土山敬司さんと写し
清水焼のメッカ五条坂のあたりは京都の作家さんたちが多く住んでおられ、昔は煙の上がっていない日がないと云われた程栄えたところでした。登り窯が廃絶し、作家さん、職人さん達もあちらこちらと散ってゆかれて土山さんも宝塚に御移居なさったと聞いています。
父上は屈指の職人さん、京都の第一級文化人(お医者さまで陶芸家、文筆家等々)加藤静允先生は、この工房で最初の技術を学ばれたのでした。その頃ご一緒にお父様の下で御修行なされたいわば同門の土山敬司さんを、大変腕のよい人だからぜひ、とご紹介下さいました。
さっそくわがままを言って芙蓉手のものたちをお願いしてみました。さすがのものたちが出来上がって参りました。一つは店主の持っておりました安南手の浅鉢、もう一つは明末の芙蓉手の写し大小です。
出来る限り本歌に近くとラフに画いていただいたつもりでも、やはり少しきっちりと出来上がりました。呉須の色も良い色に仕上がっています。食卓の上で凛とした存在感を発揮するようでうれしい作品です。文様がにぎやかなのに邪魔にならないのは芙蓉手といわれる一連のものの特長でしょう。大サイズのお皿は、7寸より少し大きいお皿であること、少し深さもあることで用途は広くなります。
ますますこのよい腕を生かしていただくものが出来ればと大いに期待しています。
工芸店ようび 店主 真木