しかし先祖代々の名を冠しながらも、人手に渡り、名を汚すような、低品質ワインの大量生産に走っていた、バローネリカーゾリ社に、我慢がならなかった彼は、93年、このワイナリーを買い戻した。
それからの彼は、栽培、醸造、組織マネージメント、マーケティングと言った、全領域で、あらゆる改革を断行し、世界のトップクラスのワインを生産して、赤字を垂れ流すのみだった会社を黒字化したのである。
その旧オフィス(新オフィスは取材時に建造中)を見て、彼がどれほど本気だったか理解した。
すべてガラス張りで、全フロアを見渡せるオフィスの、他の従業員とまったく同じつくりの、それこそオフィス・デポで売っているような低価格の家具が置かれるのみの、彼の部屋。
『自分自身を特別扱いしてはいけない。組織の一員として、全員と同じ目標に向かって努力していることを、具体的に示さねばいけない。普通のオーナーは、自分で飲むワインは、ストックからただ持ってくるだけだが、私は売店で自分のお金を払って買ってくる。カンパニー・カードも持たない。』
真の権威とは、ただ生まれによってではなく、実際の行いと、結果を伴ってのみ、付与されるのだ、と納得した。
スーパー・タスカンのような、スペシャル・キュベには、断固として反対しあくまでキャンティ・クラシコにこだわる。
そして、ボルドーのシャトーのように、自らを代表するに足る、ただ1種類のワインのみに、カステッロ・ディ・ブローリオと名付ける。
『他の人たちは、少量の特別なワインを作っている。しかし、私がなぜ、他の生産者と同じことをしなければならないのだ。それより、優れた1種類のワインを大量に作ることの方が遥かに困難だが、その困難に挑み、この地のワインの実力を広く伝えることが、私の責任なのだ。』
イタリア王国第二首相にして、キャンティ・ワインの生みの親、ベッティーノ・リカーゾリ男爵は、幾多の功績によって、国王ヴィットリオ・エマニュエル二世から、高位の爵位授与を打診された時、その栄誉を毅然として断った。
『サヴォイア家が、歴史に登場するずっと前から、リカーゾリ家は、男爵だった。自分は男爵の位に誇りを持っている。』
と。
その子孫、フランチェスコは言う、
『カステッロ・ディ・ブローリオのほうがシャトー・ラフィットより歴史があり、自分にとっては重要だ。』
その格調高くも、筋の通ったワインを味わえばわかる。
彼はまことに武士であり、貴族である。