「夜型人間」 文:辻 貴史(株式会社ワタセ社長)

早寝早起きが美徳だなんて、どうも納得できない。
子どものころよく叱られたものだ。
「子どもはもう寝なさい。」
「なんで僕だけ寝なあかんのや。ちっとも眠たくないのに・・」
「ぶつぶつ文句言わんと早う寝てきなさい。」
渋々布団に入ったものの、いつまでも大人の会話に入っていたくて不満でしょうがなかったのだ。
ところが試験勉強をするようになると親もそんなことは言わなくなった。威張って夜更かしをできるものだから、なんか急に大人になったような気がした。

そんな私が学生寮で過ごした20歳前後のころ、1日を48時間として生活をした経験がある。
睡眠時間を16時間とって、32時間を起きていたのである。睡眠もたっぷりで満足なら、覚醒時も充実していたと記憶している。

というのも、私は「眠る」のは嫌いなのだ。そして「起きる」のも嫌いだ。
無理をしてでも、もっと起きていたいのである。もしも、あと少しで何か楽しいことが発見できるかもしれないと思ったら、おちおち寝てはいられないのだ。
そして一旦寝付いたら、今度はいつまでも寝ていたいのである。もうこれ以上の睡眠はとても苦痛だと感じるまで寝ていたいのだ。

さすがに50歳にもなると、体力的にそうもいかない。仕方がないから、今は1日を24時間で暮らしているのだが、やっぱり私が眠り付く時間は明け方である。
人にはそれぞれ気分よく過ごせる時間帯があり、早朝が好きな人間もいれば、私のように深夜が好きな人間もいる。

鶏舎の鶏のように一斉に寝たり起きたり卵を生んだりする生活には、私はとても耐えなれないだろう。
個性や人間性を大切にしょうと言われて久しいのであるが、それは、先ず自分らしさを発見することから始まるのではなかろうか。規律とか団体生活の名の下に、自分勝手とか気ままとかで切り捨てられてきた自分らしさを、もう少し大事してやりたいと思う。
気分よく生活ができ、気持ちよく仕事ができる時間帯は人それぞれ違って当たり前なのだ。
自分がもっとも自分でいられる時間こそ生きなければ、それはとてももったいないことだ。

私は同じ夜型人間が好きなのだ。同類を感じるのだろうか、世間から白い目で見られながらも自分の好きな時間を気ままに過ごしている生活態度を励ましたくなるのだ。

日本人に個性が根づくためにも、百人百様の生活を認め合う社会になって欲しいと考えている。


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