吉井史郎さん
このところますます冴えてリンとした雰囲気を漂わせている彼の作品を見るにつけ、この魅力をぜひお伝えしなくてはと思いたちました。もちろん写真でも充分感じてはいただいていると思うのですが。
書き始めてみると、もう二十余年ものご縁なのに何にも知らないことに気が付きました。作家さんたちの学歴や御修行先、いつ、どこで展覧会をなさったか等に殆んど興味がなく、作品そのものの魅力についてのみ云々するお付合いが続いてきました。そんなことはどちらでも良いと思っていたわけではないのですが、ついついそんなお話をするのを忘れてしまうのです。
この御紹介文を書くにあたって、あわててお電話をかけ、さまざまなことをお聞きしました。
吉井さんが御修行なさったのは、京都の六代目清水六兵衛先生に四年、亡くなった後は九兵衛先生に四年付かれ、その後宇治の朝日焼の窯に五年、計十三年の修行の後独立、海老ヶ瀬保さんの御紹介でようびに来て下さったのでした。
彼が使っている土は自分で採ったものと、材料屋さんの土を少々。お住まいは京都府亀岡市曽我部町で、そのあたりの土は十万年前の噴火と云われるカルデラの後に湖となり、よく水簸された細かくてやわらかな磁土のような粘土層で、地下1m位から5〜6mと深いところまであるそうです。
この曽我部から出た偉人は円山応挙です、関係ないですけどと笑いながら吉井さん。
また近くには平安京の瓦を焼いたとされる窯跡があり、篠(しの)と云う場所で赤土も白土もあり、これらの土の特長を生かしつつ御自分の作品のイメージに近づけていかれるのです。登り窯もそれに固執することなく自由に使いこなされていて、大どかな気持が作品に表れているようです。
座右の銘は「妙」とききました。妙(たえ)なるものを作りたい。心に妙なるものを鳴り響かせながら・・・と云う意味だと私は思いました。