大倉珊瑚店の歴史 |
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大倉珊瑚店は明治16年(1883年)、土佐の高知にて創業いたしました。 大倉珊瑚店は日本で一番古い珊瑚商のひとつです。 紀元前からの歴史を持つイタリアに比べると、日本における珊瑚の歴史は 浅く明治からになります。明治以前から珊瑚の装飾品は存在していましたが、 当時は今のように漁をして採るといったものではなく、 偶然魚を採ろうとして網に掛かったものや 波打ち際に上がったものを加工していたようです。 また江戸時代は禁制品として藩もしくは幕府が管理していたようです。 大倉家は代々、土佐藩山内家の両替商を勤めておりました。 廃藩の後、初代である大倉音吉は高知で魚市場を経営していたそうです。 その中で珊瑚の原木が市場に上がり、それを加工し大阪の小間物問屋に 卸したのが日本における珊瑚の商売の始めといわれています。 ![]() 創業当時の広告版画 そのような事もあり日本の珊瑚の発祥の地は土佐の高知といわれています。 明治時代、月灘村周辺には七百艘をこえる漁船が出漁し 色とりどりの大漁旗をなびかせてもどる姿は壮観だったと言い伝えられています。 この時代弊社がパリ万博に出展し金杯を授与されたと聞いていますが、 残念ながらすべての資料が戦災で焼失しています。 昭和に入ると全国に販路を広げ、台湾や蒙古、当時の中華民国など 海外の輸出にも力をいれたそうです。 ![]() 昭和初期、高知の大倉珊瑚店 ![]() 昭和初期、高知の大倉珊瑚店、右から2番目が先々代大倉勝 先々代大倉勝は昭和初期には特に人気のなかった赤珊瑚を見て 「これから服装も洋服に変わる。これからは赤珊瑚の時代が来る」 と言っていたそうです。 先々代大倉勝は本当に珊瑚が好きで赤珊瑚をそれはそれは沢山落札し 沢山製品にしていたので、 赤珊瑚をここまでの価格にしたのは大倉のおかげと言う同業者もいます。 また1970年台のある宝飾雑誌のインタビューでは 「50年後には珊瑚が一流宝石の仲間入りする」と断言していました。 昭和の終わりころまで高知に弊社の珊瑚の工場があり、 職人さんたちが仕事をしておりました。 これらの乱菊をはじめとして数々の作品がこの工場で作られました。 ![]() 1971年の弊社の工場にて ![]() 当時の乱菊(ミッド珊瑚と思われます) 昭和に入ると世の中も洋装になり、珊瑚もかんざし、帯留めから リングやネックレスになってゆきます。 ヨーロッパや日本のデザインを消化し、高品質な日本の珊瑚を使って 色々な作品を作っていました。 業務の多様化にともない1968年に高知から東京へ事務所を移します。 その頃はまだ工場は高知にありました。 ![]() 1971年世界貿易センタービルに事務所兼店舗を開店。 左が先々代大倉勝、右が先代大倉健 国内においてもサンゴ装身具コンテストなどを行い サンゴの普及にもつとめました。 大きな珊瑚を使った新作を沢山作っていました。 ![]() 1970年代に作った赤珊瑚のリング。 今では考えられないくらい贅沢な珊瑚の使い方です。
先々代勝の時代、先代の健とともにハワイでのサンゴの採取や フィリピンや小笠原での調査、モナコでの展示会での 出品など海外に目をむけた活動をいたしました。 ![]() モナコ公国にて珊瑚博を開催した時の様子 ![]() 日本から数社の珊瑚商が招待されたうちの1社でした。 その後、1980年台終わりにはTV地上波での通信販売を開始。 また本業である卸売りの傍ら、少しづつ天然石の取り扱いを開始。 1990年台終わりにはユキコ・オオクラブランドを立ち上げ、 珊瑚と天然石を使ったジュエリーを商いさせていただいています。 現在、社長が長男の大倉一朗、そしてデザイナーの ユキコ・オオクラこと大倉由起子、 同じくデザイナーの大倉礼士と代は変わっていますが、 珊瑚やジュエリーを大事にする気持ちは変わらず、 時代にあったジュエリーを作っていきたいと思っています。 |