No.01 憩いのときの汲出と湯呑み
     
「茶がうまいところは、信用できる」とおっしゃった方があった。
 五官のよろこびに共につながっているという安心感、そんな意味をもつ言葉のように私には思えた。
 人と人との出会いの中で、せめてひとときの安らぎを、と、さし出す茶を共に味わう。それは人間同志の一番通じやすい連体感ではないだろうか。一人で飲む茶は、日常の時の中の句読点である。自らの折々の心の陰翳を見る。
 -深いため息-そこから何かが始まる気もする時。
 さして上等の茶でなくても「美味しく入れよう」とする気持ちは、充分通じるものである。そんなとき汲出、湯呑みが大きく役割を果たすのは言うまでもないこと。一杯の茶もおろそかにしないという心くばりで、これらのものを選びたい。汲出といっても、文字通り玉露のしたたりを舌にころばせるための小茶碗から、番茶用の大福茶碗と呼ばれている飯碗大のものまで、湯呑みも同様、さまざまである。汲出は、煎茶用、湯呑みは番茶用というこだわりをなくして、その日の気持ち、状況に合わせて、勝手気ままに用いればよいと思う。
私はどんな貴重な玉露でも雫ほどではつまらないし、小さすぎる茶碗は好まないので、大きい茶碗でたっぷりといただくことにしている。作法やきまりは、五官のよろこびに較べれば何ほどのこともない。飲むということは、五感の内、触覚が大切だから、まずそれを満たそう。薄すぎず分厚すぎず、なめらかで、口唇(くちびる)に心地よい反りの上縁。全体の薄さよりも上縁に少し土がこんもりとしたものは、口にやさしく、かけにくい。そこが重くて上縁の切り立ったものは用いにくく、欠けやすい。
毎日幾度となく手にする、自分専用の湯呑みを持っている方は多いと思う。まるで、体の一部のように、無意識にふれ合っている湯呑み。どんな品でも親しみはあるだろうけれど、できることなら安心して無意識になれるものを選んでおきたい。
無数にある品々の中から購うものを探す手だては、自分の掌(てのひら)が唇が眼が覚えた、贅沢な条件だけである。
 
工芸店ようび 店主 真木啓子
このコラムは、1977年「マダム」(鎌倉書房)に連載されたものです。





絵志野草花湯呑
お茶碗
 
豆彩鳥文湯呑
お茶碗
 
染付一官人茶碗
お茶碗
 
雅造汲出
お茶碗