Unlimit special story

"なりたい自分"の見つけ方

episode.14

もとの生活

なんてことはない、元の生活に戻っただけだ。

私はそう自分にそう語りかけながら、コーヒーをドリップする。

すっかり習慣になったハンドドリップ。だけどスーパーで適当に買った豆はどんなに丁寧にドリップしても全然美味しく感じられなかった。

boar's coffeeに出向かなくなってから、しばらくの時が経った。

私は変わらず会社で働いていて、日々業務をこなし、デザインをし、疲れて帰ってきて休日はゴミをまとめるところから始まる。

ゴミを捨てて、身軽な足取りでそのままboar's coffeeに通った日々は過去のものとなり、今となってはあんな日々があったことすら夢だったのではないかと思う。

"なりたい自分"について考えることは辞めてしまった。考えても分からないし、私はあの人たちのようにはなれない。

boar's coffeeでの日々は、"なりたい自分"を見つけるどころか不甲斐ない自分を痛烈に思い知らされた苦い時間として、私の胸中に刻み込まれている。

(天気がいいなぁ)

ドリップしたコーヒーをミニテーブルに置き、窓際のソファに腰掛ける。

最後にboar's coffeeで働いた日、開店前にご主人が淹れてくれたコーヒーは本当に美味しかった。

その時と同じ青空が、窓ガラスの向こう側に広がっている。

あなたは私に期待しすぎよ。

ふと直実さんの言葉を思い出してしまい、私の胸は苦々しく縮む。

彼女はあの時、見たこともない険しい目をしていた。いったいその目の奥で彼女が何を考えていたのか、私に何を伝えたかったのか。

それは憶測こそできるけれど核心を掴むことはできず、いつも私の心を曇らせる。

きっと、私が知らない何かがあるのだ。

直実さんが今の直実さんになる前に起こった、何かが。

だけど私がそれを知る術はない。

(きっと、これで良かったんだ)

boar's coffeeは私にとって冒険だった。

広い世界を夢見て、自分を思い知って、また元の生活に戻る。

そこに成長がなかったわけではないし、実際コーヒーの知識だってついた。

収まるべきところに収まった今の生活が、私は嫌いではない。

―― ピンポーン。

その時ふいに、インターフォンが鳴って私は誰だろうと首を傾げる。

ソファから立ち上がり、モニターを見て息を呑んだ。

「ご主人!?」

映し出されていたのはboar's coffeeのご主人だったのだ。

私は大慌てで最低限の身なりを整え、玄関のドアを開けた。

「やあ」

boar's coffeeの紙袋 ―― 私がデザインしたものだ ―― を軽く掲げ、にこやかな表情のご主人がそこには立っていた。

彼がお土産にと渡してくれたその袋の中にはカヌレとコーヒー豆が入っていて、私は不意に涙が出そうになり慌ててそれを堪える。

部屋に招き入れようとした私を制して、ご主人は今までに何度も見た懐かしい笑い方で言った。

「今日は、悠さんを面白い場所に案内しようと思ってね」

これから出られるかい? と聞かれ、私は5分だけ時間をもらうと大慌てで身支度をし、玄関から出た。

お土産の紙袋はダイニングテーブルの上に置いておいた。

「いやあ、いい天気だねぇ」

ご主人はboar's coffeeとは別方向に向かって歩き出し、私は訳が分からないままご主人についていく。

「あの、一体どこに…?」

私のその問いは笑顔で流される。きっと”面白い場所”とやらに到着するまで話すつもりはないのだろう。

どうせ何も予定のなかった週末だ、と私は腹を括り、彼の後を追った。

Story's item

コーヒーをお供に、ソファで物思い

Plain Tray Table with Legs

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