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TOMMY HILFIGER看板

2022.7.21

返り咲きのブランド、トミーヒルフィガー

佐藤 誠二朗さんメンズファッション誌
「smart」元編集長
佐藤 誠二朗さん

メンズ雑誌「smart」をはじめ、これまで多数の編集・著作物を手掛けている佐藤さん。
2018年11月には「ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新」が発売
こちらを本屋で見かけて読まれた方もいるのでは!?
そんな佐藤さんが当店の取り扱いアイテムをコラムで熱く語ってくれるコーナーです!
実はあまり知られていないブランドの歴史などもこれを見れば知ることができるかも!?

ヒルフィガーさんのブランド

今、若い人たちが、トミーヒルフィガーのアイテムをストリートでおしゃれに着こなしている様子を見ると、感慨深いものがあります。
というのもトミーヒルフィガーは、1969年生まれの私が20代の頃に大人気となったものの、その後は微妙な感じになってしまったブランド。
言葉を選んでいると伝わりにくいので率直に言えば、あまりに人気が広がりすぎて、誰もが着るようになったため、“ちょいダサ”の印象に変わったブランドという認識でした。
それがいま再び、当初のような好印象ブランドに戻り、おしゃれ感度の高い人たちに選ばれるようになっているわけですから、これはなかなかすごいことだと思うのです。

ブランドの歴史をひも解けば、きっとその理由が見つかるはず。
ということで、行ってみましょう!

トミーヒルフィガーというブランドの創業者はトミー・ヒルフィガーさん。
ということはご存知の方も多いでしょうし、知らなくても容易に想像がつくところです。
1951年生まれのトミーことトーマス・ジェイコブ・ヒルフィガー氏は、アメリカ・ニューヨーク生まれニューヨーク育ち。
ニューヨークといっても、我々がすぐ想像する、マンハッタンやブルックリンのような大都会ではなく、ニューヨーク州中南部に位置するシェマング郡エルマイラという、自然豊かな街で生まれ育ったそうです。
1951年生まれのトミーとは時代が違いますが、『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』で有名な作家、マーク・トゥエイン(1835-1910)は長年エルマイラに住み著作に励んだということですので、ここがどんな街なのかは、なんとなく想像できますね。

『ハックルベリー・フィンの冒険』
photo:Boston Public Library

そんなトミー氏は高校在学中の1969年、18歳にして地元エルマイラで衣料品の販売業をはじめます。
People's Placeと名付けたそのお店のコンセプは、「アート、音楽、ファッション、ポップカルチャーを楽しむためのスペース」。
若者が社会規範に挑戦しながら、積極的に自己表現したヒッピーの時代、1960年代らしい空気が、トミーの背中を押したのでしょう。
ちなみに開業資金はわずか150ドルだったそうです。

トミー・ヒルフィガーの誕生

People's Placeは開業当初から人気ショップとなり、トミー・ヒルフィガー氏は事業を拡大していきます。
しかし性急な拡大が裏目に出て、業績は悪化に転じます。
そして、7店舗を抱えながら1977年には首が回らなくなり、破産してしまいました。
トミーの失望が大きかったことは言うまでもありませんが、その時点でもまだ彼は20代の若者です。
1979年には再起を志し、いよいよニューヨーク州の中心部、あのマンハッタンやブルックリンがあるニューヨーク市に移り住みます。

そこでトミーはファッションデザイナーとしてのキャリアを積むため、今は亡き高級ジーンズブランドのジョルダッシュなど、いくつかのブランドで仕事をします。
そうした仕事を通して知り合ったのが、“繊維王”の異名を持つ実業家、モーハン・マジャーニ氏。
1985年、トミーはマジャーニ氏から大きな援助を受け、ニューヨーク市でトミーヒルフィガー社を立ち上げます。
同年、発表されたトミーヒルフィガーの初コレクションは、ボタンダウンシャツやチノパンなど、プレッピーを現代風に解釈し、焼き直したものでした。

ちなみに“プレッピー”というのは、“アイビー”の派生形ファッションジャンル。
アイビーリーグに代表される一流大学への進学コースにある、プレパラトリースクール(=名門私立高校)在校生、あるいは出身者のようなスタイルで、アイビー的なアイテムをカジュアルに着くずしながら、上品でトラディショナルな雰囲気が醸し出される着こなしやアイテムを指します。
1980年代にはこのプレッピースタイルが、日本を含む世界中で大流行していました。

プレッピーハンドブック
photo:Darlene

このときに確立されたトミーヒルフィガーのブランドとしてのテイストは、キーワードにすると“カジュアル”“若々しい”“ポップ”“カラフル”“アメリカらしい”“プレッピー”というものでした。

大きな後ろ盾を持って、鳴り物入りでスタートしたトミーヒルフィガーは、派手な広告戦略も功を奏し、ハイスピードで認知を広げていきます。

【NEW ALY BELT】
【TJM ORIGINAL FINE PIQUE POLO S/S】
【JOHNSON MINI CC WALLET】
【TJU FLAG CAP】

人気拡大と失速

トミーヒルフィガーのスタートダッシュが成功したのは、広告戦略だけが理由ではありません。
何しろ“繊維王”がバックにつくブランドですから、商品の素材も縫製も高品質。
プレッピーの代表格ブランドとして先行していたラルフ・ローレンと同程度の品質ながら、よりカジュアルで若々しく、そして値段が安かったことも成功の要因として挙げられています。
1989年にはマジャーニ氏の援助を離れたトミーヒルフィガーは、新たに香港の実業家、サイラス・チョウからの支援を取り付けると、さらに拡大していきます。
1990年代に入るといよいよ日本でも本格的に展開されるようになり、押しも押されぬ人気ブランドとしての地位を固めていったのです。

当時の若者だった僕はよく覚えていますが、トミーヒルフィガーがかっこいいブランドとして認知されていたのは、当時、止まるところを知らぬ勢いで若者の間に浸透しつつあったヒップホップカルチャーと結びついていたからです。
1990年代後半にはスヌープ・ドッグをはじめとする数多のヒップホップスターがこぞってトミーヒルフィガーを着用し、メディアに登場するようになります。
こうしてトミーヒルフィガーは、上品な雰囲気のプレッピーブランドでありながら、それを敢えてワイルドに着るラッパーたちのイメージによって、最先端のストリートファッションブランドと位置付けられるようになります。

スヌープ・ドッグ
photo:Oraysion

その頃の私は、若い男性向けファッション雑誌『smart』を編集していましたが、確かにトミーヒルフィガーは日本のBボーイたちにも大人気で、ストリートスタイルの一環としてよく誌面で取り上げていました。

ところがここでまた、トミ・ヒルフィガーの悪い癖とでも言いましょうか、いつかの失敗が繰り返されることになります。
1990年代のあまりにも急速な成長と露出拡大が悪い方に作用し、2000年代に入るとトミーヒルフィガーの人気は、本国アメリカであっという間に急降下していきます。
日本でもやはり2000年代に入ると取り上げるファッション誌も減り、感度の高いスタイリストさんなどは「トミーヒルフィガーは終わった」などと、にべもなく言うようになりました。
それは、急成長の一発屋ブランドが“終了”の烙印が押されたかのように見えました。

【アイコンショートスリーブポケットTシャツ】
【フレンチテリー】
【CLASSIC BB CAP】
【TJM REGULAR CORP LOGO NECK】

人気ブランドに返り咲き

人気の兆しが見えたら「この機を逃すまい」と力を入れ、一気に規模拡大していくのは商売の原則のようにも思えるし、トミー・ヒルフィガー氏にしてもそうするしかなかったのだと思いますが、ことファッションの世界では、それが裏目に出ることもよくあります。
どんどん売って、どんどん多くの人に着てもらえばいいというわけではなく、本当に売れに売れて街で誰もが着るようになると、反比例するようにファッション通の人たちの熱は冷め、ブランドイメージが急失速していくことになるのです。
トミーヒルフィガーに限ったことではなく、そういう人気急拡大→大失速の憂き目を見たブランドは、これまで数えきれないほどありました。

そして普通のブランドであれば、これで終わりになるのです。
早々とクローズしてしまうブランドもあれば、名前は通っているけどちょっとダサいイメージの大衆ブランドとして、ディスカウントショップに山積みされながら生き残ってくものもあって、そのいく末は様々なのですが、二度と再び栄光は戻らないのが常識です。

ところが、トミーヒルフィガーは違いました。
アメリカとは違い、人気がそこまで落ちなかったヨーロッパから再建策が持ち上がり、イギリスのエイパックス・パートナーズという会社がトミーヒルフィガーの事業を買収します。
拡大しすぎたアメリカでの販売を縮小させるとともに、ヨーロッパ発で、ブランド本来の持ち味であるプレッピー路線を強化してブランドイメージの再構築をはかっていきます。

それが功を奏して2000年代後半頃からトミーヒルフィガーの人気はV時回復していきます。
2010年にはアメリカの衣料品会社フィリップス・バン・ヒューゼンが買取り、再びアメリカンブランドに戻ったトミーヒルフィガーは、以降もエイパックス時代に道をつけられたプレッピー路線を維持していきます。

そして昨今は韓流スターなどの影響で、日本・韓国など東アジア中心に、人気がまたまた急拡大中というわけです。
ちなみにこんな激動のブランド、トミーヒルフィガーですが、当の創業者であるトミー・ヒルフィガー氏はどうしているのかといえば、経営権こそありませんが、なんと今でも、デザイナーとして服作りを指揮しているのです。

トミー・ヒルフィガー氏
photo:Kunstakademiets Designskole

どうですか? このありそうでなかなかありえない、返り咲き人気ブランド、トミーヒルフィガーにますます興味が湧いたのではないでしょうか。

【ベーシック コットン コア フラッグ クルーネック S/S TEE】
【ベーシック コットン コア フラッグ】

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