蔵探 相原酒造株式会社

広島県呉市仁方本町

左:代表取締役社長 相原準一郎氏 右:製造部 相原章吾氏
左:代表取締役社長 相原準一郎氏右:製造部 相原章吾氏

理想の酒への想いが魂を繋ぎ、信じた道を一歩一歩進み続ける。

雨後の月、全国にファンがいる、言わずも知れた広島が誇る銘酒。 人を惹きつけるその存在感の根底には蔵人達の想いと酒に対する敬意にあり、 酒造りの全工程に手間を惜しまず魂を込め造り続けている。

相原酒造へと続く雨上がりの路地
相原酒造へと続く雨上がりの路地

相原酒造は、広島・呉市にあり、海路の要所として栄えた歴史を持つ仁方港の近くに位置する。明治8年の創業以来、酒造り一筋を貫く蔵元だ。
明治~昭和の怒涛の時代を生き抜き、時代ごとに求められる日本酒を造り、支持されてきた。
現社長の相原準一郎氏が蔵元として大切にしているのは「信頼」と「品質」。
品質第一で作った商品を、信頼関係ができている販売店からお客様の元に届けている。

一緒に酒造りをしている堀本杜氏(一番左)と蔵人
一緒に酒造りをしている堀本杜氏(一番左)と蔵人

日本酒は造りの工程が多い分、携わる人の心が表れやすい飲み物である。
どの工程も手を抜かず、米やもろみの状態を見極めながら適切に手間をかけたらかけた分、素晴らしい仕上がりになる。
やみくもに丁寧にするのではなく、見極めるチカラが問われる日本酒造りだが、相原酒造ではその製造の中でもとても重要な原料処理(洗米〜蒸米の工程)といわれる工程を相原章吾さんが担当している。
章吾さんは2017年から酒造りに加わり、1年目は酒母づくりを学び、2年目からは原料処理に携わり始めた。

日本酒づくりについて分かりやすく丁寧に教えてくれる相原章吾さん
日本酒づくりについて分かりやすく丁寧に教えてくれる相原章吾さん

章吾さんが大学生の時、実家から送ってもらった日本酒を飲んだところ、すごく美味しくて驚いたそう。その日本酒が自分の理想の味なんだと想いたどり着く。
そこから実家に戻り酒造りに携わることになったのは彼にとってとても自然なことだった。
「“雨後の月”はすでに有名になっていたので、味についても不満はありませんでした。なので、自分が全部変えてやる!という様な、後継者ならではの反骨心もあまりありませんでしたね(笑)。どちらかというと、どうすれば受け継いでいけるかということがテーマ。自分の手で良いお酒を造りたいという思いも強かったので、戻って真っ先に造りに入りました。」
「だけど、最初は右も左も分からなかった。酒造りの工程のことも、専門用語も。とにかく必死でした。現場では今でもありとあらゆることを記録するようにしています。素人目線だからこそ感覚だけに頼らず、むしろ丁寧な仕事ができるのかなと思います。」

左:原料米の見本。毎年40種類程取り寄せる 右:原料処理に必要なデータを毎日記録している
左:原料米の見本。毎年40種類程取り寄せる右:原料処理に必要なデータを毎日記録している

相原酒造の酒造りでは原料処理がうまくいけば、良い酒はできると言われている。
現在、蔵の中も機械化が進み、特に原料処理はすべて機械でまかなえるようになったそうだが、機械任せにしているわけではない。
「常に安定した作業ができる機械は確かに素晴らしい。でもただ使うだけでは当然職人のクオリティには及びません。“どうすれば機械に人の繊細さや柔軟さをもたせられるか”ということをテーマに日々工夫して改善しています。機械と人のそれぞれの強みを活かして、より良い酒造りをしていきたい。」そう話す章吾さんのまなざしは真っ直ぐだった。

左:搾り工程から全て冷蔵管理している 右:日本酒を保管する倉庫はすべて-2℃で管理している
左:搾り工程から全て冷蔵管理している右:日本酒を保管する倉庫はすべて-2℃で管理している

そうして完成したお酒だが、出来て終わりではない。ここも相原酒造のスゴイところで、特定名称酒は氷温保存して品質管理を徹底していて、案内してもらった倉庫や熟成中のタンクはすべて-2℃以下で管理されている。
出荷する時は、お酒を10℃の冷蔵倉庫に移動させて、温度をゆっくり上げ結露防止とお酒にダメージを与えないよう最大の注意を払っている。
「温度管理をきちんとすれば、日本酒のおいしさは保てる。その反対で、どんなに美味しいお酒ができても、ちゃんと保管できていないとおいしさがどんどん損なわれていってしまう。うちは社長が瓶詰め~保管までの管理を担当していて、常にいい状態をキープしているから、どこにでも自信を持って出せます。」と、章吾さん。

相原準一郎社長。時代の変化と共に変わってきた日本酒の在り方について教えていただく
相原準一郎社長。時代の変化と共に変わってきた日本酒の在り方について教えていただく

昭和50年代から酒造りに携わり、日本酒業界を見てきた中で、級別制度廃止や地酒ブーム、純吟ブームなどいろんな波があった。
「その当時、酒を取り巻く環境がどんどん変化していくのを見て、このままじゃ駄目だなと思っていた。」と相原社長は語る。「じゃあ、自分はどんな酒を造って届けたいのかって考えたとき、本当に美味しい酒を届けたいって思ったんだ。」
それに必要なのは最高の原料と品質の2つと考え、相原社長の米探しの旅が始まる。
「世の中で最高と呼ばれる米を使ってできた酒はどんなものなんだろうって思ってね。」
当時、最高品質と言われていた山田錦を手に入れようと奔走するも何年も入手できず苦労をした。ある時から山田錦の入手が割り当て制になって、少量だが手に入るようになり、本格的に吟醸造りを始める。
「うちは全量大吟醸造りを心構えに造っているから、本当に手間がかかって大変。でも、確実に美味しいものが出来る。」

これまで相原酒造が受賞した賞は数えきれない
これまで相原酒造が受賞した賞は数えきれない

相原社長に日本酒の未来について伺った。 「個性だろうなぁ。25年前、これからは純米酒の時代だと言ったら通じなかった。その時はそういう時代だったけど、今はそんなことない。純米酒は一番個性が出るから、上手い下手がすぐ分かる。だから面白い。」

「技術開発がすすんで、香りの出やすい酵母や甘味を造りやすい麹菌などが出てきている。それらで作った酒は香りがよくて飲みやすいから日本酒を飲む層が増えてきた。そういう意味ではいいことだと思う。ただ、金太郎飴みたいに似たような味わいの酒が増えてしまって、個性がわかりにくい。もっと面白い酒を造っていきたいね。」と語った。

これまでも広島の日本酒業界を先頭で引っ張ってきた相原社長だが、これからも常に新しいことに挑戦されていくと感じた。その一環として、新しいブランドを立ち上げ、次代を継ぐ章吾さんと新たな酒造りに挑戦されている。ここからまた相原酒造の新しい時代が始まる。