DRCの共同経営者だったラルー・ビーズ・ルロワは1992年、その座を解任に追い込まれました。
その理由について表向きには、ルロワ社が販売権を持たないアメリカへのDRC輸出問題の責任と言われていますが、88年ドメーヌルロワ設立、89年ドメーヌドーヴネ設立と、DRCの経営者でありながら
結果的にそれを脅かすほどの素晴らしいワインを造り出してしまったという、DRCへの背徳行為が大きな原因と考えられています。解任されたことで自身のワインにより注力できたことはブルゴーニュの
歴史にとって重要だったと言う評論家もいます。
彼女が生まれたのは1933年。誕生してわずか15分後、父アンリは彼女の唇をワインで湿らせたそうです。
3歳の頃にはテイスティングをし、23歳の時には父にルロワ社を任される程になっていました。その後農薬や化学肥料によってワインの味が微妙に変化しているのを感じ、ビオディナミに取り組み初めます。
そのワインへの気高く強い情熱は、今やブルゴーニュだけでなく全世界の愛好家にまで広がっています!
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彼女自身が所有し、制限なく思い通りに、そして完璧に造りあげられたこの幻のワインは、
今後いつ手にすることができるか分からない貴重なワインです!
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