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縄文時代から海藻好きな日本人

本列島が大陸から地形的に切断されて、列島から分離独立したのは、紀元前 約一万年とされていますが、既に10万年も前から、原日本人が居住していたといわれます。

その後、縄文、弥生、古墳時代を経て、四、五世紀までの先史時代において、 われわれの祖先がどのようにして海藻を食べていたかということは、あまりよく分かっていません。

大陸からきて住みついた先住の狩猟民族と、その後に南方から流れついた漁労 で生活する海人(あま)と呼ばれた民族の食生活はおのずと違ったものだったでしょう。

海人族は海岸近くに住みつき、魚や貝類を採って生活していました。  海に潜ってアワビなどの貝類を採取するとき、海藻も採って食用としたことは容易に想像できます。

島根県の出雲地方にある『猪目(いのめ)洞窟遺跡』は『出雲国風土記』にも出てくるほど、古い歴史をもっていますが、この洞窟から古墳時代、弥生時代の遺物が出土しています。

仰臥屈葬のような状態で、右腕に貝の腕輪をした男性の骨が見つかり、丸木舟 の残片などとともに貝殻や魚の骨、それにアラメやホンダワラといった海藻が発見されました。

一方、本州の最北端、青森県亀が丘の泥炭遺跡からはワカメなどの海藻が発見されています。これらの遺物をみると、日本人は先史時代から食用にいろいろな海藻を口にしていたことが分かります。 そして、食用の重要な目的の一つは海藻を塩分の補給源としていたことでした。

また、内陸に住む狩猟人との間の物資の交換手段として、乾したホンダワラや ヒジキなどの海藻が使われていました。

少し後になって稲作が行われるようになると、一層交換は活発となり、藻塩焼 (もしおやき)製塩法が海人族達によって編み出されます。

そして、後に彼らによってその製塩法が独占されるに至るのです。