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2006/9



 近頃は落語ブームが巻き起こるなど「日本語」が注目を集めています。読んだり、 書いたり、語ったり…。私たちは今、何に気づきはじめたのでしょうか。
 今年ベストセラーになった『えんぴつで奥の細道』は「月日は百代の過客にして、 行かふ年も又旅人也」ではじまる松尾芭蕉の『奥の細道』の文が薄く印刷されている 本。そのお手本の文字をなぞりながら、えんぴつで書き写していくというものです。
 さながら小学校の“かき方”のような手法で進めていくうちに、ふと芭蕉が旅した 地に思いを馳せたりして、自分も同行しているような気分になるのがミソ。なるほど 書き疲れたらコーヒーブレークして、また気が向いたらはじめるという風に自分のペー スで楽しむ行程は自由な旅に似ています。パソコンを使うのが習慣化されている今の 時代にあって、そもそもえんぴつを握って文字を書くという行為自体も新鮮です。末 尾の句「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」まで書き写した人は読者にして旅人。さらに筆 者の気分にまで浸れるのは、えんぴつを持って自分で向き合ったからでしょう。
 ではここでもう一つ、『笈日記』にある芭蕉最晩年の名句を…。
「秋深き隣は何をする人ぞ」
 これはあまりにも有名な句ですが、意味は?と問われると、あまり深く考えてみた ことがなかったことに気づきます。句意はこんな風に解釈できます。秋も深まり静け さに満ちた季節です。私はこのようにして病の床についていますが、隣家の人はどん な暮らしをしているのでしょうか。
 しみじみともの思いにふける秋こそ、いにしえ人の言葉を書きとめて、その感性を 味わってみるのも面白そうです。

(エッセイ・羽渕千恵/イラストレーション・谷口土史子)
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