2020.4.28
いくつもの顔を持つブランド
carhartt(カーハート)
メンズファッション誌
「smart」元編集長
佐藤 誠二朗さん
メンズ雑誌「smart」をはじめ、これまで多数の編集・著作物を手掛けている佐藤さん。
2018年11月には「ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新」が発売
こちらを本屋で見かけて読まれた方もいるのでは!?
そんな佐藤さんが当店の取り扱いアイテムをコラムで熱く語ってくれるコーナーです!
実はあまり知られていないブランドの歴史などもこれを見れば知ることができるかも!?
いくつもの顔を持つブランド
1884年にアメリカ・ミシガン州デトロイトで創業したカーハートは、今やいくつもの顔を持つブランドとして知られています。
ブランド名を聞けば、ある人は往年の西海岸ヒップホップシーンを思い浮かべ、ある人はスケーターやBMXライダーのスタイルを思い浮かべます。
その一方、母国アメリカでは工事現場などで汗して働く人のためのアイテムであり続けているので、ストリートウェアというよりも頑丈なワークウェアというイメージでとらえている人も多いでしょう。
そうした複数の顔はカーハートのブランドイメージをぼやけさせることなく、むしろ高い信頼につながっています。
ではカーハートはいかにして、このようなマルチフェイスのブランドになっていったのか。長い歴史を紐解きながら、
探ってみることにしましょう。
カーハートの創業者はハミルトン・カーハート。1855年にニューヨーク州で生まれ、ミシガン州南部で育った人物です。
1882年に衣料品の卸売業をスタートさせた彼は1884年、デトロイトに居を構え、家具や手袋の卸売業、ハミルトン・カーハート&カンパニーを設立します。
デトロイトは2013年に財政破綻した都市ですが、20世紀には世界最大の自動車産業の街として栄えました。
ハミルトンが創業した19世紀後半、まだ自動車産業ははじまっていなかったものの、デトロイトはすでに国内有数の工業地帯となっていたそうです。
この地で働く大勢の労働者の需要を知ったハミルトンは、1889年、社名をハミルトン・カーハート・マニュファクチュアと改め、オリジナルワークウェアの製造を開始します。
わずか4台のミシンと5人の従業員による小さなスタートでしたが、この時に誕生したブランドこそが、今日まで続くカーハートです。
カーハート初のオリジナル製品は、鉄道技師との話し合いの末に生まれた鉄道工事現場用のオーバーオール。
時代を先取りする、画期的なデザインのワークウェアだったようです。
鉄道員用の服を作った理由
鉄道員は当時のミシガン州の労働人口の多数を占めていました。
彼らから詳細に意見を聴いて作られたカーハートのオーバーオールは、デニムあるいは12オンスの厚手コットンキャンパスを使い、たくさんの工具用ポケットやハンマーループを備えていました。
優れた耐久性と実用性、そして良質な着心地を併せ持ったこのウェアは圧倒的な支持を集め、瞬く間にUSワークウェアの定番となります。
カーハートが鉄道員のための作業着から事業をスタートさせたのは、当時のアメリカが輸送インフラの建設ブームに沸きたち、それを支える新しい労働者が大勢誕生していたからです。
もちろん当時もさまざまな作業着が存在していましたが、“鉄道員向け”に最適化された服はありませんでした。ハミルトンはそこに目をつけたわけです。
当時の肉体労働者は、仕事中も余暇も同じ服を着て過ごしていました。
鉄道員用として特化したカーハートのウェアは、彼らが「俺は最先端の鉄道をつくる仕事をしているんだぞ」と酒場で胸を張るためのステイタスシンボルになります。
ハミルトン自身「私が作った服を着ると、誰でも自尊心が増すんだ」と語っていたそうです。
ワークウェアは実用本意の道具のようなものだと思われがちですが、ハミルトンはそこにプラスアルファの要素を発見。
みずからのアイデンティティを示す小道具的役割を付加したことによって、カーハートというブランドは大きく発展したのです。
ビジネスを軌道に乗せたカーハートはその後も次々と画期的なワークウェアを発売し、労働者からの支持を集めていきます。
8つの縫製工場と2つの紡績工場を抱える大所帯にまで成長していた1910年には、社名をハミルトン・カーハート・コットンミルズへと変更。1923年には今なおブランドを代表するアイテムとして知られる、ダック地を使用したブラウンのカバーオールを発売します。
その後、大恐慌による手ひどい打撃を受け、1930年には3工場を残して大幅縮小を余儀なくされますが、そうした苦境からも短期間で脱し、農業労働者層という新たな顧客を開拓します。
1937年に創業者のハミルトンが82歳で他界する頃、カーハートはアメリカのワークウェアマーケットを引っ張るリーディングカンパニーになっていました。
100年を経てストリートウェアに
以降、アメリカ国内にとどまらず、世界のワークシーンに君臨してきたカーハートに対し、創業から100年以上を経た1990年代、意外なところからの需要が高まります。
折しもロサンジェルスを中心に増殖していた、ギャングスタ系ヒップホップ文化を好むBボーイの間で人気が沸騰したのです。
西海岸ギャングスタ系Bボーイといえば、オーバーサイズの服と腰履きパンツの、クールな強面スタイルが特徴。
彼らは、スポーツウェアを多用した東海岸系Bボーイに対抗するかのように、ワークブランドのアイテムを好んで着るようになりました。
その中心となったのがカーハートです。
カーハートのウェアをオーバーサイズ気味に羽織り、足元にはティンバーランドのイエローブーツを履くのが、ギャングスタの定番スタイルとなりました。
こうしたヒップホップシーンでの人気爆発と同時に、カーハートはヨーロッパや日本の若者からも、ストリート系カジュアルウェアとして高い支持を集めるようになります。
カーハート側もこうした新しい需要に呼応し、すかさず新たな展開をはじめます。
カーハートは1994年、ドイツ企業のWork in Progress社に製造販売ライセンスを渡します。すると同社は、最初からストリートウェアとしてデザインした新機軸のウェアを世に送り出しました。
カーハートWIPと呼ばれたこの新しいヨーロッパ発カジュアルウェアラインは、デザインやシルエットが現代的にアレンジされていたため、より多くの若者の心を鷲づかみにします。
100年以上の歴史があるワークウェアブランドのこうした動きは、当時のアパレルの世界では非常にイノベーティブなものとして注目されました。
今日のカーハートは、クラブミュージックからアート、スケートボード、BMXなどさまざまなサブカルチャーを積極的にサポートするストリートブランドのイメージが、より一層色濃くなっています。
その一方で、長く形を変えない無骨な本家USラインも再評価され、常に進化を遂げるシャープなイメージのヨーロッパラインと渾然一体となり、マルチフェイスの老舗ワークウェアブランドという稀有なスタンスを獲得しているのです。
ニュースタンダードの暮らしに
私がこのテキストを書いている2021年4月末現在、東京・大阪をはじめとする大都市圏を中心に新型コロナウイルスの感染者数がまた大きく増加し、通算3回目となる緊急事態宣言が出されました。
1年以上も続く“ステイホーム”の姿勢が、改めて強く求められるような状況になっています。
ところで私は、東京と山梨県・山中湖村の二拠点で生活をする、いわゆる“デュアルライフ”の実践者です。
といっても一昨年までは東京暮らしが中心で、山中湖村に行くのは月に一回あるかないかという程度だったのですが、ステイホームの号令がかかってからは、山の家暮らしの比重が大きくなりました。
外食や飲み会もままならず、私個人のことで言えば好きなライブハウスに行くこともできなくなったこの1年。
今これを読んでいる皆さんもそれぞれ、心に大きな鬱憤を抱えていることと思います。
でも、山の家生活の比重が高まった私には新たな楽しみができました。
ガーデニングやDIYなど、家の中で行ういろいろな作業です。
春から夏にかけては、庭やテラスでバーベキューも楽しむようになりました。
そうした暮らしの中で重宝しているのが、ワークウェアです。
無骨な雰囲気のワークウェアは、ストリートスタイルのアイテムとして街で着てもオシャレですが、やっぱり真価を発揮するのは、そうした作業時やアウトドアシーンなのではないかと思います。
これは単なる思い込みかもしれませんが、私はワークウェアを着て家の中の仕事をゴリゴリやっていると、アメリカ・アイダホ州に住むタフガイにでもなったようで、気分が盛り上がります。
カーハートのアイテムは、そんなライフスタイルにうってつけ。
こうした今の暮らしも、コロナ禍に見舞われたからこそ生み出されたニューノーマルと考えて楽しむことができれば、鬱屈したこの日々もいつかはいい思い出となるのかもしれません。
皆さんも、ぜひ試してみてはいかがでしょう?