粉引と刷毛目のうつわ
粉引李朝と一口に言っても500年に渡る長い時代、朝鮮半島で出来た焼物については多様でさまざまな変遷があり、長くなってしまうのですが、今私達が「李朝」と呼んでよく目にする焼物は、16世紀末から17世紀初めの李朝陶磁の空白時代を経て後のものでしょう。大変大まかな分け方ですが、官窯のものは主成分がカオリン質の磁器―白磁で、民窯はこの白さにあこがれ、土の素地の上にカオリン質の白土を薄く引き、その上に釉をかけて焼いたものを、粉引または白化粧または粉青沙器と呼びます。それぞれに発展を遂げ、半島の左全羅道南部の宝城附近の粉引は一番の評価を受け、今も人気の高いものです。
日本ではこの風趣を主に茶人たちが愛し、剥がれ落ちたものは虫喰い、染みは雨漏りなどと呼び、「李朝です」といえば「ほほう」とよろこばれてきました。この種の特別なものとして「堅手李朝」と呼ばれているものがあり、これは官窯白磁の少し質の落ちる白土が使われているもので、これはまた趣の深いものとして認められているのです。さまざまなトラブルをそれなりの趣、手後として受け入れてきた私達先祖の見識は、大いに評価されるべきものと思います。
今も同じ手法で作られている粉引は、土ものに磁器の土をぬるわけで、土と石粉(主にカオリンと硅石)では乾燥時、焼成時に収縮率が違い、もちろん融点も違うので、その上に釉をかけてもどうしても土と石粉の間に隙間ができ、はがれ落ちたり、その間に水やよごれが入って染みになったりのトラブルが生まれます。
白土も素地の土の部分も吸水性があるので、特に水じみは起こりやすく、乾くと消えることが多いのですが、何かが混ざったりするとそのまま染みで残ってしまいます。古くから茶人たちの間で「雨もり」等と命名されて愛玩されてきたものはこれに相当します。でも、どうして今もこの粉引に魅了されるのでしょうか。
粉引が持つ何とも言えない暖かさややさしさ、白の器の渕から少し現れている土の色などが何とも言えぬ趣があり、このマイナス部分も何とか克服しつつ、その雰囲気をたのしんできたのではないでしょうか。
もちろん作家たちはこのトラブルを起こさないように、温度や土や焼き方などさまざま工夫をこらされているのですけれど、なかなか本質的な解決は見つかりません。
使い手側の器の取り扱いとしては、購入時にお粥で炊くとかは行われてきましたが、これがよけいにカビの原因になって染みついたりしてしまいます。お使いになる前にきれいなお水に5分前後よく吸水させていただく位しかないのですが、これはお料理の汁や茶渋が染み込むことをある程度防ぐことができます。そしてお使いになった後は釉の下までよく乾いてから食器棚に戻してくださいますようにお願いいたします。
辻村塊さん
吉井史郎さん
荒賀文成さん
川村宏樹さん
川淵直樹・明日香さん
粉引・白化粧の作品への想い
この大徳利は小林東五師の対馬に開窯なさって二、三年経た頃の作品で、使い始めて四十年を越しました。お酒を入れた後、しっかり水洗いして乾かし、水を張ってしばらく置き又乾燥させてを繰り返し、お酒の匂いが残らない様になってから食器棚に戻す。そうしている内にこんな李朝かと思われるような風合いになりました。器を育てるということはこんなことかと思います。その間の大変で面倒な作業をたのしんでしまわない限り不可能なこと、湯呑やお鉢などは徳利ほど面倒はなくても少なからずこんな作業は必要です。
口の白土が少し剥sがれているのも、ヒビの入ったところから白土が釉ごと剥げ落ちているのも、気にならないどころか美しいと思えるのは私が日本人の感覚だからかもしれません。この頃の韓国のお人や中国の方、他の外国の方(一部の方を除いて)はひょっとするとこんなものは割れものと思われるかもしれません。謂わば日本人独得の感性なのかもしれません。作者たちはその狭間で揺れながら、この魅力にとりつかれているのです。
美しいものの価値って何なのでしょうか・・・。
鉄絵粉引大鉢
この大鉢も使用し始めて三十年を越しました。ずい分いろいろのものを盛りました。
煮合わせや和え物、サラダや水物、ゼリー寄せのもの、おそうめん、漬物、湯豆腐、冷や奴等、大きい上に深くてたくさん盛れ、盛った時の姿がよいので、大勢のお客様の時は特に重宝いたします。
やはり15分位は水を入れておき、きれいに拭き上げて盛ります。それでも内側は少しシミになって茶色い部分がだんだん増えて参りました。幸いひびや雨漏りのようなものはなく、渕もカケはありませんが、刷毛目の間からのぞいて見える土の色がどんどん美しくなってきています。
これも白化粧のものを使うたのしみというものでしょう。