どこか謙遜さを感じる器の究極
「辻留」先代辻嘉一氏著の「名品 茶懐石」は、昭和四十八年(一九七三年)三月初版ですので一九七一〜一九七二年に撮影されたものです。京都の善田さん(名立たるお道具屋さん)で撮影するので手伝いに来るようにとお声がかかりました。ようび開業一〜二年後のことです。修業中の私に盛り付けを見せて上げようとの御配慮です。
何年間かの間にいろんなところに呼んでいただきました。中村記念館、逸翁美術館などなどでお手伝いをさせていただきました。
撮影に立合わせていただくについて必要な御注意がありました。
- 髪は一切金属のピン類はつけない。ゴムで結ぶこと
- アクセサリーは一切つけないこと
- ベルトは紐にすること
- 着るものの色は白、ベージュ、グレー、黒で、気になる色のものは身につけないこと
盛りつけは白い布をかけた机の上で誠に真剣そのもので緊張度の高いお仕事でした。時々お謡いなど口づさまれながら、あらかじめご用意のお料理を一つずつ蔵から出して来られるお道具に盛られるのですから、粗相があっては一大事。お箸を渡したり布巾をお渡ししたり包丁を用意したりするのにも渡し方が間違っていたりするとひどく叱られます。終わるといつも気が抜けてぐったり疲れてしまいました。
善田さんのお手伝いの時は、「名品 茶懐石」の「祝賀の懐石」撮影でした。乾山の菊の向附があり「この向附は鯛しか乗せられへんナ」とおっしゃったのをよく覚えています。それほど格の高いものだと云うことだったと思います。
写真どりの後、お許しをいただいてしっかり見せていただきました。それはそれは魅力的なすばらしいもので、目にとびこんだ時の印象が強く、ずっとずっとあこがれ続けて来ました。いつの日かこんなものに挑戦して写しが造らせていただくことが出来ればと強く思ったことでした。
その時善田さんで撮影されたものは圧倒されるものばかりの一揃いで、これは、さるお家にこのまま行くのだと聞きました。九谷の蓮弁の鉢の見込には、髪を洗っている中国女性の図があって、大変めずらしいものだと聞きました。
徳利は鴻池家旧蔵の卍牡丹唐草の青磁、八寸には南京赤絵の大皿とようび開店から二年目のかけ出し者には目のくらむようなものばかりでした。
特にこの菊の向附は思い切り装飾的なのにそれが邪魔にならず、品格があり贅澤なものなのに控え目でどこか謙遜さを感じる器の究極のようなものを見る思いでした。どうしてこんなお取合わせになったのか、一つずついろいろなお話を聞き、御二人の慧眼に恐れを抱いた程でした。まだまだ解るなどと云うことにはほど遠い昔の思い出です。
その菊のお向附を造っていただく時がやっとやって来ました。伏原氏、森本氏の御二人にひとまずこれまでと思う夢を叶えていただきました。うれしくて棚に並んでいるのを見ながらこのお仕事をさせていただいている果報を思っています。