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ジョン・スメドレー
John Smedley
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ジョン・スメドレーの歴史 ジョン・スメドレー/John Smedley

ジョン・スメドレー/John Smedley
 
『ジョン・スメドレー』は産業革命の初期、1784年イギリス ダービーシャ州のリー・ブリッジ村でピーター・ナイチンゲールとジョン・スメドレーの両氏により創業されました。
リー・ブリッジ村には小川が流れており、動力を得るのにも工場用水を確保するにも理想的な場所でした。
当初はモスリンの生産と綿花を紡ぐことに力を入れていましたが、18世紀の終わりには、靴下製造や毛織物業まで手を広げました。
その後ひとりで工場を経営するようになったジョン・スメドレーは息子のジョンを「メリヤスとウールのすき手」として、6年間の修行に出しました。そして24歳の若さで後継者としての実力をつけ、2代目ジョン・スメドレーとなりました。
2代目ジョンは会社を発展させてゆき、今ある『ジョン・スメドレー』の基盤を固めました。彼の経営方針とは、紡ぎ、編み、縫製までの全工程を自社内で行うというもので、その為に工場を広げ、新しい機械を導入し、職人を増やし技能を高めました。そして小さな紡績工場から始まった『ジョン・スメドレー』を一貫したラインで製品作りを行うニット・メーカーへと発展させたのです。
さらに4代目のジョン(ジョン・B・マースデン・スメドレー)が1888年から会長となり、当時最先端の紡績機と編み機をいち早く導入しファインゲージのニット・ウェアの製造に着手しました。その製品は当時のイギリスには匹敵するものがないといわれるほど木目細かい編目の美しいものでした。
それが世界中で愛される、最高のニット・ウェアとして今に伝えられているのです。

創立から200年以上経ったいまでも変わらぬ場所に、長い歴史を刻んだレンガ建ての工場が佇んでいます。
現在、最新のコンピューター制御の機械も使われていますが、そこには古くから使われ続けている機械があり、そして各工程において、何世代にもわたって伝承された職人の技が必要とされています。最高の素材、長い伝統に培われた技術、そして最新のテクノロジー。それらの融合がジョン・スメドレーの美しく、心地好い肌触りのニットウェアを生み出しているのです。

 

ジョン・スメドレーの技術
 
【糸が出来るまで】
染色されたウールはドローイング、スピニング、ワインディング、ツイスティングという主に4つの工程を経て、細かな撚り糸に仕上げられます。

(1)ドローイング
ウールの束を「ギルボックス」という機械にかけて何度も引き伸ばし短い繊維を取り除く事により長い繊維のみにします。そしてさらにドローイングを4回繰り返します。

(2)スピニング
ドローイングによって取り出された長い繊維を撚り、ここで均等な太さの単糸に仕上げられます。

(3)ワインディング
紡績された単糸の糸むらやキズものを除去したあとにワックスをかけて糸を巻き取ります。

(4)ツイスティング
単糸を2本撚り合わせ強力な双糸にします。紡績された糸は電子的に計測し、キズがある場合は除去され、ニッティング工程へとまわします。

【ニッティング】
ジョン・スメドレーは天然素材を用いた、きめの細かいフルファッションの製品として有名です。他社メーカーの技術では24ゲージまでが限界ですが、ジョン・スメドレーでは、さらに編目の細かい30ゲージまで編むことが出来ます。
1877年に、3代目ジョン・スメドレーが「コットン・パテント」というフルファッション編み機を設置しました。これにより繊維を切断することなくボディパネルやスリーブなどのパーツを少しのくるいもなく編みたてることが出来るようになりました。フルファッションとは身頃や袖などのパーツの編目を増減しながら形として編みたてる事です。編みあがったボディパネルやスリーブは、リンキング仕上げという、ひと編みごと、熟練した職人による手作業で縫い合わせられ、欠点のないきれいな継ぎ目に仕上げられます。この継ぎ目は本物の贅沢なニットであることの証明といえるでしょう。

【仕上げ】
最後の仕上げは熟練されたスタッフにより手際よく行われていきます。
首まわりは手作業で1点ずつカットし、襟のリブはひと編みづつ手作業でボディに縫い合わせていきます。この他ラベルの縫い付けなど、様々な工程が手作業で行われます。プレスは型崩れしないように3度行われます。
最初は型に着せてプレス、次に寸法を合わせてプレス、最後はフラット・アイロンという重量のあるアイロンでプレスします。

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