【戦国武将人気ランキング】
当店で販売中の「戦国武将Tシャツ」を集計して人気ランキングを発表!
2023年はやっぱりアノ武将でした!

大河ドラマの主役”徳川家康”が2023年の人気ランキング1位!
他にも半蔵や忠勝、直政など家康ゆかりの武将が人気でした。
この機会に是非当店の戦国武将Tシャツシリーズをご利用ください!

他店よりも圧倒的な武将数!人気武将からマニアックな武将まで 戦国武将Tシャツ 2,057円〜

初期モデルのリリースから早10年が経過し、現在77柄を数えるまでになった戦国武将Tシャツシリーズ。現在も、全県制覇と100柄達成を目標に増やし続けています。
すでにマニアックな武将まで手を出していますが、まだまだ終わりません。
400~500年前に、確かに日本に存在した戦国武将という「かっこいい生き方をした」人たちを、Tシャツを着ることで身近に感じることができます。

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北海道・東北 関東・甲信越 東海・北陸 関西 中国・四国 九州・沖縄

北海道・東北

伊達 政宗

「独眼竜」の異名が轟く、奥羽の覇者。
生まれるのがあと少し早ければ天下を狙うこともできたとも評されるほどの器量を持ち、国内でもいち早く海外との貿易に着手するなど政治手腕や先見性にも秀でていた。
和歌や茶道の教養もありながら、奇抜さと派手さでは戦国時代において他に類を見ないほどで、小田原参陣に遅参した際はパフォーマンスとして死装束をまとって現れるなどした。
三日月の前立ての兜と眼帯がトレードマーク。

片倉 小十朗

実際の名は片倉景綱で、伊達政宗率いる伊達家の忠臣として全国に名を馳せた家老。
時に身を挺し守り、時には厳しく諫めるなど幼い頃より政宗の傍らに立ち続け、それゆえ政宗からも大きな信頼を置かれていた。
文武両道かつ礼節高く文化人としての教養にも秀でており、秀吉や家康など多くの大名から幾度も高禄により召し抱えられようとしたが、すべてを固辞し伊達家への忠心を貫いた。
戦国時代の忠臣といえば、必ずと言っていいほど名前の挙がる人物。

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関東・甲信越

徳川家康・期間限定カラー

期間限定カラー第四弾は徳川家康公。
幼少期を人質として過ごし、織田氏の顔色をうかがい、周囲の列強に攻め立てられ。
幾度の敗戦と屈辱を味わいながら、勝利するまでの間の激動の人生を尽く耐え抜いた天下人です。
「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし」の句がすべてを物語ります。
長生きこそ勝利の秘訣とばかりに、普段の食事から薬草・漢方までに気を使い、医食同源を体現した人物でもあります。
別注カラー、全15色からお好みのカラーをお選びいただけます。

徳川 家康

265年続く江戸時代の礎を成した、忍耐の戦国大名。
幼年期は織田氏と今川氏の人質として過ごし、独立後も盟友の織田家からの圧力に耐え続け、豊臣の時代もひたすら天下の座が空くのを待ち続けた。
人生のほとんどを忍耐で乗り越え、ようやく天下を手にして征夷大将軍となった。
有名な言葉「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し。」の重みは、まさに徳川家康なればこそ。

武田 信玄

孫子・呉子・六韜・三略に通ずるともいわれる兵法家であり、その軍略と治政によって全国に名を轟かせた戦国大名。
家臣と親しく接し、仁政によって領民に愛されたとされる。
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり。」の言葉通りか、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)と呼ばれる館を居所とし、上杉氏や織田氏、今川氏、北条氏などの列強と渡り合った。
風林火山の旗印が有名。

上杉 謙信

戦国時代屈指の戦上手として知られ、その戦果から「越後の龍」の異名をとる。隣接する信濃領をめぐり、隣接する大名・武田信玄と五度川中島で刃を交える。
戦いと勝利の神である毘沙門天を厚く信仰し、旗印には「毘」の文字を掲げていた。
生涯妻を娶らず子も作らなかったが、非常に人道的な人物であり、仇敵である武田氏が塩不足で窮地に陥った際には塩を送ったという。
僧侶という説もあり、白装束を身にまとい、甲冑を付けずに突撃したこともあるといわれる豪胆さをもつ。

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東海・北陸

織田 信長

尾張の小大名であった織田氏を日本の最大勢力まで拡大した、第六天魔王を自称する戦国大名で「三英傑」の一人。身分にこだわらない、宗教を信じないなど、それまでの固定概念を取り払い新たな取り組みを常に模索する性格から、西洋との貿易により尾張を経済的にも軍事力的にも大きく発展させた。
有名な桶狭間の戦いにより戦上手のイメージがあるが、敗戦も多く経験しており、過去の失敗からの反省を最大限活かすところが最も秀でていたともいわれている。
また強いカリスマ性があり、その求心力によって多くの有能な家臣をもった。
明智光秀の謀反により本能寺にて没した。現代においても最も人気のある戦国武将。

明智 光秀

本能寺で織田信長を討った戦国武将で細川ガラシャの父。
長らく下克上、裏切りの代名詞のような印象を持たれてきたが、近年その見方が見直されてきており、大河ドラマ「麒麟がくる」の主役抜擢も相まって人気が急上昇している。
前半生については歴史資料に乏しく不明な点が多いが、美濃を出自とする説が有力。当時の将軍家・足利氏や幕府方・細川家とも通じており、一介の武士とするには不自然なほどの人脈をもつ人物だった。信長に仕えた際も朝廷や幕府との橋渡し役を担っており、信長からは他の家臣よりも厚遇されていたと思われる。
本能寺の変に至った理由もはっきりと解明されておらず、その背景については現代でも「野望説」「怨恨説」「長宗我部関与説」「朝廷擁護説」「羽柴・徳川陰謀説」など非常に多種多様な説を展開し議論がなされている。
生涯において謎が多く、それがまた魅力の人物。

濃姫

美濃の戦国大名・斎藤道三の娘で、織田信長の正室。帰蝶、鷺山殿の呼称もある。
歴史的資料からは人物や没年等が不明で、今日イメージされる濃姫像は第六天魔王を自称した織田信長の印象にやや引っ張られた創作によるもの。
ゲームやアニメ作品に登場する濃姫は妖艶な印象だが、大河ドラマ「麒麟がくる」においては快活で男勝りな印象を与えた。
また信長とは政略結婚であるため、織田家の内情を探り斎藤家に伝えるという側面もあったのではないかと思われる。いずれにしても、戦国時代に登場する女性としてはとても有名な人物。

細川 ガラシャ

明智光秀の娘。キリスト教の洗礼を受ける前は明智珠子といい、細川忠興の正室。
武家の娘としての気構えを持ち、敵方の人質となろうかという危機に、名誉を守るため覚悟を決めて自らの命を絶った。キリスト教の洗礼後はつつましく慈愛深くなったとされ、最期の時にはガラシャとともに殉死しようとする侍女たちを逃がした。
容姿、内実ともに美しく、細川忠興から深く愛された人物。

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関西

豊臣 秀吉

智恵と機転を用いて信長の遺志を継ぎ天下統一までを果たし、自身一代で低い身分から太閤まで駆け上がった「三英傑」の一人。
一夜城建造や備中高松城水攻め、惣無事令、刀狩令、太閤検地など生涯において多くの良策を披露した。
したたかで人の心を掴むのがうまく、もともと敵であった大名も取り込んでいく寛容さをもっていたため、没後には恩顧の武将により一定の勢力を保つことができた。
派手好きで、金箔貼りを好んだといわれる。

石田 三成

関ケ原の戦いで西軍総指揮官として戦い破れた豊臣家恩顧の戦国武将。役職から石田治部少などとも呼ばれていた。
豊臣政権内では文治派に属し、内政や戦支度、後方支援、補給などにおいては非常に優秀だったが、戦略・戦術や実際に武器を持って戦うことに関しては自らも認めるほど苦手であった。
また不器用で権謀術数もあまり得意ではないよう。
大谷吉継や島左近との逸話から、友情や仁義を重んじる人柄であるとされ、自身の欠点も認めているなど、とても人間臭い人物で人気がある。

島 左近

実際の名は島清興といい、当時は広く名が知れていた戦国武将。
石田三成に三顧の礼と破格の高禄をもって迎えられた。若い頃に武田信玄のもとで仕えていたという話もある。関ヶ原の戦いで没したとされるが、その際の鬼気迫る戦いぶりもあり、その後の東軍からの評価も非常に高い。

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中国・四国

黒田 官兵衛

秀吉の片腕として天下統一までを支えた天才軍師で黒田孝高、黒田如水という名もある。
もう一人の天才として有名な竹中半兵衛と並び「二兵衛」「両兵衛」などと呼ばれた。あまりの慧眼ぶりに天下統一後に秀吉から警戒され、大阪から遠ざけられたとも言われている。
関ヶ原の戦いには参加せず隠居により傍観する風を装い、多くの軍勢がいなくなった九州地方を平定し天下人に挑戦しようとしたが、息子である黒田長政の活躍より関ケ原の戦いが半日で決してしまった。

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九州・沖縄

立花 宗茂

高橋紹運の長男として生まれ、戸次鑑連(立花道雪)の養子となり、大友氏の家臣・立花家の後継ぎとなった戦国武将。
豊臣時代の九州征伐では豊臣方の先鋒として無双の働きをし「その忠義、鎮西一。またその剛勇、鎮西一。」と称賛された。
生まれて関ヶ原西軍として敗戦するまで武家の後継ぎとして不自由のない暮らしをしていたため、浪人時代には庶民の暮らしに合わせることができなかったという逸話がある。
関ヶ原敗戦により改易されて浪人となるも、その逸材ぶりから後年改めて大名に返り咲いた唯一の人物。

島津 義弘

戦国時代の九州で武勇に名高い島津家のなかでも屈指の猛将で、「鬼島津」の通り名で全国的に有名だった戦国武将。常に豪胆で芯があり、上からの指示であっても自らの意思が伴わなければ動かない気概がある。
島津氏代17代当主となり、薩摩藩につながる島津家の最盛期を築いた。戦働きも十分だが粗暴ではなく、家臣の面倒もよく見るため家臣・領民からも愛されていた。
後世には、あの西郷隆盛も尊敬する人物として挙げている。

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別時代に活躍した武将

源 義経

鎌倉幕府を興した将軍・源頼朝の弟。幼い頃は牛若丸と呼ばれた。
一ノ谷の戦いや屋島の戦いなど源平合戦で大活躍をみせ、平家が滅亡した有名な戦い「壇ノ浦の戦い」では源氏最大の手柄を残す。
しかし生涯にわたり兄頼朝から信頼をえることができず朝敵とまでみなされた義経は各地を逃げ回る。
奥州藤原氏の当主・藤原秀衡のもとに身を寄せるが、最後は30歳という若さで自害する。
武芸に優れ「軍事の天才」とも称される義経は現在でも根強い人気をもつ武将。

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よくあるご質問

Q. Tシャツのこの部分に描かれているものは何ですか?書いてある文言はどういう意味ですか?
Tシャツのデザインで不明な点がありましたら気兼ねなくお尋ねください。プレゼントの際には、柄の意味や文言、武将の逸話を添えていただくとさらに話も弾み、より、”楽しい”を共有できるかと思います。 ※基本的にはご説明をさせていただきますが、現在はデザイナーを引退された方がデザインしたTシャツ等、不明なものもあるかもしれません。ご容赦くださいませ。
Q. 次のリリース時はこの武将を入れてほしい。
同様のご意見をたくさんいただいています。いただいたご意見はすべてリストアップし、毎回新柄の候補として検討しています。全国各地の戦国武将を網羅出来るよう、新柄の選定を考えています。
(購入される方が一定数いらっしゃるか、という点ももちろん視野に入れております。)
こういったご提案は非常にありがたいので、直接メールでも商品レビューでも構いませんので、引き続きお声をいただけると嬉しいです。
ただし、「次回必ず入れます」などのお約束はできませんのでご了承ください。
Q. 大きいサイズ、または子ども用のサイズはありますか?
同様のご意見をたくさんいただいています。製造の都合上、なかなか実現していませんが、キッズサイズを作りたいという思いは兼ねてからありますので、ご期待いただけますと幸いです。
大きいサイズは特注で2XL・3XL(+500円)、4XL、5XL(+1,000円)をお作りしています。
特注ゆえに殺到すると製造が回らなくなってしまうため、あえて店舗ページに記載しておりませんが、お問い合わせいただきましたら対応させていただいております。
※特注品はその特性上、ご注文後のキャンセルができず、返品・交換も対象外となることを予めご了承ください。