episode.11
新しいアルバイト
飯島くん、というのが新しく入ったアルバイトの男の子の名前だ。
将来は自分のお店を持つことが夢の彼は、大学の夏休みにはバックパックで海外のコーヒー生産国を訪れるほどの筋金入りのコーヒー好きだ。
「初めまして! これからよろしくお願いします!」
とある春先の土曜日。
初めて彼と対面した私は、彼のあまりの真っ直ぐな雰囲気に目がくらみそうになる。なるほど、直実さんが好んで採用しそうな子だ。
直実さんからお互いのことを紹介してもらい、早速各々の業務に取り掛かった。
私はスタンドの外側で常連さんとの接客。
直実さんはスタンドの内側でレジや物販品の包装、ご主人も同じくスタンドの内側でドリンクを作る。そのいつものフォーメーションに飯島くんが加わる。
私は常連さんといつも通り会話しながらも、スタンドの内側の様子が気になって仕方がなかった。飯島くんは覚えが良いようで、もう一通りの業務は覚えていた。
「このカヌレは一番最初に開発した商品なの。うちのコーヒーに合うように外側はしっかり焦がしていて…」
直美さんが語るカヌレの開発秘話を、飯島くんは興味津々で聞いている。私が一番最初に試食したカヌレは、今や焼き菓子部門の看板商品だ。
「最初は主人が甘党なものだから激甘のカヌレになっちゃって、お砂糖を減らすのに苦労してね」
客足の合間に2人は大いに盛り上がっていて、ご主人は話には加わらないものの隣でにこやかに自分の仕事を進めている。
スタンドに取り付けられたポストの脇に貼ってあったアルバイト募集のポスターは、もうすでに直実さんの手によって撤去されている。
(なんだかな)
私は、自分の心の中の呟きにドキッとする。
今、私は何を思っている?
うらやましいのだろうか、あるいはそれを通り越して悔しさや嫉妬すら感じていないだろうか。
決して疎外されているわけじゃない。ここの人たちが、そんな意地悪なことをするわけがない。
それは頭では分かっているのに、私は仲間外れにされた子どものような気持ちが湧き上がるのを抑えられない。
「おねえちゃん、どうしたの?」
ふいに足元から可愛らしい声がして、私ははっと我に返る。常連さんの小さな男の子がいつの間にか私の前に立っていた。視線を上げると、その子の両親も心配そうな表情で私を見つめていた。
「ごめんね、ちょっとぼーっとしちゃって」
私は膝を折って、男の子と目線を合わせる。
「今日もホットミルクかな?」
男の子は満面の笑みでこくりと頷く。
「ホットミルクひとつ」
私はスタンド内の直実さんに、男の子のオーダーを通す。
「はぁい」
直実さんはいつもの笑顔で答え、飯島くんに向かって「じゃあ、今日は飯島くんが作ってみて!」と言った。
「はい!」
飯島くんの瞳は輝いている。
スチームミルクが出来上がると、飯島くんはわざわざスタンドの外側に出てきて、「はい、どうぞ!」とミルクを男の子に渡した。
男の子は初めて見る飯島くんに少し警戒した様子だったけれど、彼の明るい雰囲気に安心したのか、素直にミルクを受け取った。
飯島くんは緊張した面持ちで男の子がミルクを飲む様子を見守る。
「…お兄ちゃん、ちょっと熱すぎるよ」
男の子が顔をしかめて大人のような口調でそう言ったので、そこにいた大人全員が吹き出した。
「ごめーん!」
飯島くんだけは大慌ての様子だったけれど、そこにあったのは、いつもの和やかなboar's coffeeを取り巻く人々の姿だった。
(これでいい、これでいいんだ)
私は自分に言い聞かせた。幸せな現実がそこにはあるのだと、自分の意識に刻み込もうとした。
だけど心は裏腹で、春のあたたかく心地よい空気と心中とのギャップが余計に私の心を曇らせる。
沈んでいくのを止められない自分をもてあましながら、私はなんとかその週末をいつも通りこなしたのだった。