若き杜氏が醸し出す飲む人を感動させる日本酒
西暦1830年(天保元年)に創業した東鶴酒造は、地元の愛飲家の方たちに愛される地酒をずっと造ってこられておりました。当時は仕込みの時期になると福岡県の柳川市から杜氏と蔵男を招き入れ、仕込みが終わるまではずっと住み込みというかたちでの地酒造りでした。
しかしながら、長引く不況に加え日本酒需要の低迷の煽りも重なり、ついに平成元年に製造を停止し東鶴酒造は休業状態となってしまったのです。
蔵元の野中家長男である保斉(やすなり)氏は、あろうことか日本酒が苦手。そんな彼が大学卒業後に実家に帰ってきた時は、家業である東鶴酒造はまさに廃業寸前、保斉氏の日本酒嫌いを知る誰しもが「これで東鶴は終わった」と思ったのも無理なことではありませんでした。
そんな或る日、東鶴酒造の危機を見かねた愛飲家の一人が、「本当に旨い酒を飲んだら日本酒嫌いも変わるはず」と、とある佐賀の酒蔵の純米酒を携えて野中家を訪れるや、半ば強引に保斉氏にそのお酒を飲ませたのです。
「これが、日本酒?」
一口飲んだ保斉氏。これまで飲んだことのない芳醇な香りとまろやかな酒の味に驚くとともに、その感動で心が大きく突き動かされてしまったという。
「飲んだ人が感動するような、こんな美味しい日本酒を自分も造ってみたい!」
保斉氏の中にそんな気持ちが芽生えたとき、それは紛れもなく東鶴酒造の廃業の危機が去って行った瞬間であり、まさにそれが彼の運命だったのかもしれない。
今でこそ立派な杜氏で六代目蔵元の保斉氏ですが、数年の修業を経て15年ぶりに再開して初めて自分の造った酒を世に出したときは、不安と達成感が入り乱れた何とも言えない不思議な気持ちになったという。
今でもその時の気持ちはハッキリと覚えているし、それをけっして忘れないようにしたいという保斉氏にとって、まさにそれが原動力にもなっているのかもしれません。
「東鶴はまだまだ進化の途上です」
明るく、屈託のない笑顔の保斉氏。酒造りに貪欲な若き杜氏が醸し出す、飲む人の心を突き動かす地酒づくりにどうぞご期待あれ!!