Unlimit special story

"なりたい自分"の見つけ方

episode.17

boar's CAFE

「もう、遅いよー! まったくどこで何してたの? 今日も忙しくなるって分かってるのに、信じられない!」

懐かしいコーヒーの香り。

様々な機械が動く音。

ぱたぱたと店舗内を行ったり来たりしながら忙しく手を動かすひとりの女性。

「ぼーっとしてないで、ちょっと焙煎機の調子みてちょうだい。

午後から内装の打ち合わせが入ったから、それまでに新しいブレンドの試飲もした方がいいわね。あとそれから…」

早口でまくし立てられた言葉はそこで止まり、その人は戸惑った目で私のことを見つめている。

表情は複雑で、1つの感情には定まらない様々な思考が脳内を巡っているのが手に取るように分かった。

その人――直実さんは、ご主人の後ろに立っている私を見つめながら、手に持っていたコーヒー器具をぎゅっと握りしめたのだった。

河川敷から更に15分ほど歩きたどり着いたその場所は、新規オープン準備中であろうコーヒーショップだった。

boar's coffeeとは異なり、客席がある。

まだ完成形ではないものの、温かみがありながらも洗練された雰囲気はboar's coffeeにそっくりだ。

そして何より驚いたのは、その店内で忙しく立ち働いていたのは直実さんだったのだ。

決して広い店内ではないけれど、陽のよく入る窓際にゆったりと置かれたテーブルや椅子。1人でもくつろげそうなカウンター、店舗の外にはテラス席を設置できそうなスペースもあった。

店内に入ってすぐ右側、様々なコーヒー器具や資材が置かれたレジカウンターには、恐らくこの店のショップ名であろう英文が、なぜかコピー用紙に手書きで書かれて貼られている。

「悠ちゃん…」

直実さんはそれだけ言ってカウンターから出てくると、店舗の入口に突っ立っていた私の前まで来てぎゅっと私の手を握った。

「ごめんね」

ああ、この人は全てを理解している。

そう私は思った。

それぞれの未熟さも、私たちはただただ懸命に生きようとしただけであるということも。

そして、これから私たちはもっともっと仲良くなれるということも。

「私こそ、ごめんなさい」

私は水仕事で荒れた直実さんの手を握り返し、深く頭を下げた。

「私、自分のことばっかりで。直実さんのことを傷つけてしまいました。だけどやっぱりまた直実さんと笑いあいたいと思って、ご主人にそう伝えたんです」

「うん、そうね、うん。私もよ、悠ちゃん」

本当にごめんね、と言いながら頭を下げる直実さんは、少し小さく見えた。彼女は泣いていたのかもしれない。

そして私の目尻からもじわりと水が溢れ、お互い目元をこすりながら私たちは笑いあった。

そんな私たちの横で、ご主人は安心したように微笑んだ。

「やっぱり諦めきれなかったのよ」

客席のひとつに私と直実さんは座り、ご主人が淹れてくれたコーヒーを飲みながら長い話をした。

「スタンドで十分だって思ってたけど、やっぱり私は客席がある店舗が欲しかった。

客席でゆったりくつろぐお客さんたちを眺めながら仕事ができたらどんなに幸せだろうって、思えば思うほど、物件探しや施工の準備に夢中になってしまって…。

悠ちゃんには本当に申し訳ないことをしたわ」

「boar's coffeeはどうするんですか?」

見たところ、新店舗はまだオープンまでは少し時間がかかりそうな雰囲気だった。あの素敵なスタンドがどうなってしまうのか、私は気になった。

「スタンドの方は日数を絞って、週3日で営業してるの。

飯島くんの後に入ったアルバイトの子もよくやってくれてるから、主人か私のどちらかがスタンドにいて、どちらかが新店舗の開店準備をしてる。

飯島くんが帰国したら、スタンドの方は彼に任せてもいいかなと思ってるの」

「へえ…!」

なんて素敵な未来なんだろう。

私の胸は高鳴った。

その未来に私はいなかったけれど、そんなことは構わないと思った。

直実さんが黙り、次は私が話す番だ。

boar's coffeeから離れ、ご主人から直実さんの過去を聞き、この店舗にやってきて、私の中にはあるひとつの答えが導き出されていた。私はそれを彼女に伝えなければならない。

「聞いてもらえますか?」

「もちろん」

直実さんは優しい目で微笑んだ。

私はゆっくりと、たどたどしく、だけど心を込めて話し始めた。

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Normanton

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