「眠りつく瞬間」 文:辻 貴史(株式会社ワタセ社長)

 
 これまで幾度となく眠りつく瞬間について思いを巡らしている私なのである。

 蝋燭の炎がフッと消え入るように、人は眠りつくのだろうか。

 しかし、これだとまるで死のイメージのようで気に入らない。私としては、薔薇の香りが脳裏のキャンバスを朱に染める瞬間を期待しているのだ。

 5歳くらいの記憶なのだが、友達に即興でこんな作り話しをしたことがある。

 「僕なぁ、夜が明ける瞬間を見たんや。
 君にだけに教えたるわ、内緒やで。
 ジャーンと大きな音が聞こえたんよ。
 そしたら、急に朝やった。もう、びっくりしたわ。」

 よくもまあと今思い出しても恥ずかしくなるのだが、幼いながら朝にも驚くような始まりの瞬間を期待していたのだと思われる。

 しかし目覚めと比べて眠りつく時の正体は分かりにくいのである。眠りの瞬間について、覚醒時の意識で眠りつく自分を観察することには無理があるようだ。眠っている間、私の意識と感情は一体どこへ行っているのだろう。

 昔こんな話しを聞いたことがある。

 「眠っている間、魂は肉体を抜け出して散歩に出かける。だから寝ている人を突然起こしてはいけない。魂が帰ってこられなくなって、気が狂ってしまうのだ。」

 どうも不気味な話しである。もしこれが本当なら、私は安心して寝ることなどとてもできないのだ。眠ることはあくまで気持ちよく生きている状態であって、仮死状態ではない。眠っている間も呼吸をし、寝返りもすれば寝言も言う。心臓だって動いているし、脳細胞をはじめすべての細胞は活動しているのだ。ただ意識と感情だけが、安らかな眠りの世界に落ちていくのである。

 私は、安心でしかも夢中になれるような劇的な眠りの瞬間を期待しているのだ。

 これまでの経験で、眠りはいつも気持ちよく私を迎えてくれている。決して失望をさせることなく、裏切ることもなく、一日たりとも飽きさせたりはしないのだ。だから私は毎日のように夢中になるのである。女性と比べても、これほど完璧な女性はいないであろう。

 だから私の眠りつく瞬間のイメージは、眠りの精と恋に落ちることなのである。一日を充分に満喫した意識と感性は、眠りの精に愛撫されすべての緊張から開放されるのだ。ゆったりとしてのびのびと過ごすことができる楽園なのだ。

 そこはまるで竜宮城のように、時の経つのも夢のようなのである。


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