2019年佐賀豪雨の水害を乗り越えた奇跡の日本酒
自宅と酒蔵が牛津川と別府川に挟まれた場所にある東鶴酒造。
これまで大雨が降るたびに、増水した川を見てはいつかは氾濫するのではないかと、若き杜氏の保斉(やすなり)氏はいつもヒヤヒヤしていたという。
その日、数十年に一度の災害の恐れがあるとして、福岡・佐賀・長崎の3県に大雨特別警報が発令されたとき、日ごろ抱えていたその不安がはからずも的中してしまったのでした。
令和元年8月28日の早朝、酒蔵の西側にある別府川が越水したとの情報が入り慌てて確認に出てみると、まさに自宅と酒蔵の周辺も水浸しになっているのを見て野中家の全員は避難を余儀なくされたのです。
ようやく水位が下がってきた同日昼ごろに自宅と酒蔵に戻ってみると、どちらも水に浸かった跡が40センチの高さまであったことが確認できたのです。
氾濫した川の泥水は、蔵全体に容赦なく浸水したために辺り一面は泥だらけ。貯蔵していた日本酒約1千本は水没し、美味しい酒を求めるために新しく掘った井戸にも浸水した。
さらに槽や麹室の中にまで泥水は入り込み、まさに思わず目を覆いたくなるような状況というのはこういうことを言うのだろうと保斉氏は思った。
さらに追い打ちをかけたのは、ポンプや冷却設備なども使えなくなったことだ。その損害額は1千万円にも上り、再始動を始めたばかりの東鶴酒造に、絶望感を与えるのには十分すぎる数字だった。
しかし、この記録的な豪雨は、東鶴酒造だけではなく保斉氏の心にも大きな爪痕を残して行ったのだ。
「もう、ここで酒を造るのは無理かもしれない…」
被害のあまりの大きさに、途方に暮れていた保斉氏の頭の中には、酒蔵の移転どころか廃業さえ考えるまでになっていたのでした。
ところが一夜明けると、保斉氏のそんなネガティブな考えを一掃するような光景がそこに広がっていたです!!
なんと、被害を聞きつけた県内外の同業者の方々、酒販店さん、飲食店さんなど約30人が駆けつけ復旧作業を手伝ってくれていたのです。
「まったく、感謝してもしきれないですね。こんなにも応援していただいているのだから、もっともっと美味しいお酒を造らなきゃいけませんよね」
心が折れてしまうような水害という苦難を乗り越え、両親と妻、そして社員の計5人で再び一歩ずつ歩み始めた東鶴酒造。そして、そんな苦難の中から生まれた奇跡の日本酒。
地域の人からも、また酒販店さんや同業者さんからも愛される東鶴酒造。
人と人との関係を大切にしてきた先代、先々代の商いの精神が、まさに今ここに実を結んでいるのかもしれない。