すがっち日記3.11


こんにちは、バイヤーのすがっちです。本日配信のメルマガより抜粋です。

毎年この日は震災について書いています。ずっとメルマガを読んで下さっているお客様はご存知かと思いますが、そうではない方もいらっしゃるかと思いますのでまず最初にお断りを致します。

今日のメルマガは商品の紹介などは一切ございません。今日という日に寄せる私の話だけになりますので、あの日を思い出して心がザワザワする方もいるでしょう。読み飛ばして頂ければと思います。

私自身も、毎年今日は心が落ち着きません。何度も書いてきましたが、どうしても消化できることではないので気持ちが揺れます。

それでも、忘れてはいけないと思うし私自身が忘れたくないのでまた書きます。

あの日、私はお店に居ました。当時は宮城県仙台市に店舗がありましたので、朝から仕事でした。仙台市と言っても隣の多賀城市に近いところで端の方です。

仙台新港という大きな港からは直線で4km程度しか離れていません。これは震災後に知ったことでしたが、普段は海が見えるわけではないので全くそんなことは頭に入っていませんでした。

むしろ、自宅は塩釜市という港町にあり、玄関を開ければオーシャンビューという名の漁港が見えます(笑)

私と親方はお店に。当時4歳だった息子は塩釜市の幼稚園に。あの時間、家族は離れたところにいたのです。

今思い出しても息子と離れたところにいる恐怖は忘れられません。心の中がギュっとなります。

地震が起きたときは一体何が起こっているの?というほど揺れました。私達がいた場所は震度6強だったと聞いています。

「外に出ろ!!!」親方の声に慌てて外に出ましたが、周りのお店のガラスがドンドン割れていき、強すぎる揺れに立っている事もできず、スタッフとふたり、手を握り合って座り込んだままだったことを覚えています。

地震がおさまったあとも呆然とした状態でしたが、親方の「片付けなんていつでも出来る!帰るぞ!」という声でやっと我にかえり、みんなで慌てて店を出ました。

信号は既に止まっていましたが、すぐに出たのもあり、渋滞に巻き込まれる前に塩釜市に入ることが出来ました。

国道45線をまっすぐ走るだけだったのですが、あとでニュースで見たり自分で見た光景を思うと、ほんの少し遅れただけで車ごと津波に巻き込まれていたのだと思います。波が引いた後の国道45線の光景はそのくらい大変なものでした。

何とか塩釜の幼稚園にたどり着き、息子とも無事に会えましたが、幼稚園を出たあとすぐに

「津波が来た!逃げろ!」

息子を抱いて駆け上がった近くのお稲荷さんの階段。そこで後ろを振り向いた時に見たあの真っ黒い水の塊とそれに押し流されるトラック。

電気も止まり携帯もつながるわけもなく、私達には何の情報もない状態で見たわけのわからない黒い水の塊。津波が来たと言われたけれど、その黒い水の塊が津波だと理解できたのはどの瞬間だったのか。

怖くて怖くて見ていることが出来ず、すぐにまた階段を走ったのを覚えています。

その後のことは、ニュースでも沢山流れた通りです。簡単には言えないような悲しいことが、あの日色々な場所でおきました。

私はあの日、息子を抱いて逃げながら見たあの黒い水の塊を忘れることが出来ません。あの光景を思い出す度に

「今日と同じ明日は来ない」

それが強く心に刻まれます。

そして、大変なことが起きている時に「大事な家族が離れ離れ」ということが一番の恐怖でした。

当時4歳だった息子は、あの夜ひと言も言葉を発しませんでした。だたじっと私につかまっているだけでした。彼の声を聞いたのは夜が明けて太陽が昇ってからでした。

あの日以来、ずっと息子とは3月11日になると「ひとりの時に地震が来たらどうするか?下校中だったらどこに逃げるか?」を話してきました。

今はもう15歳です。地震が来る度にお婆ちゃんやお爺ちゃんに電話をして、色々と指示を出しているのを見ると話をしてきて良かったと思います。

あの日から今まで、私がずっと続けていることがあります。

それは、何があっても朝は必ず「いってらっしゃい」と息子を送り出すことです。朝は不思議とバタバタと忙しいものですが、それでもその時間は絶対に手を止めます。

そして、「いってらっしゃい!気をつけて行くんだよ!」

「あ~い」

適当に後ろ手で手を振る息子の背中を見送ります。

「今日と同じ明日は来ない」

あの時の恐怖を思うと、何をしていても背中を見送りながら「いってらっしゃい」を言わずにはいられません。

そして、今日も元気に行ったな。無事に帰ってくると良いな。と思うのです。

今日は、世界中で色々な方がそれぞれに沢山の想いを馳せることでしょう。震災だけではなく、コロナや戦争、家族を引き裂く様々な悲しいことが溢れています。

「今日と同じ明日は来ない」 かもしれない。

どうか、今日は大事な方と過ごして欲しいです。近くにいることが出来ないのであれば、電話でもLINEでも。

そして、相手を想っていることを伝えて欲しいです。

3月11日は悲しい日としてこれからもずっと残るでしょう。

でも私は、その中でも

「大切な誰かに心を寄せる日」

であって欲しいと思っています。そしてそれが「誰かの希望になる日」であって欲しいです。

長文となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

今日はどうか、あなたが大切な方と過ごせる日でありますように。そして皆様にとって心穏やかな日が訪れます様に。それが永く永く続くように。東北の田舎町よりお祈り申し上げます。

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