテージカーです。例えば、1970年代製の空冷式のポルシェ(Porsche)*6というのは、新車よりも圧倒的に高い価格で取引されています。当然、新車の方が便利ですが、マニアの方は不便なヴィンテージカーを4,000万円から5,000万円、場合によっては1億円を出してでも手に入れようとするわけです。

昭和的な価値観でいくと、「正解・ソリューション」「モノ」「利便性」に加えて「データ」「説得」「新しさ」などに価値があると考えます。こうしたものはどんどんと価値が下がり、値段が下がっていますよね。一方で、「問題・アジェンダ」「意味」「情緒・ロマン」に加えて「ストーリー」「共感」「懐かしさ」に非常に大きな価値が生まれているわけです。これを「サイエンス」と「アート」で考えてみましょう。「正解・ソリューション」「データ」「説得」といったものは「サイエンス」と非常に馴染みがよく、従って、昭和の時代には大きな価値を持っていたわけです。ところが、世の中の価値が「問題・アジェンダ」「ストーリー」「共感」といったものに移行してきているのに、未だに「サイエンス」で価値を高めようとしているところに問題があるわけです。

客観から導かれた「正解」には、全く価値がない。

その典型例が、スマートフォンが登場する前の携帯電話の世界だと思います。かつて日本は非常に高性能な携帯電話をメーカー各社が製造していました。現在では、その多くが事業から撤退し、たった2社しか携帯電話の製造をしていません。2007年に登場したアップル(Apple )の「iPhone(アイフォーン)」によって、市場をかっさらわれたわけですね。どうしてこんなことが起こったのか。それは正に、日本の携帯電話メーカーが「正解を出した」からだと思います。大規模な定量調査を行い、その調査結果を重回帰分析し、顧客の好みを正確に把握した上で、デザイナーがプロダクトにする。こうしたプロセスを正確に行なった結果、多くのメーカーからほとんど同じプロダクトが大量に発売されるという事態が起こったわけですね。

では、アップル(Apple)がどのようにプロダクトを生み出したか。ご存知のとおり、この会社は市場調査を行いません。「自分たちがかっこいいと思う未来の携帯電話」というものを世の中に提案してきたわけです。「主観」に基づいて作っていますね。自分たちが欲しいものを作ったんです。ところが、先ほど例に挙げた日本の携帯電話は、すべて「客観」に基づいたものです。「客」が欲しいと考えているものを正確に調べて、正確にカタチにしたわけです。そうすると、その時点で客が納得するものは作れましたが、客がビックリするようなものはできませんでした。マーケティングや統計の知識が増えるというのは素晴らしいことではあるのですが、その到達点は非常に狭くて、たくさんの人が犇(ひし)めいていたわけです。「マーケティングの奴隷」になっている状況と言ってもいいかもしれません。

「そもそも、あなた方は何をやりたいんですか?」ということですよね。自分たちが作りたい製品があって、それを売るためにマーケティングを活用するのは非常に良いことだと思います。一方で、「自分たちが何を作るべきか?」ということをマーケティングで決定しているというのが、現在の日本の状況です。「あなたたちは、どのような製品をつくりたいんですか?」「世の中にどんな変化を起こしたいんですか?」と聞いても「私の仕事は、マーケティング調査を行なって、正確に分析することです」という人が多いわけです。マーケティングが主人であり、人間が奴隷になっている。本来あるべき姿との逆転現象が起きているわけです。「正解に価値がない」ということを表す象徴的な現象です。

「正解を出す能力」は、誰でも手に入れることができる。

もう一つ、この状況に追い打ちをかける現象が起きています。皆さん、ご存知だと思いますが、ここで紹介するのはIBMが開発した人工知能「ワトソン(Watson)*7」の事例です。この人工知能は、アメリカの有名クイズ番組「ジェパディ!(Jeopardy!)*8」に出演し、2人のクイズ王と対戦して優勝を遂げました。2011年のことです。クイズで求められるのは、正に「正解を出す能力」です。この能力について言えば、人工知能はすでに人間のチャンピオンを凌駕するだけのレベルに達しているのです。チェスでも将棋でも囲碁でも、全てコンピュータが人間のチャンピオンを負かしています*9。つまり、「明確な答えがある領域」については、人間よりも人工知能の方が強くなってしまっているわけですね。問題は、その価格です。

1998年にIBMが販売したスーパーコンピュータ「ディープ・ブルー(Deep Blue)*10」は、当時の価格で1億円でした。昨年、私はIBMの方に「ディープ・ブルーは今でも販売しているんですか?」とお聞きしました。すると、その方は非常に困った様子で答えてくれました。「いいえ、売っていません。当時のディープ・ブルーの性能というのは、いま、山口さんが持っている『MacBook Pro(マック・ブック・プロ)』とほぼ同じ性能ですから...」と。つまり、1億円したスーパーコンピュータというものが、20年後には家電量販店で購入できるようになるということなんですね。

ワトソンがクイズ番組で優勝したのが約10年前です。ということは、あと10年もすれば、この時のワトソンと同じ性能を持ったコンピュータを我々も買えるようになるということですよね。そうすると、「正解を出す」という仕事を人間が行う必要はなくなりますよね。「正解を出す能力」によって、企業やブランドの競争力が左右されることはなくなるんですね。「正解を出す能力」が過剰に供給されるものになるわけですから。もはや水と変わりません。では、「正解を出す能力」が過剰に供給される世の中において、競争力を左右する要因はどこにあるのでしょうか? 短兵急に考えると、「それはアートだ!」となるわけですが、そう簡単に事は進みません。次は、事例を紹介しながら考えていきましょう。

*1 外れ値 | 統計学の用語で、データ全体の傾向から大きく外れた値のこと。異常値ともいう。

*2 ユートピア(理想郷) | ギリシア語の ou (否定詞) と topos (場所) に由来し、「どこにも存在しない場所」を意味する。転じて、理想的社会や空想的社会を指すようになった。「無何有郷」などと訳される。プラトン(Platon)の『ポリテイア (国家論) 』や『ノモイ (法律) 』、アウグスティヌス(Augustinus)の『神の国』などで理想国が説かれているが、「ユートピア」という言葉で理想的社会を主張したのは英国の人文学者 トマス・モア(Sir Thomas More)の『ユートピア』 であるとされる。以後、ユートピア思想は社会主義理論や文学、詩、絵画などの形で表わされるようになる。

*3 幸福度 | 国際連合(UN)の持続可能開発ネットワークが発行する「世界幸福度報告」に示される指標。156カ国を対象に調査が行われた7回目となる2019年の発表では、1位はフィンランド、2位はデンマーク、3位はノルウェー、4位はアイスランド、5位はオランダと北欧系諸国が上位を独占する一方で、日本は2013年の43位をピークに、以降は順位を下げ続けており、2019年は58位となっている。

*4 こんまり(近藤麻理恵) | 1984年生まれ。片づけコンサルタントとして世界的にその名を知られ、2010年に出版した『人生がときめく片づけの魔法(サンマーク出版)』は100万部を超えるベストセラーとなり、世界40カ国以上で翻訳出版されている。2015年、米誌『TIME』が選ぶ「最も影響力のある100人」に選定され、2019年にネットフリックス(Netflix) で放送されたドキュメンタリーにより、米国内で社会現象を巻き起こした。

*5 ライカ(Leica) | 独エルンスト・ライツ社(現 ライカ・ライツ社)が1925年発表したカメラの商品名。1913年、同社の技師オスカー・バルナック(Oskar Barnack)がシネカメラの露出テスト用にUr Leica(ウル・ライカ)を開発。映画用の35mmフィルムを用い、精度の高いレンズとメカニズムによってカメラ本体を小形化し、小判ネガで鮮明な画像が得られるとして、小型カメラの先駆となった。ライカ判(36mm×24mm)はこの名に由来する。

*6 ポルシェ(Porsche) | 1948年、フェルディナンド・ポルシェ(Ferdinand Porsche)が設立した「ポルシェ合資会社」を前身とする高級スポーツカー製造ならびに車両一般設計・コンサルタントを業務とするドイツの企業。シュトゥットガルトに本社を置く。創業者一族であるポルシェ家とピエヒ家が基本株式の100%と優先株式の25%を所有する家族企業である。同社の代名詞的存在である911型は、1964年に発表されて以来、半世紀以上にわたって主力車種であり続けている。

*7 ワトソン(Watson) | 米・IBMが開発した人工知能(AI)を活用したコンピュータ。自然言語を理解し、問題解決能力を備える。その名は、実質的創立者であるトーマス・ジョン・ワトソン・シニア(Thomas John Watson, Sr.)に由来する。2,800個の中央演算処理装置(CPU)によって毎秒80兆回の計算処理機能を誇り、書籍100万冊分の知識を蓄積し、文字入力された質問からキーワードを拾い出して瞬時に回答を導き出す。データの関連性や規則性をみつけて分析する機械学習、無数のデータから特徴を発見するディープラーニング(深層学習)などが可能。「ワトソンは人間に脅威を及ぼす可能性のある人工知能ではなく、コグニティブ(認知型)コンピューティングシステムである」というのがIBMの立場である。

*8 ジェパディ!(Jeopardy!) | 1964年に初めて制作されたアメリカのクイズ番組。1984年以来、アレックス・トレベック(Alex Trebek)が司会を務める。番組制作にはニューヨーク・タイムズ(The New York Times)が全面協力している。

*9 チェスでも将棋でも囲碁でも、全てコンピュータが人間のチャンピオンを負かしています。 | チェスにおいては、1997年、世界チャンピオンであったガルリ・カスパロフ(Garry Kimovich Kasparov)と対戦したIBM製スーパーコンピュータ「ディープ・ブルー(Deep Blue)」が、3½–2½で勝利。現役世界チャンピオンがコンピュータに初めて破れる結果となった。将棋においては、2017年4月、第2回電王戦で佐藤天彦(さとう・あまひこ)名人(当時)と対戦した将棋ソフト「ポナンザ(Ponanza)」が、第1局を71手、第2局を94手で下した。名人は竜王と並んで将棋界最高のタイトルであり、現役最強棋士に勝ったことは人工知能の進化を印象付けるものとなった。囲碁においては、2017年5月、非公式棋士レーティング1位(当時)であった柯潔(か・けつ)と、人工知能学者デミス・ハサビス(Demis Hassabis)が開発したコンピュータ囲碁プログラム「AlphaGO(アルファ碁)」が対戦。3戦3勝と圧倒したAlphaGOが人間を遥かに上回る棋力を見せつける結果となり、AlphaGOはこの対局をもって人間との対戦から引退することを表明した。

*10 ディープ・ブルー(Deep Blue) | 米・IBMが開発したチェス専用コンピュータプログラム。対戦相手の過去の棋譜を読み込むことで算出した評価関数を元に、効果があると考えられる手について全て検討するという方法を採用し、その読みの幅は1秒間に2億手にも及ぶ。